2021年12月蝙蝠日記「二つの本」

二つの関わりのある大部の本が準備されている。

一つは南輝子(歌人・詩人・画家)さんによる、『神戸バンビ耽溺者(ジャンキー)』。

神戸にあった巨大スピーカで聴かせる、伝説のジャズ喫茶「バンビ」。そこを拠点とする人間模様は、私の合唱やクラシックと重なることはないが、しかしひりひりと接しあう人間模様はジャンルを超えて心を殴打する。

父がジャカルタで虐殺されたこと、そのことが沖縄で丸木位里、丸木俊「沖縄戦の図」を核とする佐喜眞美術館と、韓国にルーツがある松村光秀とを深く繋げた。そして板橋文夫が「ロイクラトーン」を弾き、南輝子も松村も聴いた。2007年1月のここでのライブを南輝子は歌集「沖縄耽溺者(うちなージャンキー)」(ながらみ書房、2010年刊)で書いている。

Roy-cwratone わが魂をゆさぶつて清めつくすよ蕊の蕊まで

1999年(震災4年)、岩岡でのコンサート「祈りのライブ」に通った、それからの南の歩みはとてつもない。

後の一つは
『海の本屋のはなし   海文堂書店の記憶と記録』は平野義昌さんが執筆。2015年に苦楽堂から刊行されました。

今回は『海という名の本屋が消えた』という名で「みなと元町タウンニュース」に長期連載(11月1日発行の第351号で96回目)しているものを刊行することを平野さんに奨めています。

これは消えた海文堂とはほとんど関係なく元町地域の詳細細部の歴史発掘と言ってもいい基本文献です。

草地賢一さんのこと
「自分のコミュニティーのなかに、市民参画型、市民提案型の草の根民主主義を拡大してほしい。そのためにはボランティアが、チャリティー(慈善)にとどまることなく、ジャスティス(公正)の実現のためになって欲しい。」

ー『阪神大震災と国際ボランティア論―草地賢一の歩んだ道』に、私が“神戸宣言に生きようとした戦士”として草地さんを書いたなかから。

岩波新書の『神戸発 阪神大震災以後』(1996)に草地さんが「市民とボランティア」を書き、私が「神戸に文化を」を書いた。それが『ひとびとの精神史』へと繋がったのでした。

1995年1月17日、草地さんは自宅で震災に遭遇。19日に「阪神大震災地元NGO救援連絡会議」を設立。その拠点は当時の私の海文堂書店に近く、活動を身近に共にしました。

そして震災から半年がたち、県の呼びかけに呼応し、さまざまな分野の専門家12名で構成する被災者復興支援会議が発足した。草地さんは震災前からのNGOあるいはボランティア関係の役割として参加し、私もなぜか選ばれてそこにいた。文化という視点だったのだろう。貝原俊民知事(2014年不慮の交通事故でなくなる)のもと、この会議を通じ「官から頼まれてもやらない」「官から頼まれなくてもやる」というボランティアの思想が創りあげられていった。支援会議の全体会議は78回。移動いどばた会議は143回、フォーラムは61回。1998年3月までの凄まじい活動を草地さんと共にした。

「語り出す 学ぶ つながる つくる 決める」ーその後の「被災者生活再建支援法」などに繋がっていく、この流れのなかに現在の多彩な人材、担い手が育っている。

1999年12月29日。震災とNGOの「防災」国際フォーラムの打合せの最中に体調を崩し入院。1月2日、心肺停止、マラリアによる敗血症。享年68才。

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