1945年8月15日という日付をもって日本は変わり日々の暮らしも落ち着いたとされるが、生身の人間はそう単純には切り替わらない。病んだ心の置き場を探してヤミの中を彷徨い、酒場の暗い灯りのもとで悶々と身を掻き毟った者たちは幾万いただろう。小貫もそうした群れの中の一人であった。戦中・戦後、小貫が棲んだところは、羽村・福生・立川、いわゆる基地の町である。一種独特な環境である。
60年安保では、騒動の最中にあって帰る場所は米軍横田基地の隣。《敗戦時二十歳であった自分として同世代多数の失われた命に対する葬儀なしには生きることができない。》(日記より)画家は、焼跡の瓦礫の中、鉄骨をさらして立つビルを美しいと思い、冬の畑に並ぶ葉を落とした桑の株に魅かれ、《母体に対する帰依本能》1992年刊(小貫政之助作品集所載「年譜」より)のように、好んで「女体」をモチーフに描きつづけた。

小貫は語る。
――美しいと魅せられて描いてきたモチーフを通して何を主張してきたのか、それはイデオロギーでも哲学でもなく、唯その時代環境の中で自分の存在を主張してきたに過ぎないと思うのである。(中略)蚕が桑の葉を食べて繭を作ってゆくように、私もまた自分の体から出る液体で、仕事を進めたいものと考える。そして、それがまた必然的に自分の生きた時代の証言となり得れば幸いなのだが。※1974年 小貫政之助・文「桑と女」より

1988年(昭和63年)6月3日、昭和も間もなく幕を閉じようかという年、小貫は立川市錦町の病院で63歳の生涯を終えた。佐藤修(東御市梅野記念絵画館館長)

◆ 第357回 土曜サロン ギャラリートーク「小貫政之助展によせて」
2月2日(土)17:00~
ゲスト:御子柴大三(東御市梅野記念絵画館運営委員)

会場:B1F un
会期:2019年2月2日(土)~ 2月13日(水)11:00-18:00
※最終日は16:00まで