1)Schloss Primmersdorf3_s

長年西ベルリンで色彩銅版画家として制作活動をしていた私は1986年思い切って銅版画に終止符を打ち、古和紙を使った「Steinhäutung=石の脱皮」シリーズを開始する。たまたま故郷の信州を訪れた時、偶然にも倉庫会社の倉庫で明治時代の和紙で作られた繭袋を発見した。かつて繭の保存や運搬に使われたもので、長年大切に使用されたものだろうか皺、穴、破れの目立つ紙袋が倉庫の片隅にホコリをかぶって大量に重ねられていたのだ。当時の日本ではその役割を終えて何の価値も見いだされないゴミのよう繭袋だったが、私にはこの遭遇が新しい作品表現を生み出す重要な機会になったのだ。人の思いや苦悩がこの紙袋の皺や破れの中に凝縮している。ただの物質であった紙袋は人の手で使われ時間を経過して不思議な霊気のようなものが生まれたように感じられた。日本中世の僧侶は、道に打ち捨てられた布を拾い集めて洗濯し、縫い合わせて僧衣として身にまとったといわれる。これが糞掃衣だ。
親しい友人であった堀慎吉氏が私に残してくれた言葉がある。<紙袋の断片の襞の上から、土や墨や柿渋が擦り込まれ、物質そのものにこめられた色彩が、そのものの時間と深度をともなって再生されている。柿渋は中世以来、賤民の身にまとわれた日本土民の色なのである。大地の色と、アジアの基層の人々の色とが彼のなかでよみがえる。擦り込まれた物質によって触覚値を高められた紙の断片は貼り合わされ、新しい関係性のなかに整合されて、物質そのものの美しい言葉を語りだす。それはほとんど、アジアやアフリカの未開の民が祈りをこめて、泥や灰や植物の樹液や血を擦り込んだ「魔除けの楯」のように、物質の深い働きを発光させながら、現代のわれわれの眼前に現出してくるのである。人間の思惟やイメージを一方的に刻印するのではなく、人間と、人間がかかわる物質を等価に位置づけ、すべての生命活動の支持体である大地とさまざまな物質世界が語る言葉を立ちあげる作業 — その長岡の新しい旅は、始まったばかりである。にもかかわらず、宇宙的時間を生きる「大地」は長岡のなかでひとつらなりのものとなり、ヨーロッパやアジアの大地にこもる霊性が、彼を新しい世界へと導いていく。自己と宇宙の中にあるものをがっちりとつかみ、(「深いけれども静かな祭り」を一人一人がやろうとする)次の時代が扉を開けようとしているのだ。>合掌

2013年7月下旬 長岡國人

B1F 11/2(土)― 13(水) 12:00-19:00
*火曜日は-18:00、最終日は-17:00

■作家トーク 11/2(土)17:00より [無料]*ご予約ください

■トーク後、長岡國人さんを囲んで交流会をいたします。どなた様もご参加ください。