2021年9月「後藤正治さんのこと」

後藤正治さんの自選エッセイ集、“40年目のケルン”たる『拠るべなき時代に』。

ノンフィクションを書きはじめて40年になる後藤さんの近年の時評・人物論・作家論・書評・エッセイが収められています。

 Ⅰ 時評もどきの Ⅱ 人々の足音 Ⅲ 作家達 Ⅳ 書を評す Ⅴ プロムナード

「すべては往時茫々であるが、それでもいま一歩、足を前に運びたく思う」という後藤さんの言葉。

最後は「それなりに生きたよ」とある。

「過去はただ過ぎに過ぎる」。これは後藤さんが名著『天人』で描いたコラムニスト・深代惇郎の言葉。

後藤さんが40年を締めくくる自選エッセイ集に「拠るべなき時代に」とタイトルを表しておられることは、2年前に大病され死神が近くまで来たと書かれていることからも、全体を貫く強い意志が伝わります。

今、私が様々な脳の不調を抱えながらなんとかあるのは後藤さんに大きく支えていただいてきたことを思うのです。手元にあった『奇蹟の画家』を久しぶりに読み返しても、石井一男さんも私も、ここに書かれていることに恥じなく生きることを心の底で抱えて生きているのですね。

私の側から後藤正治さんとの出会いを思い出すと、その日突然かかってきた電話がはじまりでした。

神戸に関わることになり、後藤さんの周囲の人から、島田さんという人がいいと名が上がったらしいのです。

一度お会いしたいというお電話でした。後藤さんがどのような方と知らぬままお会いすることになりました。

訪ねてこられたのはソフトな紳士で、これが著書でと、文庫本を渡されました。たしか『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』だったと記憶します。

ポートアイランドに新設される大学「神戸夙川学院大学」の教授をされるという話でした。

神戸の人脈も何もしらないとのこと。

ネットで後藤さんを検索することもせず、なにかお役にたてればと思いました。そして乞われるままにまだ新設大学で生徒もまばらの大学で、いまは何を話したのか朧げですが、ギャラリーですからどんな作家を紹介しているかの話をして、すでに評判をとっていた石井一男さんのことも話したのです。まったく無名での出会いのこと、その作品が多くの人々の心を打ったことなど。

その物語が後藤さんの心をとらえた。そんな人がいるのかと。

後藤さんの『奇蹟の画家』は2009年12月に講談社創業百周年記念の書下ろし作品でした。

テレビの「情熱大陸」でも取り上げられ、知らぬ人なき人気作家、すなわち完売作家として続いてきたのは後藤さんのおかげです。今、読み返してみて石井一男さんのことはもちろん私の生まれからその後の生い立ちにいたるまで詳細に正確に書かれていて、私の人生に何一つ足すことも引くこともないです。現在「週間朝日」で集中連載されている「追想 漢たらん」に5ページにわたって書かれている「石井一男と島田誠」も(2021年7月30日号)。

とはいえ、私が後藤さんに心を寄せるのは、後藤さんの世界に魅せられたからで、多くの作品が刊行されるつど夢中になって読んできました。『清冽』『天人 深代淳郎と新聞の時代』『不屈者』『拗ね者たらん』などなど。

後藤さんの著書でひときわ深く傾倒したのは『天人  深代惇郎と新聞の時代』です。

「天に声あり、人をして語らしむ」人はそれを「天人」と呼ぶ。天声人語の書き手ですね。

我が家は朝日新聞とは深い縁があり叔父(島田巽)が論説副主幹、私の二人の従兄弟も朝日で働いていた。

そして「倚りかからず」に生きた詩人・茨木のり子の評伝『清冽』。後藤さんが茨木のり子について書くきっかけは「私が一番きれいだったとき」でさらにそれは写真家の石内都が撮影した広島で被爆して女性たちの遺品の写真に触発されたそうです。西宮大谷記念美術館でつい先日、その写真展を見ました。

    清冽の流れに根をひたす

    わたしは岸辺の一本の芹

    わたしは貧しく小さな詩編も

    いつか誰かの哀しみを少しは濯うこともあるだろうか   茨木のり子「古歌」より

『茨木のり子の家』(平凡社 2010年)は何度も見返してきました。なんといっても書棚の写真が興味ぶかく親しい神戸の詩人『安水稔和全詩集』がドンとあり、安水さんに伝えたら喜んでおられました。そしてお別れの挨拶の下書きがあり、なるほどと思いました。

今すべきでない五輪が無理やり開催されました。

『拠るべなき時代に』の一章「書を評す」に「五輪の書を読む」があります。東京五輪から失われたもの・・・肥大化、商業化、プロ化・・・大切なものを失ってきた。

その無残な形骸を目の当たりにする私たち。

1964年の東京オリンピックでの勝者モハメッド・アリとベラ・チャスラフスカはともに1942年生まれ、私と同年です。

後藤さんの2012年の自選エッセイ集のタイトルは『節義のために』でした。

チェコスロバキアの民主化運動に関わったベラ・チャスラフスカが不利益を承知で民主化運動に関わった。そのことを聞くと「節義のためにそれが正しいと信じた」と答えた、とある。

2021年7月蝙蝠日記 寄稿「パンデミックの時代に」

2020年4月から画廊通信で、世界を震撼させている「コロナ禍」の現在を特集してきました。私達がギャラリーや財団、サロンなどで繋がっている皆さんが、世界中でこの未曾有の時をどのように過ごし、どのように考えているのかを伝えていただくものです。
今号までで28回。まだ続き、最終的に冊子として纏める予定です。
お願いした皆さんと、その内容、地域は下記のようになります。

1 森孝一     (公財)神戸文化支援基金
2 藤野一夫    神戸大学      ドイツ
3 きたむらさとし   絵本作家      英国
4 武谷なおみ   イタリア文学​ イタリア
5 松谷武判    美術家       フランス
6 服部孝司    (公財)神戸市民文化振興財団
7 ひがのぼる   子ども国際交流
8 松田素子    編集者    宮沢賢治
9 山崎佳代子   詩人     セルビア
10 後藤正治    ノンフィクション作家
11 松塚イェンセン哲子 美術家  デンマーク
12 名倉誠人    マリンバ奏者 アメリカ
13 弓張美季       ピアニスト   オーストリア、ドイツ
14 辰巳リリアナ             ブルガリア
15 長谷川さおり   美術家    ドイツ
16 塩見正道    映画     堀田善衞
17 石橋毅史    文筆業    香港、台湾、韓国
18 森井宏青    美術家    フィンランド
19 フランティシェック・ノボトニー ヴァイオリニスト チェコ
20 マウロ・イウラート ヴァイオリニスト  ヨーロッパ
21 セキヤマキ   ピアニスト    英国
22 島田剛     国際協力   アフリカ
23 山田晃稔    美術家    フランス・ペルシュ地方
24 片山ふえ    著述家    ロシア
25 松谷武判    美術家    フランス
26 中川真     国際協力   ミャンマー
27 伊良子序      ジャーナリスト   イタリア
28 斉藤祝子    美術家    カナダ

最終的には30名になると思います。

今号で斉藤祝子さんが世界最長となったカナダ・トロントのロックダウンについて書いてくださっています。
法哲学者の井上達夫さんは、欧米のロックダウンに比して、危機の実相を直視していないと、日本の状況について述べています。同調圧力による社会的制裁でいいのか、と。

鞆の浦のこと
万葉歌人、大伴旅人が妻をしのんだ歌が残る広島県福山市 鞆の浦(とものうら)で、県道建設に伴う港湾の埋め立てを広島地裁が差し止めたのは2009年のこと。判決は鞆の浦の景観を「文化的・歴史的価値をもつ国民的財産」としました。
その鞆の浦を描いた高野卯港さんの「鞆の浦風景」が森栗茂一さん(大阪大学名誉教授)の努力で「鞆の浦歴史民俗資料館」に収蔵されたのは素晴らしいことでした。
これは、卯港さんの亡くなった翌年2009年にギャラリー島田で開催した「高野卯港追悼展」でも展示していた作品です。
卯港さんは奥さんの京子さんと鞆の浦を訪れ、その風景を描きはじめました。
「鞆の浦風景」が完成したのは卯港さんが亡くなる1か月前でした。

あぶり出しのように…
2年前に転倒し、一時気を失って救急車で搬送された。その後、記憶に問題が起こり、再検査。
文字が書けない、図形が描けない…。
この年齢に達して、この日々はとても辛い。説明しても分かってもらえない。
脳の老化は仕方がない、これからは「老い」を生きてくださいと医師が伝えた。
孫の迪ちゃんとひらがな練習を一緒にしたり、そんな日々がしばらく続いた。
去年の誕生日には『声の記憶 「蝙蝠日記」2000-2020 クロニクル』を出版した。私のその状態を案じた「風来舎」の伊原さんが纏めてくれた。
私のその時の状態は「読む」「選ぶ」が出来なくて、すべてお任せでした。
ギャラリーの仕事も財団の細部にわたる仕事も、ほぼ任せるようにしてきた。
大体のことは委譲しながら、自分の残りの日々を数えている。
それがこのごろは摩訶不思議なことに、記憶や文字が日々の営みのなかで「あぶり出し」のように蘇ってきた感じがあります。不思議です。何の欲もない日々だからでしょうか。
私は、人とのやり取りはメールや電話ではなく、ハガキか手紙なのです。それが10日ほど前から、まあ整った字でほぼ間違いもなくかなり長い文章が書けて、自分でびっくりしています。

2021年6月「記憶を積み重ねて―メモリアルブックの歩み―」

フランス・ニースのギャラリーFEREEROでCÉSARとARMANを求めた。

立派な画集に2人がそれぞれMakoto Shimada と私の名を記し、作品の色彩素描を添えて送って下さったのがメモリアルブックの果てしない旅の始まりでした。
そして、阪神大震災。その元町駅前に復興支援館が出来た時にしっかりと骨格のある CÉSAR作品が破壊と再生の象徴として巨大な存在感を放っていました。その後、兵庫県立美術館が誕生した時、南へのエントランスに震災の象徴のように座していた CÉSAR は今も座していますが、その震災からの象徴は、重量級の破壊の象徴はどこまで知られているのでしょうか。
セザールが阪神大震災のあと、安藤忠雄さんの求めに応じて送った大作彫刻「エッフェル塔へのオマージュ」。これが元町の復興支援館フェニックスプラザの前に置かれていて、のちに兵庫県立美術館のエントランスに、今でもある。 「エッフェル塔へのオマージュ」であることは私も忘れていた。私の「忙中旅あり」の「駄々っ子アルマン」P86 にあった。
(皆さまへ  「忙中旅あり」はご希望の方に無料で贈呈させていただきます。ギャラリーにお立ち寄りの際にお声がけください。)
今、私のデスク脇にある皮装のメモリアルブックの中の、フランスからイタリアからアメリカからスペインからイギリスからフィンランドから集まった作品たち。ざっと18冊でしょうか。最初のころの作家を抜き書きしてみます。

ヨルゲン・ナッシュ Yorgen Nash(スウェーデン) ―――1988

中島由夫(スウェーデン) 嶋本昭三 石井一男

フェルナンド・モンテス Ferando Montes (チリ) アルマン Arman (ニース)

セザール César (ニース)    西村功 村上三郎 元永定正 白髪一雄 灰谷健次郎  ―――1992

トミー・ワイディング Tommy Widing (ジャマイカ)   栗山茂 (ニース)

グラハム・クラーク Graham Clarke  (イギリス)

井上よう子  木下晋  ―――1993

黄鋭  津高和一  西村宣造  荒木高子

ノエル・コープランド Noel Copeland (ジャマイカ)  ―――1994

筒井伸輔  *筒井康隆さんご子息  ―――1997

松田百合子 ―――1998

ジョセフ・ラブ Joseph Love ―――1999

ヘールト・ファン・ファステンハウト Geert van Fastenhout (オランダ)

吉増剛造、マリリア・コロー Marilya Corlot ―――2000

まさに「メモリアル」で、いまや故人となった作家、外国の作家などが並んでいます。
18冊。点数にして800から900点ほどはあるでしょう。
なぜこんなにたくさんの作品が描かれてあるのでしょうか。
それは1980年頃から積みあがった海文堂ギャラリーからギャラリー島田への、この2021年へと至る40年の歩みの証言そのものなのです。
この作品たちはギャラリーとして販売を目的とはせず、したこともありません。
だからこそ、丁寧な革装として残り続け、それぞれの作家は他の作品を目にし、その世界を知り、また自らの世界をメモリアルとして残すのでしょう。
そう、メモリアルは記念碑ですから。どのページも自らの、そしてギャラリー島田の多くの作家たちとの・・・・
物を書く人は書いたものを残す。描く人は描いたもの、すなわち作品を残す。それをメモリアルとして残す。何百人という画家が刻印するのです。
かつてこのメモリアルブックをスライドショーで3回ほど上映を試みましたが、毎回3時間ほどかけても見切ることはできませんでした。
1980年と言えば、今を生きる作家たちは、絵を描くことすらまだなかったかもしれませんし、ここに名のある作家すら知っているかどうか。彼らもそこに自らの作品を残すことになります。
そして、それぞれの作家がこれからの時代に残す足跡を楽しみにしているのです。
私にとっては新しい旅路を知ることはないかもしれません。しかし、今、新しい旅路にあるスタッフ、あるは作家たちにとって、これらは、どこにもない、かけがえのないメモリアルなのです。

2021年5月「伊津野雄二さんと共に 」

聞いたこともなきパンデミックのうちに夏から秋へ、穏やかに冬を迎え、そして春がきた
私達をそして知る多くの人の命を抱き込むように
生死の水際に誰もがあり 私も共にある

私の脳は今あることが不思議である
心の彫像 安らぎの韻律 永くあることの恩寵

瀬戸内の日々 そこで生まれ 泳いだ日々
70過ぎた日々に今も ゆったり明けて行く
それを眺める 大阪 和歌山 淡路 徳島 愛媛 香川 美しすぎる多島美

そして知多の日々 伊勢湾 知多湾 三河湾を経て太平洋へと通じる

久しぶりにギャラリーB1Fでの伊津野雄二展
そして1Fではコレクションによる伊津野雄二展
こうして全体を見渡せば大作、小品。テラコッタ、組作品、水彩、デッサンなど実に多彩で見惚れてしまいました。
ギャラリストとしても気持ちよく展示構成が出来ていました。
画集「光の井戸」も数少なくなりました。
とともに、こんな時こそ、今、ここに、ここでこそ心の彫像、安らぎの韻律とともに・・・  どうぞ・・・ おすごしください。

ポンピドゥーセンター 

前号の「パンデミックの時代に25」はフランスから松谷武判さんの「Covid-19に遭遇して」でした。
そこでこの ポンピドゥーセンターについて「1977年ピアノとロジャースが設計し建築した、裸のまま機能設備がオブジェ風に露出する前衛的建築の実験的総合芸術センター」と紹介されていました。私は大好きで数限りなく行きました。
私のポンピドゥーセンターへの偏愛については、2000年に出版した『忙中旅あり 蝙蝠流文化随想』の一章「我が愛しの王国」で語っています。
そういえば、ギャラリー島田では個展をされる作家は全員、革装のMemorial Bookに自画を必ず描いて頂いています。
今は何枚になるのでしょうか?
昔はこの ポンピドゥーのお洒落なshopで買ってきました。最初のころの5,6冊はここのものでご覧いただけますが、その後各地の革装画集を画家の皆さんにもお願いしたもので、私たちはこれをMemorial Bookと呼んでいます。
松谷さんによれば、この ポンピドゥーが補修改築を余儀なくされ、2023年末から3年間、閉館をするそうです。

画家の皆さんによるメモリアルブック

さてそのMemorial Bookですが、ギャラリーで展覧会をされる作家にそこに絵を描いていただくことを始めたのは1992年1月28日のことです。
1992年は今に連なる多くの作家と出会い、公益信託「亀井純子文化基金」(現在の公益財団法人「神戸文化支援基金」)が誕生した年でもあります。
そして1995年の阪神淡路大震災が私たちの航路を定めました。
これらの本は私が海外へ行く都度に求めたもので装丁もサイズもまちまちですが、美術をめぐる旅の思い出に繋がっていて今では14冊目となりました。即興的であったり、本音や、別の面がでていたり、とても興味深いものです。これも本にまとめる計画があります。

『詩の好きなコウモリの話』

ランダル・ジャレル 作、モーリス・センダック 絵、長田弘 訳。
この頃ではコウモリの姿が見えなくなったのは、人間の暮らしのなかに自然がうしなわれるようになってからです。人間だけの世界ではない。動物も植物もいっしょに住んでいるのだ。そのことを忘れていると、いつか春がきても鳥たちがうたわなくなる世界がくる。そう警告したのは、有名な「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソンでした。
これは「沈黙の春」を望まない小さなコウモリの話です。

『天の劇場から』

「いのち一つ消えるということは、一人の死にとどまることを意味しません。死者を忘れかけている人々の心の傷は、時と共に癒えるかに見えながら、また新しい傷口となって血を流しつづけ、一人の死は縁ある多くの人々の心に突き刺さった鋭い鏃ともなるのです。」(澤地久枝『いのちの重さ』)

2021年3月「夜が明ける、夜は明ける」

2011年4月のこと

仙台入りし「アーツエイド東北」の設立に関わりました。6度目の東北入りの時に仙台メディアテークでの加川広重の「かさねがさねの思い」という展覧会にて震災後描かれた1作目「雪に包まれる被災地」という作品に出会う。すぐに加川さんに是非、神戸で紹介したいと伝えた。なんの実現への見通しもないままに。

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「加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸」展は、東北の文化復興を支援する市民活動をきっかけとして誕生した。東日本大震災は神戸の市民を再び目覚めさせ、市民からの寄付を東北の文化復興に直接活用できる仕組みを作ろうとした。

神戸での展覧会はどこで、という開催場所のあてがあるわけでもなく、でもやらねば、とだけ思いつめていたその時、出会ったのがKIITO(デザイン・クリエィティブセンター神戸)でした。その時は加川さんの巨大画のためにあるとしか思えませんでした。展示出来たことは本当に奇蹟的なことだったと思います。

2013年「雪に包まれる被災地」、2014年「南三陸の黄金」、2015年「フクシマ」が続いて開催され、巨大絵画の前でシンポジウム、コン サート、映画上映など多彩な関連プログラムも同時に展開されました。

2015年「フクシマ」展は、神戸の震災から20年に重なって、福島の復興を中心に東北の「今と明日へ」をテーマとした、開催となりました。この三つの記録誌は、未曾有の記録としてあります。

作品「フクシマ」について

福島第一原発の近くで人の気配のない街を歩き、津波の被害そのままの状態で雑草に覆われる車や船を見、生まれ育った故郷を追われた方の怒りをお聞きして、私の中に生まれた想いをこの絵にぶつけました。

加川広重

フクシマは今も収束していませんが、6年前にはさらに厳しい政治的課題もある中で、市の施設で市の協賛で開催するのですから、よくぞ実現したものです。

こうした困難の数々を神がかり的に突破してきたのは、加川広重の被災地、そしてそこに今なお暮らす人たちへの強い思いが伝わるから。そしてそれは今、世界が直面していることとも直に繋がっているからです。

2021年、今回は巨大絵画ではありませんが、ギャラリー島田の地下空間全体を使って加川広重展「3.11  夜が明けるまで」を開催いたします。作品とともに、資料展示も含めてみなさまと今を、明日を考える場にできればと思います。

2021年2月「中井久夫先生に教えられた大事なこと」

2015年1月、中井久夫『戦争と平和  ある観察』が人文書院から刊行された。
戦後70年、神戸の震災から20年。戦争を二度と起こさないために自身の戦争体験を語る、とある。
この中に災害を語る・災害対応の文化の章立てがあり、先生と私の対談がありました。

  『戦争と平和  ある観察』

I
戦争と個人史
私の戦争体験
【対談】 中井家に流れる遺伝子  ×加藤陽子

 II
災害を語る
災害対応の文化
【対談】大震災・きのう・きょう 助け合いの記憶は「含み遺産」×島田誠

 『戦争と平和  ある観察』は名著です。
そしてまた、皆さんにお伝えしたいのは 加藤陽子(歴史学者)のこと 。
今度の政府が、日本学術会議への6名の就任を拒否。菅首相がただ一人読んだことがあると名を挙げた方です。
加藤陽子さんは『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)という高校生に向けて書かれた著作で第9回小林秀雄賞を受賞。

    新春詠(朝日新聞)

    明かされぬ理由は誰もが考へる よおーく考へろよと睨まるるごと

    あのことを許したのがすべてのはじまりとわれら悔ゆべし遠からぬ日に

                         永田和宏「学術会議」

特集「パンデミックの時代に」 

人類の歴史の中で地域を超えた災厄に晒されたことは知識としては知っていても、私たち自身がただ中にあることを今現在、自覚的、主体的に生きているわけではない。日々の情報と場当たり的な対応ではなく、文明の結節点をどのように生きるのかを、世界への眼差しから受け止めたいと、今月号で21人の方から14か国についての寄稿をいただいています。9月頃には、累計で30名の世界各国の皆さんから寄せられた「声」とともに、今を生きる私達の在り方を考えるゲスト寄稿も収録したブックレットとして刊行いたします。

『声の記憶 「蝙蝠日記」2000-2020クロニクル』が生まれて 

人は生まれ 生き 病み 死す
その循環の中で 何事かを成す
今回の「声の記憶」はリランズゲートへ移ってからの記憶であり、その前史として元町時代がある。
海文堂書店増築 ポートピア 海文堂ギャラリー 阪神淡路大震災 兵庫アートウィーク IN  TOKYO 東日本大震災
加川広重巨大絵画プロジェクト 公益財団法人神戸文化支援基金へ…
これらの前史についてはそれぞれの詳細な記録誌を刊行している。

 そして 作家・作品通史
海文堂から今にいたる記録を残し続けています。

中井久夫    『戦争と平和  ある観察』        限定5冊 販売いたします。2300円+税

2021年1月「パンデミックの時代に」

天地萬物は無始無終の「時」というものの上に動いている。生々流転。一日一日の時は移り、一月一月の時は轉ずる。そして一年一年が過ぎていく。何処からきて何処へ去るのであるか知らぬが、「時」というこの大きな流れの上に私たちは生きている。

「日」も旅人だ、「月」も旅人だ、「年」も旅人だ。私たちもまた「旅人」でなくて何であろう。

『声の記憶』はいわば私の「老いの細道紀行」といった趣である。

           「この道や行く人なしに秋の暮れ」芭蕉

命あるものはみな不思議を生きる。目くらましに見ないで済ませてきたことがあからさまになるパンデミックの今。私たちは微力であっても、他人事ではない我事として考えたいと願ってきました。それはメディアで知る、読むではない、もう一つの「声の記憶」でもあります。昨年末で17人の寄稿をいただき、その多くが私たちと繫がる海外の「声」です。イタリア、フランス、ドイツ、アメリカ、イギリス、デンマーク、チェコ共和国、ベオグラード、韓国、フィンランドなど。2021年夏には計30名ほどの寄稿と、それを受けて、私達はこの時代をどのように生きるのかを纏めたいと思っています。

私達は日々の感染状況、経済、財政動向に振り回されている。でも私たちはそこから外れた新しい道を歩まねばなりません。

1995年1月17日 阪神大震災

2011年3月11日 東北大震災

2020年        コロナ禍

25年の日々の狭間で大きな天変地異と共にあった。しかし今回は特別だ。コロナ禍は国境を人種を超え、時空を超える。

日本にあり神戸に生きるにしても、歴史を抱き、世界に広がる友と語り、人としての明日を共にあゆみたい。

老いるという幸せ

私の手元にシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』がある。その刊行から50年がたつ。

私は「脳」の不規則な応答を友として長くある。経済成長を至上とする社会の中で若さ、効率、生産性ばかりが謳歌される時代が続いてきた。しかし死を視野に入れて年齢を受け入れれば、老いることが出来るという幸せをかみしめることは可能なのではないか。世俗の価値観を脱して本質を見つめ、美しさにいっそう敏感に、自分より他者に向かう時期としての老年期は、決して、惨めでも悲しくもない。老人の中には全ての年齢が閉じこまれている。

時と場によって心の年齢を変えられる。それは老人だけがもつ特権であり豊かさであるかもしれない。

新しい時代を生きるために

 

2020年はコロナ禍の渦中から新しい挑戦を続けてきました。

7月に2つの部屋とオンラインミュージアムを使って85名の作家が参加する「未来圏から」。この後、リアルな個展とオンラインギャラリーが連動することになり、作家とギャラリーが一体となることが多くなった。

情報発信としては、画廊通信(月1回)メールマガジン、展覧会案内(各2,3回)など、密度、頻度の高い発信を行った。スタッフ、アシスタントスタッフ、インターン、ボラテンィアの総勢11名がチームを成し、出勤調整し、モチベーションは極めて高い。ほとんどが書ける人だ。

そして、『声の記憶「蝙蝠日記」2000-2020 クロニクル』を出版。

2021年も、さらなる挑戦を続けます。

「特別寄稿 パンデミックの時代に」出版、アート・サポート・センター神戸の神戸塾サロン(コンサート・トークなど)を多彩に。公益財団法人神戸文化支援基金の取り組み、プロジェクト「こどもたち、若者たちの未来へ」に主体的に取り組みながら年間1000万程度の事業を検討しています。

留まることなきコロナ禍ですが、それでも皆、アートに関わる人としてなすべきことをなさねばなりません。

2020.12「混迷する世界での希望の灯り」

世界全体がパンデミックに晒され多くの命が失われている中、超大国アメリカのリーダーがこの2020年の11月7日に選ばれた。全米を挙げてリーダーを選ぶこの国の在り方を見るにつれ、合衆国の深い意味を学ぶ思いである。

副大統領のハリスさんの来歴と発言のなんと魅力的なことか。

「皆さんは票を投じて明確なメッセージを送った。希望、結束、品位、科学への信頼、そして真実を選んだ。最初の女性副大統領だが、最後にはならない」

ハリスさんはカリフォルニア州オークランドの出身である。この街はlocationとしても我が町 神戸と似ているうえに私にとっては忘れることの出来ない思い出と繫がっている。

神戸高校合唱部がシアトル、サンフランシスコの南海岸を縦断しハワイにいたる一か月間に及ぶ演奏旅行を行った。遥か昔のこと。

私はOB(当時大学1年)アシスタント指揮者として同行していた。次がサンフランシスコでのホームステーがオークランドでよく覚えている。

新大統領バイデン氏は78才とのこと。私もちょうど78才になった。

縁を感じさせる今回の米政権。お前ももう少し頑張れと励まされる思いだ。

私たちの希望はどこにあるか

さかのぼること17年、2003年の9月21日、加藤周一さんをお招きし「加藤周一講演と対話のつどい」を神戸朝日ホールで開催したのを思い出す。当時、加藤さんは84才だった。

加藤さんは言葉の力を信じ、言葉の力に賭け、美しい言葉を好み、美しい言葉で表した。

声高の大言壮語を嫌い、狂信的な物言いを拒んだ。

語るときはいつも声低く語った。

そして、人間の可能性を信じ、人間のつくりだしたことを敬し、人間がつくりだしたものを愛した。

権力に近づかず、弱者を理解しようとした。

それは一貫して変わらなかった。

2020年を振り返って

2020年は1月の木下晋展に始まりました。

長い長い木下さんとの交流の一つのゴールがこの危機の渦中であるという巡り合わせが象徴することに慄然とします。

1月 木下晋・25年目の1.17・トゥーンベリさんへの応答

2月 黒川伸輝・金子善明・永田耕衣・藤崎孝敏

3月4月5月は延期・中断

     上村亮太・桑畑佳主巳

6月 オンラインストア・緊急支援

7月 未来圏から!

8月 友定聖雄・鴨居玲

9月 大森翠・小谷泰子・松原政祐

10月 田鎖幹夫・沢村澄子・きたむらさとし・南輝子・藤飯千尋

11月 再び上村亮太・アートの架け橋・石井一男・須飼秀和

そして12月の締めくくりは井上よう子・林哲夫・戸田勝久です。

それにしても存続を危ぶまれる経営危機とコロナ危機を反転させつつある力は何処にあるのでしょうか。

個性的なスタッフ達がチームをなし、作家とともに、時代の転換期にあたり、何より、伝えるべきものに専心する潔さが伝わってくるのです。

2020年11月「水際を歩く」

人が人であること、あたりまえのことが当たり前ではない。

生きているだけでもありがたい。

1935年 東北大飢饉(母、セツルメントに携わること4年間)

私は1942年、戦中生まれ

阪神淡路大震災 1995年1月17日

東日本大震災 2011年3月11日

日本に生まれ、平穏に暮らしを重ねるだけでも生死の水際を歩いてきたことを知る。

そしてそれらの出来事に、なにがしかの関わりをもってきた。

いままたコロナ禍のうちにパンデミックの世界を生きる。

日本では今に至ってなお「経済と文化の回復」を主体に語られているが、それは「地域と経済」を巡る話であり、今こそ必要なのはそれを超えた人の在りようを考えることではないか。

私達は幸い、世界に繋がる皆様とのネットワークがあり、パンデミックに面しながらどのように感じ、どのように生きようとしているのかのエッセイを寄稿していただいています。現在は15名の方にいただいていますが、最終的には30名ほどの皆様からいただきブックレットとして刊行したいと願っています。

音楽との再会

南輝子展 ROY-CWRATONEⅡ 板橋文夫オープニング・コンサート 冒頭挨拶より-

 

「島田さん、10年ぶりやなぁ」と、板橋さんと強く抱き合いました。

コロナ禍、このパンデミックの時代に、いまここで板橋さんをお迎えして、南輝子さんの展覧会をできるということは、私にとって、実は特別な意味がありました。

震災から25年。

たくさんの展覧会に関わらせていただくなかで、南さんの導きで、岩岡へはもちろんのこと、沖縄に行ったりした。

リハーサルで板橋さんの音を聴きながら、以前松方ホールで、板橋さんが演奏された曲を、ずっと思い出していた。

海は広いな大きいな・・・という童謡。

板橋さんが弾くと、本当に、静かに、静かに、海の情景が浮かんできて、それが、だんだん、だんだん、荒れた海になって、その荒れた海が、また、静かにおさまってくる。

その感動的な曲が、ずっと、心の中によみがえってきた。

ずっと、思いが繰り返していた。耳の状態が悪く、音楽が実は聴けない。

けれども、ある日、気がついた。音楽というのは、外から聴こえてくるものを受け取る。だから、コンサートに行ったり、CDを聴いたりする。

でも、自分の心の中にある音楽というのは、そこから聴こえてくるわけではなくて、自分の心の中に感動として、残っている、ということなのですね。

私は、大好きな音楽を聴けなくなったことに対して、がっかりしていたわけですが、

音楽でも絵画でも、ある意味、『今見ている、あるいは、音で聴いている、ということよりも、感動として自分の心の中にしっかりと刻みこまれたものは、時を越えても、その感動を呼び出すことができる』ということを発見した。

それ以来、『この感動というもの、自分の心の中にあるものは、いつまでも、繰り返し呼び出すことができるということを知ることによって、身体的な状況でがっかりしたり、落ち込むことはないのだ』『今、目の前にある、出会いとか、色んなものについて、リアルに感動として自分の中に留めておく、ということが出来るんだ』ということを、発見したのです。

今日も、また新しい感動を自分の心の中に留めて、新しい出会いが生まれるのではないかな、と思っています。

2020年10月「出来る事、出来ない事」

パンデミックの今、私は78才を迎えようとしている。77才をゴールと公言してきた。

やり残したことは何もない、あとはすっと逝くことである。でもこれは思うほど簡単ではなさそうだ。

ギャラリー島田は、それなりの役割を果たしながら巡航するだろう。その40年におよぶ航海日誌が周遊の記録として開示されるのを待っている。それは決して豪華客船ではない。日常の往来の中で、白髪一雄、元永定正、津高和一、嶋本昭三など現代アートの巨匠たちのリラックスした姿が見えてくる。中島由夫、武内ヒロクニなどが暴れた海文堂ギャラリー時代を終えて、神戸・北野に3つのギャラリーがパンデミックで沈没かと思えば「現場の力」で新しい生き残る道を見出しているように感じる。生き抜く知恵は何処にあるのか。なにかが沸沸と起こるところ。それは何故起こるのか。今、振り返って思うこと。それは権威学識から自由であることかもしれない。世界中で模索されているパンデミック時代の生き方、極めて興味深い、時代を変えるキーワードが私の周りにはあるように思う。私も残り少ない日々に堀尾貞治さんの「あたりまえのこと」のように、何食わぬ顏で彼岸にいたい。

「書く」という行為

 

神戸ゆかりの美術館「無言館 遺された絵画からのメッセージ」へ足を運んだ。

窪島さんはかつてこう書いていた。「この歳になって、何となくわかってきたのは、「書く」という行為はどこにいるか知れぬ未知の相手にむかって手紙を書くということ。わたしにとってそれがだれかは今もわからないのだが、かつて瞼にえがき探しもとめた生父もその一人だったのだろう。」(窪島誠一郎『日暮れの記「信濃デッサン館」「無言館」拾遺』から)

私にとっての書く行為もどこかその気配を抱く。

会場で会った満身創痍の窪島さんが私に放った言葉は、どこか弱気の私を見抜き「島田君、何が何でも生き抜こう」だった。

その言葉は聖セバティアンの矢のごとく私を貫いた。

 

グリーンの頃、返しきれない思い出の日々

 

印象深い記憶があります。

「君はグリーンやな」

三木谷良一さんが言った言葉です。なぜか様々に長くおつきあいいただいた方なのです。

三木谷さんと、ある方と三人で席を共にすることになった。向かいに座っていたのが、柔道で名を馳せた猪熊と互角に戦った巨漢、当時の日銀神戸支店長。私はその方の振る舞いを許せないと激していた。その時、ぶん投げられて大怪我でもしたらと割って入ったのが三木谷先生。そこで呆れて放った言葉が 「君はグリーンやな」でした。ところが私はその意味が分からないできょとんとしている。「青二才め」。おかげでぶん投げられもせず笑いのなかでおさまったのでした。

古武士の風格のある三木谷先生は、そのころわたしが見境なく当時の神戸を覆っていた風土を変えたいと怒りをもって行動していたのをよく知っていました。

長く生きてきたなかで、多くの記憶から消えない皆さんがおられる。圧倒的に、一方的にお世話になった皆さんです。返し切れない思い出の日々が鮮明に蘇ります。熱きが故に事は起こり、その熱さゆえに事は成すのでしょうが、そのすれ違いざまの傷跡が今となれば、申し訳なく、振り返っても幻のように姿がみえず、謝る術も知れません。

私は一体、何に惹かれて爆走してきたのか。長く、自ら設定してきたゴールが今、見えてきたようです。

来し方行く末、思いは巡る

 

間もなく「蝙蝠日記クロニクル2000-2020」を刊行する準備に入っています。

シアターポシェットの館長で自死された佐本進さんのこと、座礁船の刊行を託した服部正さんのこと。もう30年も前のことなのに、今も鮮明に立ち上がってきて、私を捉えて離さない。それは何故だろうか。それは「生きる」という誰も逃れられないことを強く私に語り続けるからではないか。

不思議なことに、佐本さんのシアターポシェットの全記録も服部正さんの座礁船も私のクロニクルも、伊原秀夫(風来舎)さんの手によることとなりました。このことが暗示することは誠に興味深い。この冊子が、すべての人々が「静かに等しく生きること」「人が人であること」の問い直しをする今に恥ずかしくないものでありたいと心底、願います。