高野卯港追悼展

昨年10月3日に惜しくも亡くなった卯港さんの追悼展を開催します。
卯港さんにもっとしてあげることがあったのではないかと日増しに複雑な思いが募ります。付き合って20年になるのに逝ってしまってからの今が最も近いのが残念です。アルバムや卯港さんが残した文章などを読んでいます。
なにやら私らしい画商も登場する殺人事件の小説もありました。
渡欧の相談やパリのアトリエ訪問、そして二人の北野での結婚式などが記憶の底から蘇ってきます。今回の追悼展に合わせて風来舎の伊原秀夫さんが卯港さんの「スケッチ帖」を出版してくれました。山口砂代里さん、奥さんの京子さんが卯港さんを抱きしめるような素敵な文章を添えておられます。
洲之内徹さんに認められ、山本芳樹さん、佐藤廉さん(元町画廊)、三浦徹さん(わたくし美術館)に愛された卯港さんはしあわせであったともいえますが、せめて元気な間に、もうすこし画家として評価されるようにしてあげたかったです。これからでしたのに。
執筆準備中の本に卯港さんのことを書きたいと思っています。
ここには友人の画家・岩崎雄造さんの了承を得て、これ以上ない追悼の言葉を紹介させて頂きます。

追悼 高野卯港君

君を家に見舞った九月十六日、やつれた君の姿に、なんとか奇跡が起こらないものかと思いつつも、心底ではこれが最後だなと静かに確信していた。別れ際に、頭をあげるのもつらそうな君は言ったよね。奥さんのことを。
「彼女は天使やで・・・」
「ほんまやなあ。元気になったらなあかんで」
君の目の中には大いなる諦観と、僅かなる希望、そしてなによりも強い絵への情熱を見取ることが出来ただろう。
横たわったままとは言え、二時間ほどしゃべって疲れさせてしまった君に、別れを告げた。ちょうど留守をしていた奥さんにも書き置きをのこして。
播磨路の秋。そとは空がやけに広がっていた。

その二日後、奥さんから容態が悪化したので入院したとの連絡。そして、二週間が過ぎて十月三日に奥さんからの電話。以後、心の中の深いところに穴が開いたような虚脱感が続いている。

君の持っていた優しさ、弱さ、そして粘り強さ、正直さ、正しさ、そして他諸々の人間的要素、それらはすべてナイーブで善良で、少しも自分を身の丈以上に見せたいなどと思っていない。今の世を生きていくには、ぼくも偉そうな事は言えないけれど、いわば不適格だ。君は自分を防御したりカモフラージュしたり、姑息に相手を威嚇するための「飾り」や「みせかけ」のための「虚飾」を一顧だにしなかった。実に立派です。本当の「静かなる勇気」がないとそんな風にはいかない。ただ、この世を生きていくには、それなりの防御も要れば虚飾も時には必要、そこを辛うじて支えていたのはやはり「絵」だった。君の「王国」だった。だれが何と言おうと君は「国の王」だった。他人に対する攻撃性を持たなかった君は、十分柔軟で率直で、あえて言えば弱かった。その高貴な弱さは、君自身に知らぬうちににちいさな「傷」をおびただしく付けていったのだろう。しかし、最期まで君は「王」でありつづけ、ますます冴えた作品を描き続けた。
君の絵をノスタルジーとか滅びの美などと評するのは簡単だ。君がその体内に一生かかって醸成してきた「体液」が絵の具となって、キャンバスの上でしたたかに躍動し、躊躇し、濁り、冴え、世の不条理とやりきれなさと割り切れなさ、そしてそれにもかかわらず込み上げてくる人間に対する「愛」「希望」、なんと混沌たる豊穣、哀愁・・・画面は静止したノスタルジーではない。このノスタルジーは力に溢れむしろ生き生きと「溯上」する。ぐいぐいとどこまでも見るものをひっぱって、あるいは追いつけないくらいぐいぐいと溯上して、どこまでいこうとするのか、それが君が自らの作品に遺した「謎」であり、残された者への渾身のメッセージだ。

岩崎雄造

◆B1F deuxにて 12:00~19:00
※火曜日は~18:00、最終日は~17:00まで。

※「高野卯港スケッチ帖」
2/21より発売予定 風来舎 A5変形 96P 作品63点

■会場の様子 ※画像をクリックすると拡大して表示されます。

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