2021年12月蝙蝠日記「二つの本」

二つの関わりのある大部の本が準備されている。

一つは南輝子(歌人・詩人・画家)さんによる、『神戸バンビ耽溺者(ジャンキー)』。

神戸にあった巨大スピーカで聴かせる、伝説のジャズ喫茶「バンビ」。そこを拠点とする人間模様は、私の合唱やクラシックと重なることはないが、しかしひりひりと接しあう人間模様はジャンルを超えて心を殴打する。

父がジャカルタで虐殺されたこと、そのことが沖縄で丸木位里、丸木俊「沖縄戦の図」を核とする佐喜眞美術館と、韓国にルーツがある松村光秀とを深く繋げた。そして板橋文夫が「ロイクラトーン」を弾き、南輝子も松村も聴いた。2007年1月のここでのライブを南輝子は歌集「沖縄耽溺者(うちなージャンキー)」(ながらみ書房、2010年刊)で書いている。

Roy-cwratone わが魂をゆさぶつて清めつくすよ蕊の蕊まで

1999年(震災4年)、岩岡でのコンサート「祈りのライブ」に通った、それからの南の歩みはとてつもない。

後の一つは
『海の本屋のはなし   海文堂書店の記憶と記録』は平野義昌さんが執筆。2015年に苦楽堂から刊行されました。

今回は『海という名の本屋が消えた』という名で「みなと元町タウンニュース」に長期連載(11月1日発行の第351号で96回目)しているものを刊行することを平野さんに奨めています。

これは消えた海文堂とはほとんど関係なく元町地域の詳細細部の歴史発掘と言ってもいい基本文献です。

草地賢一さんのこと
「自分のコミュニティーのなかに、市民参画型、市民提案型の草の根民主主義を拡大してほしい。そのためにはボランティアが、チャリティー(慈善)にとどまることなく、ジャスティス(公正)の実現のためになって欲しい。」

ー『阪神大震災と国際ボランティア論―草地賢一の歩んだ道』に、私が“神戸宣言に生きようとした戦士”として草地さんを書いたなかから。

岩波新書の『神戸発 阪神大震災以後』(1996)に草地さんが「市民とボランティア」を書き、私が「神戸に文化を」を書いた。それが『ひとびとの精神史』へと繋がったのでした。

1995年1月17日、草地さんは自宅で震災に遭遇。19日に「阪神大震災地元NGO救援連絡会議」を設立。その拠点は当時の私の海文堂書店に近く、活動を身近に共にしました。

そして震災から半年がたち、県の呼びかけに呼応し、さまざまな分野の専門家12名で構成する被災者復興支援会議が発足した。草地さんは震災前からのNGOあるいはボランティア関係の役割として参加し、私もなぜか選ばれてそこにいた。文化という視点だったのだろう。貝原俊民知事(2014年不慮の交通事故でなくなる)のもと、この会議を通じ「官から頼まれてもやらない」「官から頼まれなくてもやる」というボランティアの思想が創りあげられていった。支援会議の全体会議は78回。移動いどばた会議は143回、フォーラムは61回。1998年3月までの凄まじい活動を草地さんと共にした。

「語り出す 学ぶ つながる つくる 決める」ーその後の「被災者生活再建支援法」などに繋がっていく、この流れのなかに現在の多彩な人材、担い手が育っている。

1999年12月29日。震災とNGOの「防災」国際フォーラムの打合せの最中に体調を崩し入院。1月2日、心肺停止、マラリアによる敗血症。享年68才。

2021年11月「設立 1992 から 今 2021 これから 未来へ」

1990年5月28日 40才の若さで亡くなった、一人の神戸市民・亀井純子さんの思いがきっかけとなり神戸文化支援基金は生まれました。

設立1992年7月23日 「公益信託 亀井純子文化基金」の誕生

当時、財団をつくるには基本財産が最低でも1億と言われました。

後々、最後までお世話になった新野幸次郎さん(神戸都市問題研究所長・元神戸大学学長)の助言と仲介の尽力で誕生しました。

例がないと門前払いの県行政に対し、メセナ時代といわれる現代の新しい地平を拓く事例として認めるようにという助言でした。

今後も年間百万円以上の助成を行うことを条件に許可がおりたのが1992年7月23日でした。1300万からの旅立ちでした。

足跡 亀井純子さんの名を冠した基金から卒業し、一般財団法人としました。
2009年10月15日「一般財団法人 神戸文化支援基金」
2011年4月1日 公益財団法人神戸文化支援基金として認定されました。
さらに、活動の幅を広げました。
東日本大震災への支援、「アーツエイド東北」の設立に関わる。
この後 公益財団法人神戸文化支援基金の中に1千万円以上の寄付を戴いた方には「冠名基金」としました。

「島田誠・悦子基金」   2011年
「河本昭男・やよい基金」 2016年
「島田誠・志水克子基金」 2018年

名を冠していますが、財団としての資金使途はすべて運営委員による審議に則り助成されます。

今までの受取寄付金​​​156,416,453円
助成実績​​​​  75,035,058円

2020年 コロナ禍による緊急支援助成  900万円。県下6地区に分かれ53件を助成。
今、リアルに起こっていること
2021年の助成実績はは26件 680万円でした。
助成対象の倍ほどの申請を丁寧に審査し、決定したものをHPでご覧いただけます。

活動内容の整理
1 申請を受けて活動助成
2 KOBE  ART  AWARD
3 特別プロジェクト助成
4 緊急支援助成

時代的な状況に応じて今後の対応を考えていきます。

亀井純子さんの名を記した時代の19年、公益財団法人神戸文化支援基金として認定されてから10年になります。

それにしても脈々と流れる亀井純子さんのスピリットに今更ながら驚きます。

未来へ   こぶし基金のめざす歩み
2020の緊急助成の翌年に「こども未来プロジェクト」に取り組もうとしました。今は国を挙げ、地域を挙げ「こども」に眼差しが行っている感じがします。では、私たちがなすべきことは何なのかをゆっくりと考えたいと思います。そのためにもこぶし基金のあり方そのものも変えていきたいと考えています。

こぶし基金の助成活動は従前の助成事業とKOBE ART AWARDを合わせて年間300万で推移してまいりました。

しかしコロナ禍に見舞われた昨年は上記のとおり680万の助成を行いました。

こぶし基金の誕生から成長の足取りに至るまで亀井純子さん、そして亀井健さんの精神を受け継ぐものとして島田誠が理事長を務め、多くの評議員・理事・事務局の皆さんと歩みました。すべての皆さんに感謝の言葉しかありません。

こんなことまであけすけに書くのかと思いますが、財団のHPのTOPに書かれています。

2021年11月末現在 基金残高 74,564,553円

へえ、そんなに!と驚く私ですが、そのすべてが、いはば無名のご寄付によるものであることに、身が引き締まる思いなのです。

2022年は新しい体制で、新しい取り組みを・・・・

長い歴史をもち、相当の基本財産をもちながら「こぶし基金」には固定的な事務所費、人件費が不要であり柔軟に対応してきました。

しかし、2022年には新しい理事もお迎えして、こぶし基金も生き生きとした兵庫・神戸の文化的未来図を書く主体となりたいと願っています。

2021年10月「加藤陽子さんとの出会いと今」

中井久夫『樹をみつめて』(みすず書房・2006年)は「神戸は生きる喜びのためにある街だ。詩人と画家が多い」そしてまた「戦争の切れ端を知るものとしてその”観察”と題して提出せざるにおれないきもちで」書かれたとある。

本書の書評をその年の10月29日の神戸新聞文化面「ひょうご選書」に私が書いた。そして、その中の『戦争と平和  ある観察』を、戦後70年、神戸の震災から20年の年、2015年8月に人文書院から刊行され、加藤陽子さんは聞き手として【対談】「中井家に流れる遺伝子」で中井家の戦争体験を聞き出しました。私は最後に中井先生との対談「大震災・きのう・今日ー助け合いの記憶は『含み資産』」に出ています。

退陣した菅首相による「日本学術会議の会員候補6名の任命拒否」でただ一人名を挙げたのが加藤陽子さんでした。その首相が1年で座を去りました。
私は上述の通り加藤さんと縁があって、存じ上げ、中井久夫さんの『戦争と平和  ある観察』に加藤さんと共に拙文を載せていただきました。
その後、私は加藤陽子さんの著作『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)ー小林秀雄賞受賞ーも読みましたが、その加藤さんの名を上げて任命拒否。政権が個人を「弾圧」する。菅退陣の社説でもこの件を指摘していましたが安部から続く政治の退廃は私たちの責任でもあります。

その後、加藤さんの書かれたものを読みふけっています。

『太平洋戦争への道  1931-1941』(半藤一利・加藤陽子・保坂正康、NHK出版新書)。そして『この国のかたちを見つめ直す』(毎日新聞出版)。

『この国のかたちを見つめ直す』の冒頭に「危機の時代には、国家と国民の関係を国民の側から問い返して、見つめ直すことが必須となろう」とある。
そして学術会議の任命拒否問題についてたずねるインタビューに「私は、この国民世論のまっとうさに、信を置きたい」と答えておられる。
縁をいただいた私も、「この国のかたちを見つめ直す」者として信を返したいと思います。

新聞が退陣を報じるなかで政権発足直後の日本学術会議会員候補6人の任命拒否のことにも触れられています。このこと一つで菅氏には首相の資格は無かったのでした。今回の退陣は、当然であり必然ですが、世界を覆うパンデミック以前に自壊を続ける日本を立て直すのは政治ではなく地域に基盤をもつNGO、NPOや市民力なのでしょう。

『戦争と平和  ある観察』(人文書院)はすでに版元では絶版なのですがギャラリー島田では残部僅少でお求めいただけます(¥2,300+税)。

地下会場で、中井久夫『関与と観察』(みすず書房)や加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』などの書籍を資料としてご覧いただけます。

 

髙村薫『作家は時代の神経である   コロナ禍のクロニクル 2020→2021』

髙村さんの『春子情歌』『冷血』『新リア王』『空海』『太陽』などを読みふけってきました。ギャラリーの作家を共に尋ねたりお見えいただいたりの日々が懐かしく本書もすぐに求めました。
「ご飯論法」のように日常的にほとんど質疑の体をなしていない昨今の国会の問答は、もはや日本語の解体というべき事態である。度重なる公文書の改ざんや議事録の破棄。いまやこの国は記録や文書の意味を解さない未開国であり、多くの場面でいちいち国民に嘘をつく手間すらかけなくなった烏合の衆が政治ごっこをしているのだと言ってよい。そんな末法の世に、私たちは汗水たらして生きている。(P.68)

学術会議、任命拒否の暴挙「説明しない」というファシズム。日本学術会議が推薦した新会員105名のうち6名が除外され、その理由は「説明しない」というファシズム。
独善と無責任の「日本病」、個々の責任を問わない社会の甘さが非効率のはびこる独善を生み、独善が無責任な楽観を生むのである。
髙村薫さんには、「加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸」で「東北の復興、福島の復興と日本の明日」にお招きをして赤坂憲雄さんと対談していただき、私が進行させていただいた(2014年1月12日)。その後もご縁をいただき、関心をいただいた山内雅夫さんのアトリエを共に尋ねたりしたことも懐かしい。

2021年9月「後藤正治さんのこと」

後藤正治さんの自選エッセイ集、“40年目のケルン”たる『拠るべなき時代に』。

ノンフィクションを書きはじめて40年になる後藤さんの近年の時評・人物論・作家論・書評・エッセイが収められています。

 Ⅰ 時評もどきの Ⅱ 人々の足音 Ⅲ 作家達 Ⅳ 書を評す Ⅴ プロムナード

「すべては往時茫々であるが、それでもいま一歩、足を前に運びたく思う」という後藤さんの言葉。

最後は「それなりに生きたよ」とある。

「過去はただ過ぎに過ぎる」。これは後藤さんが名著『天人』で描いたコラムニスト・深代惇郎の言葉。

後藤さんが40年を締めくくる自選エッセイ集に「拠るべなき時代に」とタイトルを表しておられることは、2年前に大病され死神が近くまで来たと書かれていることからも、全体を貫く強い意志が伝わります。

今、私が様々な脳の不調を抱えながらなんとかあるのは後藤さんに大きく支えていただいてきたことを思うのです。手元にあった『奇蹟の画家』を久しぶりに読み返しても、石井一男さんも私も、ここに書かれていることに恥じなく生きることを心の底で抱えて生きているのですね。

私の側から後藤正治さんとの出会いを思い出すと、その日突然かかってきた電話がはじまりでした。

神戸に関わることになり、後藤さんの周囲の人から、島田さんという人がいいと名が上がったらしいのです。

一度お会いしたいというお電話でした。後藤さんがどのような方と知らぬままお会いすることになりました。

訪ねてこられたのはソフトな紳士で、これが著書でと、文庫本を渡されました。たしか『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』だったと記憶します。

ポートアイランドに新設される大学「神戸夙川学院大学」の教授をされるという話でした。

神戸の人脈も何もしらないとのこと。

ネットで後藤さんを検索することもせず、なにかお役にたてればと思いました。そして乞われるままにまだ新設大学で生徒もまばらの大学で、いまは何を話したのか朧げですが、ギャラリーですからどんな作家を紹介しているかの話をして、すでに評判をとっていた石井一男さんのことも話したのです。まったく無名での出会いのこと、その作品が多くの人々の心を打ったことなど。

その物語が後藤さんの心をとらえた。そんな人がいるのかと。

後藤さんの『奇蹟の画家』は2009年12月に講談社創業百周年記念の書下ろし作品でした。

テレビの「情熱大陸」でも取り上げられ、知らぬ人なき人気作家、すなわち完売作家として続いてきたのは後藤さんのおかげです。今、読み返してみて石井一男さんのことはもちろん私の生まれからその後の生い立ちにいたるまで詳細に正確に書かれていて、私の人生に何一つ足すことも引くこともないです。現在「週間朝日」で集中連載されている「追想 漢たらん」に5ページにわたって書かれている「石井一男と島田誠」も(2021年7月30日号)。

とはいえ、私が後藤さんに心を寄せるのは、後藤さんの世界に魅せられたからで、多くの作品が刊行されるつど夢中になって読んできました。『清冽』『天人 深代淳郎と新聞の時代』『不屈者』『拗ね者たらん』などなど。

後藤さんの著書でひときわ深く傾倒したのは『天人  深代惇郎と新聞の時代』です。

「天に声あり、人をして語らしむ」人はそれを「天人」と呼ぶ。天声人語の書き手ですね。

我が家は朝日新聞とは深い縁があり叔父(島田巽)が論説副主幹、私の二人の従兄弟も朝日で働いていた。

そして「倚りかからず」に生きた詩人・茨木のり子の評伝『清冽』。後藤さんが茨木のり子について書くきっかけは「私が一番きれいだったとき」でさらにそれは写真家の石内都が撮影した広島で被爆して女性たちの遺品の写真に触発されたそうです。西宮大谷記念美術館でつい先日、その写真展を見ました。

    清冽の流れに根をひたす

    わたしは岸辺の一本の芹

    わたしは貧しく小さな詩編も

    いつか誰かの哀しみを少しは濯うこともあるだろうか   茨木のり子「古歌」より

『茨木のり子の家』(平凡社 2010年)は何度も見返してきました。なんといっても書棚の写真が興味ぶかく親しい神戸の詩人『安水稔和全詩集』がドンとあり、安水さんに伝えたら喜んでおられました。そしてお別れの挨拶の下書きがあり、なるほどと思いました。

今すべきでない五輪が無理やり開催されました。

『拠るべなき時代に』の一章「書を評す」に「五輪の書を読む」があります。東京五輪から失われたもの・・・肥大化、商業化、プロ化・・・大切なものを失ってきた。

その無残な形骸を目の当たりにする私たち。

1964年の東京オリンピックでの勝者モハメッド・アリとベラ・チャスラフスカはともに1942年生まれ、私と同年です。

後藤さんの2012年の自選エッセイ集のタイトルは『節義のために』でした。

チェコスロバキアの民主化運動に関わったベラ・チャスラフスカが不利益を承知で民主化運動に関わった。そのことを聞くと「節義のためにそれが正しいと信じた」と答えた、とある。

2021年7月蝙蝠日記 寄稿「パンデミックの時代に」

2020年4月から画廊通信で、世界を震撼させている「コロナ禍」の現在を特集してきました。私達がギャラリーや財団、サロンなどで繋がっている皆さんが、世界中でこの未曾有の時をどのように過ごし、どのように考えているのかを伝えていただくものです。
今号までで28回。まだ続き、最終的に冊子として纏める予定です。
お願いした皆さんと、その内容、地域は下記のようになります。

1 森孝一     (公財)神戸文化支援基金
2 藤野一夫    神戸大学      ドイツ
3 きたむらさとし   絵本作家      英国
4 武谷なおみ   イタリア文学​ イタリア
5 松谷武判    美術家       フランス
6 服部孝司    (公財)神戸市民文化振興財団
7 ひがのぼる   子ども国際交流
8 松田素子    編集者    宮沢賢治
9 山崎佳代子   詩人     セルビア
10 後藤正治    ノンフィクション作家
11 松塚イェンセン哲子 美術家  デンマーク
12 名倉誠人    マリンバ奏者 アメリカ
13 弓張美季       ピアニスト   オーストリア、ドイツ
14 辰巳リリアナ             ブルガリア
15 長谷川さおり   美術家    ドイツ
16 塩見正道    映画     堀田善衞
17 石橋毅史    文筆業    香港、台湾、韓国
18 森井宏青    美術家    フィンランド
19 フランティシェック・ノボトニー ヴァイオリニスト チェコ
20 マウロ・イウラート ヴァイオリニスト  ヨーロッパ
21 セキヤマキ   ピアニスト    英国
22 島田剛     国際協力   アフリカ
23 山田晃稔    美術家    フランス・ペルシュ地方
24 片山ふえ    著述家    ロシア
25 松谷武判    美術家    フランス
26 中川真     国際協力   ミャンマー
27 伊良子序      ジャーナリスト   イタリア
28 斉藤祝子    美術家    カナダ

最終的には30名になると思います。

今号で斉藤祝子さんが世界最長となったカナダ・トロントのロックダウンについて書いてくださっています。
法哲学者の井上達夫さんは、欧米のロックダウンに比して、危機の実相を直視していないと、日本の状況について述べています。同調圧力による社会的制裁でいいのか、と。

鞆の浦のこと
万葉歌人、大伴旅人が妻をしのんだ歌が残る広島県福山市 鞆の浦(とものうら)で、県道建設に伴う港湾の埋め立てを広島地裁が差し止めたのは2009年のこと。判決は鞆の浦の景観を「文化的・歴史的価値をもつ国民的財産」としました。
その鞆の浦を描いた高野卯港さんの「鞆の浦風景」が森栗茂一さん(大阪大学名誉教授)の努力で「鞆の浦歴史民俗資料館」に収蔵されたのは素晴らしいことでした。
これは、卯港さんの亡くなった翌年2009年にギャラリー島田で開催した「高野卯港追悼展」でも展示していた作品です。
卯港さんは奥さんの京子さんと鞆の浦を訪れ、その風景を描きはじめました。
「鞆の浦風景」が完成したのは卯港さんが亡くなる1か月前でした。

あぶり出しのように…
2年前に転倒し、一時気を失って救急車で搬送された。その後、記憶に問題が起こり、再検査。
文字が書けない、図形が描けない…。
この年齢に達して、この日々はとても辛い。説明しても分かってもらえない。
脳の老化は仕方がない、これからは「老い」を生きてくださいと医師が伝えた。
孫の迪ちゃんとひらがな練習を一緒にしたり、そんな日々がしばらく続いた。
去年の誕生日には『声の記憶 「蝙蝠日記」2000-2020 クロニクル』を出版した。私のその状態を案じた「風来舎」の伊原さんが纏めてくれた。
私のその時の状態は「読む」「選ぶ」が出来なくて、すべてお任せでした。
ギャラリーの仕事も財団の細部にわたる仕事も、ほぼ任せるようにしてきた。
大体のことは委譲しながら、自分の残りの日々を数えている。
それがこのごろは摩訶不思議なことに、記憶や文字が日々の営みのなかで「あぶり出し」のように蘇ってきた感じがあります。不思議です。何の欲もない日々だからでしょうか。
私は、人とのやり取りはメールや電話ではなく、ハガキか手紙なのです。それが10日ほど前から、まあ整った字でほぼ間違いもなくかなり長い文章が書けて、自分でびっくりしています。

2021年6月「記憶を積み重ねて―メモリアルブックの歩み―」

フランス・ニースのギャラリーFEREEROでCÉSARとARMANを求めた。

立派な画集に2人がそれぞれMakoto Shimada と私の名を記し、作品の色彩素描を添えて送って下さったのがメモリアルブックの果てしない旅の始まりでした。
そして、阪神大震災。その元町駅前に復興支援館が出来た時にしっかりと骨格のある CÉSAR作品が破壊と再生の象徴として巨大な存在感を放っていました。その後、兵庫県立美術館が誕生した時、南へのエントランスに震災の象徴のように座していた CÉSAR は今も座していますが、その震災からの象徴は、重量級の破壊の象徴はどこまで知られているのでしょうか。
セザールが阪神大震災のあと、安藤忠雄さんの求めに応じて送った大作彫刻「エッフェル塔へのオマージュ」。これが元町の復興支援館フェニックスプラザの前に置かれていて、のちに兵庫県立美術館のエントランスに、今でもある。 「エッフェル塔へのオマージュ」であることは私も忘れていた。私の「忙中旅あり」の「駄々っ子アルマン」P86 にあった。
(皆さまへ  「忙中旅あり」はご希望の方に無料で贈呈させていただきます。ギャラリーにお立ち寄りの際にお声がけください。)
今、私のデスク脇にある皮装のメモリアルブックの中の、フランスからイタリアからアメリカからスペインからイギリスからフィンランドから集まった作品たち。ざっと18冊でしょうか。最初のころの作家を抜き書きしてみます。

ヨルゲン・ナッシュ Yorgen Nash(スウェーデン) ―――1988

中島由夫(スウェーデン) 嶋本昭三 石井一男

フェルナンド・モンテス Ferando Montes (チリ) アルマン Arman (ニース)

セザール César (ニース)    西村功 村上三郎 元永定正 白髪一雄 灰谷健次郎  ―――1992

トミー・ワイディング Tommy Widing (ジャマイカ)   栗山茂 (ニース)

グラハム・クラーク Graham Clarke  (イギリス)

井上よう子  木下晋  ―――1993

黄鋭  津高和一  西村宣造  荒木高子

ノエル・コープランド Noel Copeland (ジャマイカ)  ―――1994

筒井伸輔  *筒井康隆さんご子息  ―――1997

松田百合子 ―――1998

ジョセフ・ラブ Joseph Love ―――1999

ヘールト・ファン・ファステンハウト Geert van Fastenhout (オランダ)

吉増剛造、マリリア・コロー Marilya Corlot ―――2000

まさに「メモリアル」で、いまや故人となった作家、外国の作家などが並んでいます。
18冊。点数にして800から900点ほどはあるでしょう。
なぜこんなにたくさんの作品が描かれてあるのでしょうか。
それは1980年頃から積みあがった海文堂ギャラリーからギャラリー島田への、この2021年へと至る40年の歩みの証言そのものなのです。
この作品たちはギャラリーとして販売を目的とはせず、したこともありません。
だからこそ、丁寧な革装として残り続け、それぞれの作家は他の作品を目にし、その世界を知り、また自らの世界をメモリアルとして残すのでしょう。
そう、メモリアルは記念碑ですから。どのページも自らの、そしてギャラリー島田の多くの作家たちとの・・・・
物を書く人は書いたものを残す。描く人は描いたもの、すなわち作品を残す。それをメモリアルとして残す。何百人という画家が刻印するのです。
かつてこのメモリアルブックをスライドショーで3回ほど上映を試みましたが、毎回3時間ほどかけても見切ることはできませんでした。
1980年と言えば、今を生きる作家たちは、絵を描くことすらまだなかったかもしれませんし、ここに名のある作家すら知っているかどうか。彼らもそこに自らの作品を残すことになります。
そして、それぞれの作家がこれからの時代に残す足跡を楽しみにしているのです。
私にとっては新しい旅路を知ることはないかもしれません。しかし、今、新しい旅路にあるスタッフ、あるは作家たちにとって、これらは、どこにもない、かけがえのないメモリアルなのです。

2021年5月「伊津野雄二さんと共に 」

聞いたこともなきパンデミックのうちに夏から秋へ、穏やかに冬を迎え、そして春がきた
私達をそして知る多くの人の命を抱き込むように
生死の水際に誰もがあり 私も共にある

私の脳は今あることが不思議である
心の彫像 安らぎの韻律 永くあることの恩寵

瀬戸内の日々 そこで生まれ 泳いだ日々
70過ぎた日々に今も ゆったり明けて行く
それを眺める 大阪 和歌山 淡路 徳島 愛媛 香川 美しすぎる多島美

そして知多の日々 伊勢湾 知多湾 三河湾を経て太平洋へと通じる

久しぶりにギャラリーB1Fでの伊津野雄二展
そして1Fではコレクションによる伊津野雄二展
こうして全体を見渡せば大作、小品。テラコッタ、組作品、水彩、デッサンなど実に多彩で見惚れてしまいました。
ギャラリストとしても気持ちよく展示構成が出来ていました。
画集「光の井戸」も数少なくなりました。
とともに、こんな時こそ、今、ここに、ここでこそ心の彫像、安らぎの韻律とともに・・・  どうぞ・・・ おすごしください。

ポンピドゥーセンター 

前号の「パンデミックの時代に25」はフランスから松谷武判さんの「Covid-19に遭遇して」でした。
そこでこの ポンピドゥーセンターについて「1977年ピアノとロジャースが設計し建築した、裸のまま機能設備がオブジェ風に露出する前衛的建築の実験的総合芸術センター」と紹介されていました。私は大好きで数限りなく行きました。
私のポンピドゥーセンターへの偏愛については、2000年に出版した『忙中旅あり 蝙蝠流文化随想』の一章「我が愛しの王国」で語っています。
そういえば、ギャラリー島田では個展をされる作家は全員、革装のMemorial Bookに自画を必ず描いて頂いています。
今は何枚になるのでしょうか?
昔はこの ポンピドゥーのお洒落なshopで買ってきました。最初のころの5,6冊はここのものでご覧いただけますが、その後各地の革装画集を画家の皆さんにもお願いしたもので、私たちはこれをMemorial Bookと呼んでいます。
松谷さんによれば、この ポンピドゥーが補修改築を余儀なくされ、2023年末から3年間、閉館をするそうです。

画家の皆さんによるメモリアルブック

さてそのMemorial Bookですが、ギャラリーで展覧会をされる作家にそこに絵を描いていただくことを始めたのは1992年1月28日のことです。
1992年は今に連なる多くの作家と出会い、公益信託「亀井純子文化基金」(現在の公益財団法人「神戸文化支援基金」)が誕生した年でもあります。
そして1995年の阪神淡路大震災が私たちの航路を定めました。
これらの本は私が海外へ行く都度に求めたもので装丁もサイズもまちまちですが、美術をめぐる旅の思い出に繋がっていて今では14冊目となりました。即興的であったり、本音や、別の面がでていたり、とても興味深いものです。これも本にまとめる計画があります。

『詩の好きなコウモリの話』

ランダル・ジャレル 作、モーリス・センダック 絵、長田弘 訳。
この頃ではコウモリの姿が見えなくなったのは、人間の暮らしのなかに自然がうしなわれるようになってからです。人間だけの世界ではない。動物も植物もいっしょに住んでいるのだ。そのことを忘れていると、いつか春がきても鳥たちがうたわなくなる世界がくる。そう警告したのは、有名な「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソンでした。
これは「沈黙の春」を望まない小さなコウモリの話です。

『天の劇場から』

「いのち一つ消えるということは、一人の死にとどまることを意味しません。死者を忘れかけている人々の心の傷は、時と共に癒えるかに見えながら、また新しい傷口となって血を流しつづけ、一人の死は縁ある多くの人々の心に突き刺さった鋭い鏃ともなるのです。」(澤地久枝『いのちの重さ』)

2021年3月「夜が明ける、夜は明ける」

2011年4月のこと

仙台入りし「アーツエイド東北」の設立に関わりました。6度目の東北入りの時に仙台メディアテークでの加川広重の「かさねがさねの思い」という展覧会にて震災後描かれた1作目「雪に包まれる被災地」という作品に出会う。すぐに加川さんに是非、神戸で紹介したいと伝えた。なんの実現への見通しもないままに。

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「加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸」展は、東北の文化復興を支援する市民活動をきっかけとして誕生した。東日本大震災は神戸の市民を再び目覚めさせ、市民からの寄付を東北の文化復興に直接活用できる仕組みを作ろうとした。

神戸での展覧会はどこで、という開催場所のあてがあるわけでもなく、でもやらねば、とだけ思いつめていたその時、出会ったのがKIITO(デザイン・クリエィティブセンター神戸)でした。その時は加川さんの巨大画のためにあるとしか思えませんでした。展示出来たことは本当に奇蹟的なことだったと思います。

2013年「雪に包まれる被災地」、2014年「南三陸の黄金」、2015年「フクシマ」が続いて開催され、巨大絵画の前でシンポジウム、コン サート、映画上映など多彩な関連プログラムも同時に展開されました。

2015年「フクシマ」展は、神戸の震災から20年に重なって、福島の復興を中心に東北の「今と明日へ」をテーマとした、開催となりました。この三つの記録誌は、未曾有の記録としてあります。

作品「フクシマ」について

福島第一原発の近くで人の気配のない街を歩き、津波の被害そのままの状態で雑草に覆われる車や船を見、生まれ育った故郷を追われた方の怒りをお聞きして、私の中に生まれた想いをこの絵にぶつけました。

加川広重

フクシマは今も収束していませんが、6年前にはさらに厳しい政治的課題もある中で、市の施設で市の協賛で開催するのですから、よくぞ実現したものです。

こうした困難の数々を神がかり的に突破してきたのは、加川広重の被災地、そしてそこに今なお暮らす人たちへの強い思いが伝わるから。そしてそれは今、世界が直面していることとも直に繋がっているからです。

2021年、今回は巨大絵画ではありませんが、ギャラリー島田の地下空間全体を使って加川広重展「3.11  夜が明けるまで」を開催いたします。作品とともに、資料展示も含めてみなさまと今を、明日を考える場にできればと思います。

2021年2月「中井久夫先生に教えられた大事なこと」

2015年1月、中井久夫『戦争と平和  ある観察』が人文書院から刊行された。
戦後70年、神戸の震災から20年。戦争を二度と起こさないために自身の戦争体験を語る、とある。
この中に災害を語る・災害対応の文化の章立てがあり、先生と私の対談がありました。

  『戦争と平和  ある観察』

I
戦争と個人史
私の戦争体験
【対談】 中井家に流れる遺伝子  ×加藤陽子

 II
災害を語る
災害対応の文化
【対談】大震災・きのう・きょう 助け合いの記憶は「含み遺産」×島田誠

 『戦争と平和  ある観察』は名著です。
そしてまた、皆さんにお伝えしたいのは 加藤陽子(歴史学者)のこと 。
今度の政府が、日本学術会議への6名の就任を拒否。菅首相がただ一人読んだことがあると名を挙げた方です。
加藤陽子さんは『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)という高校生に向けて書かれた著作で第9回小林秀雄賞を受賞。

    新春詠(朝日新聞)

    明かされぬ理由は誰もが考へる よおーく考へろよと睨まるるごと

    あのことを許したのがすべてのはじまりとわれら悔ゆべし遠からぬ日に

                         永田和宏「学術会議」

特集「パンデミックの時代に」 

人類の歴史の中で地域を超えた災厄に晒されたことは知識としては知っていても、私たち自身がただ中にあることを今現在、自覚的、主体的に生きているわけではない。日々の情報と場当たり的な対応ではなく、文明の結節点をどのように生きるのかを、世界への眼差しから受け止めたいと、今月号で21人の方から14か国についての寄稿をいただいています。9月頃には、累計で30名の世界各国の皆さんから寄せられた「声」とともに、今を生きる私達の在り方を考えるゲスト寄稿も収録したブックレットとして刊行いたします。

『声の記憶 「蝙蝠日記」2000-2020クロニクル』が生まれて 

人は生まれ 生き 病み 死す
その循環の中で 何事かを成す
今回の「声の記憶」はリランズゲートへ移ってからの記憶であり、その前史として元町時代がある。
海文堂書店増築 ポートピア 海文堂ギャラリー 阪神淡路大震災 兵庫アートウィーク IN  TOKYO 東日本大震災
加川広重巨大絵画プロジェクト 公益財団法人神戸文化支援基金へ…
これらの前史についてはそれぞれの詳細な記録誌を刊行している。

 そして 作家・作品通史
海文堂から今にいたる記録を残し続けています。

中井久夫    『戦争と平和  ある観察』        限定5冊 販売いたします。2300円+税

2021年1月「パンデミックの時代に」

天地萬物は無始無終の「時」というものの上に動いている。生々流転。一日一日の時は移り、一月一月の時は轉ずる。そして一年一年が過ぎていく。何処からきて何処へ去るのであるか知らぬが、「時」というこの大きな流れの上に私たちは生きている。

「日」も旅人だ、「月」も旅人だ、「年」も旅人だ。私たちもまた「旅人」でなくて何であろう。

『声の記憶』はいわば私の「老いの細道紀行」といった趣である。

           「この道や行く人なしに秋の暮れ」芭蕉

命あるものはみな不思議を生きる。目くらましに見ないで済ませてきたことがあからさまになるパンデミックの今。私たちは微力であっても、他人事ではない我事として考えたいと願ってきました。それはメディアで知る、読むではない、もう一つの「声の記憶」でもあります。昨年末で17人の寄稿をいただき、その多くが私たちと繫がる海外の「声」です。イタリア、フランス、ドイツ、アメリカ、イギリス、デンマーク、チェコ共和国、ベオグラード、韓国、フィンランドなど。2021年夏には計30名ほどの寄稿と、それを受けて、私達はこの時代をどのように生きるのかを纏めたいと思っています。

私達は日々の感染状況、経済、財政動向に振り回されている。でも私たちはそこから外れた新しい道を歩まねばなりません。

1995年1月17日 阪神大震災

2011年3月11日 東北大震災

2020年        コロナ禍

25年の日々の狭間で大きな天変地異と共にあった。しかし今回は特別だ。コロナ禍は国境を人種を超え、時空を超える。

日本にあり神戸に生きるにしても、歴史を抱き、世界に広がる友と語り、人としての明日を共にあゆみたい。

老いるという幸せ

私の手元にシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』がある。その刊行から50年がたつ。

私は「脳」の不規則な応答を友として長くある。経済成長を至上とする社会の中で若さ、効率、生産性ばかりが謳歌される時代が続いてきた。しかし死を視野に入れて年齢を受け入れれば、老いることが出来るという幸せをかみしめることは可能なのではないか。世俗の価値観を脱して本質を見つめ、美しさにいっそう敏感に、自分より他者に向かう時期としての老年期は、決して、惨めでも悲しくもない。老人の中には全ての年齢が閉じこまれている。

時と場によって心の年齢を変えられる。それは老人だけがもつ特権であり豊かさであるかもしれない。

新しい時代を生きるために

 

2020年はコロナ禍の渦中から新しい挑戦を続けてきました。

7月に2つの部屋とオンラインミュージアムを使って85名の作家が参加する「未来圏から」。この後、リアルな個展とオンラインギャラリーが連動することになり、作家とギャラリーが一体となることが多くなった。

情報発信としては、画廊通信(月1回)メールマガジン、展覧会案内(各2,3回)など、密度、頻度の高い発信を行った。スタッフ、アシスタントスタッフ、インターン、ボラテンィアの総勢11名がチームを成し、出勤調整し、モチベーションは極めて高い。ほとんどが書ける人だ。

そして、『声の記憶「蝙蝠日記」2000-2020 クロニクル』を出版。

2021年も、さらなる挑戦を続けます。

「特別寄稿 パンデミックの時代に」出版、アート・サポート・センター神戸の神戸塾サロン(コンサート・トークなど)を多彩に。公益財団法人神戸文化支援基金の取り組み、プロジェクト「こどもたち、若者たちの未来へ」に主体的に取り組みながら年間1000万程度の事業を検討しています。

留まることなきコロナ禍ですが、それでも皆、アートに関わる人としてなすべきことをなさねばなりません。