今、私は服部正さんの遺言の如き詩集「座礁船」と再会し衝撃を受けています。
地球は青く闇無限 我はただ
臨終告知をまちいたり
銀河系よ その方向を誤るなかれ
(服部正「座礁船」(風来舎)より)
誰もが揺らぎ、先を予測できないパンデミックの時代を、服部さんのことばが照らす。
目を凝らせば、多くの人が神戸の未来へと繋いできた航跡が見え、耳を澄ませば、未来へと向かうエンジンの力強い音が聞こえないか。
服部さんとのご縁は、「神戸芸術文化会議」。名議長と言われ長く「神戸芸術文化会議」を率い、神戸市の文化基盤の改革を志し、推進された。前号の佐本進さん、服部正さんはじめ、多くの方々と出逢い、つながるなかで、志を託されてきた。
その出逢ってきた人々と、託されてきた忘備を、インデックスのごときメモランダムとして、遺したいと思っています。
軌跡のようなきれいごとでは語れない、痕跡のような記録になりそうであるが、とにかく、その準備を始めました。
生きるための免許更新
「無言館 遺された絵画からのメッセージ」が9月12日から神戸ゆかりの美術館で始まります。
無言館は、窪島誠一郎さんと野見山暁治さんが、戦没画学生の遺された絵を蒐集され、1997年に長野県上田市に開館しました。
戦後75年の節目を迎えますが、コロナの渦中にある現在、過去だけでなく「今」も命、あるいは「生きる」ということの切実さをわたしたちは等しく抱いているといえます。
実は戦没画学生の遺された絵の展示は神戸からはじまりました。海文堂ギャラリーでした。
阪神大震災は 50年目の戦場神戸と言われましたが、その後の三宮の復興支援館などでも、このプロジェクトに継続的に支援を続けてこられた、いや、今も続けておられるのは凮月堂さんです。
先日、このことで窪島さんと電話で話をしていました。お互い、長く生きてきたけど、様々に不調を抱えている。
でも、窪島さんとはまだご一緒する大きな仕事がある。来年9月11日が画家松村光秀さんの没後10年になる。
沖縄・佐喜眞美術館、窪島さんの残照館(旧信濃デッサン館)とギャラリー島田の三館で、それぞれ違う作品と独自のコンセプトで一ヶ月間という稀有な展覧会を計画しています。
窪島さん曰く、「生きるための免許更新を忘れないで!」あと一年。何としても生き延びねば。
今回の神戸ゆかりの美術館での展覧会「無言館 遺された絵画からのメッセージ」はしっかり応援したいと思っています。
鴨居玲に想う
私も鴨居玲に心を鷲づかみにされてきた者たちのうちの一人だ。そしてその執心が多くの貴重なものを私に引き寄せてきた。それらはしかるべきところへ寄贈して今はない。
たとえば最初の自殺未遂の時のものと思われる自筆の遺書のような書き付け。
それは医師であり小説家であった原口ちからさんから託されたが、他人に見せるわけにもいかず、折り畳んでファイルに保管していた。原口さんも亡くなり、さて私が死ねば永久に日の目をみることはなくなる。ふと気がつくと、原口ちからさんが「書き付け」と共に私に残していかれた叢書が、津高和一さんの装画で、書名が「厄介な置き土産」(兵庫のペン叢書1、1982)とある。 なんという符合であるか。長く苦しんできたが、石川県立美術館に相談して寄贈させていただいた。今回の石川県立美術館での没後35年展でも資料展示されているのではないかと思う。そして、榎忠さんの前で切り裂いたカンバスは鴨居さんが在学した関西学院大学へ。
今、私の手もとにあるのは… 鴨居さんが愛した伝説のバー「デッサン」(武田則明設計)に置かれ、鴨居さんも座した石彫のオブジェ(山口牧生)。そこに集う心許す友と交わした手紙。魅力あふれるポートレート。鴨居さんが使い込んできたサイン日付入りのパレット。 そして、鴨居さんが恰好いいドン・キホーテであれば、終生、サンチョパンサであり自死の発見者であった岩島雅彦さんが、最後の個展でギャラリー島田に遺した代表作「芸人の一家」(200号)。これは岩島さんから鴨居さんへのオマージュです。
この作品も鴨居玲作品とともに神戸で永眠させてあげたい。
今年は鴨居玲没後35年。私どものコレクションもこの期に公的な場に纏めて寄贈するつもりです。