わたしがあなたを選んだのだ
ずっと何かに追われるように多くの荷物を抱えています。やりすぎだ、減らしたほうがいい、そこまでやらなくても。好きなんだね。自業自得だね、死ななきゃなおらない。付き合いきれない、さようならという言葉が聞こえてきます。それはそのとおりです。
デスクの横に見ておいた方がいい展覧会案内がBOXにどさっと入っています。それらはチェックして抜き出しては携行しているBagへ移動していきます。しかしその多くは怒涛の津波のような仕事に押し流されて次の行き先はゴミ箱とあいなります。
ギャラリー島田に登場される作家さんとは出来るだけ丁寧に話をするように心がけています。売ることに執着が薄いのは直りませんが、作品や作家さんについては深く知りたいと願っています。なぜそんなに忙しいのか。次々と様々なことに関りたがるのかと思われるでしょうね。しかし、私が探して荷物を担いでいるのではありません。
「あなたがわたしをえらんだのではない。わたしがあなたを選んだのだ」(ヨハネ福音書)
ここにある「わたし」は島田の「わたし」ではなく「神(天上の意志)」のことです。
前回の通信で草地賢一さんのことを書くことを伝えましたが、この言葉は草地さんに教わったものです。神が地上でなすべきことをなすために草地さんを選んだということです。
このヨハネ福音書の言葉を口にする草地さんは、特別な人という自負とは遠い、でも目の前にある不正義を見逃さない「選ばれた者として」の自覚を深く抱いていたことは間違いありません。
私が岩波書店の出版物に書くのは三冊目ですが、今でも不思議でなりません。いずれも、いきなりの指名でした。何故、私ですかと問い直したものです。でも考えてみれば、すべてが20年前の震災と関っているのですね。
でも震災体験で私が新しい使命を発見したわけではありません。その後に起こっていることは基本的には震災前から取り組んだり考えてきたことなのです。
それが「アートエイド神戸」という運動となり、震災4ヶ月後に「神戸発 阪神淡路大震災以後」(岩波新書397)に「神戸に文化を」を書かせ、6ヶ月後に兵庫県復興支援会議のメンバーとして3年間を疾風怒涛の日々を過ごすことになったのです。「あなたに選ばれた」というほかない不思議な人選であったと感じます。
私と草地さんがメンバーを務めた復興支援会議は1998年3月に終えるまでに月2回の全体会議は78回、「移動いどばた会議」は143回。フォーラムは61回を超えるという凄まじい会合を重ねました。しかも徹底したOutreach(現場主義)での直接対話でした。
震災という危機的な状況において政府の前で「市民をもっと信用していい」と語り、高揚から遠い自叙伝においてすら「市民の行動は、私たち『官』の考えをはるかに超える広範で奥の深いものであった。」(略)と語らしめるほどの会議の役割と市民の振る舞い、そしてそれを真っ直ぐに受け止めた貝原前知事の姿勢にこそ、その後における協働と参画の扉を開けたことを告げています。
4月14日に上映会を終えた「友よ! 大重潤一郎 魂の旅」のチラシには「20年前に見たユートピアをここに」と書かれていましたが、震災後の体験は、私の内にあった根源的に社会の在り方、すなわち私たちの生き方を問いなおすという「ユウフォリア(至福感)」はどうも骨の髄まで浸透し、いまや体質そのものとなってしまったようです。
「こぶし基金」の設立にしても、亀井純子さん健さんが私を選んだとしかいいようがなく、それが23年を経て育ってきたのですし、加川プロジェクトにしても、私が発見したというよりも加川さんの作品が、私を発見し、KIITOが私を呼んだとしかいえないほどの奇跡的な事柄であったと思います。
新潟にて
3月、4月と新潟に通いました。新潟絵屋での開催を望んだのは、石井さんの作品、存在ともっとも響き合う場として、そして大倉宏さんや、絵屋、砂丘館から石井さんも私も大切なことを感じ、学びたいからでした。それは石井さんにも私にも、何かをもたらしてくれるはずです。私は展覧会を企画するには「売れる」ということではない、「何かが生まれる」という意味を求めずにおれないのです。絵屋という「場」と大倉宏さんという「人」に惹きつけられるように石井一男展をお願いしたのです。
どっと人が押し寄せるというのではない、静寂のうちに佇むという気配がとても好ましく、ゆっくりと選ばれながら、それでも多くの作品が、またこの地に留まるのはうれしいです。12年前に無名だった石井さんを取上げていただき(その時は私は行っていません)、数点しか売れなかったのですが、二度目だとはいえ、新潟まで最近の石井さんの情報は届いているのか、かりに「奇蹟の画家」や「情熱大陸」で知った方があるにしても、その方をこちらは存じ上げないのですから絵屋での展覧会についての情報を伝える術はありません。
でも期間中を通じて途切れることなく、また口コミで広がり、皆さんが温かく作品を見られ、語り合われたそうです。作品もたくさんお求めいただき、お礼の言葉もたくさんいただきました。思い描いていた最上の意味を発見できてこんなにうれしいことはありません。
7月には新潟絵屋や絵屋を巡るみなさんが愛してやまない蓮池ももさんの個展を大倉さんのプロデュースで開催します。すでに作品の選定や展示プランなどが進んでいます。展示は二日がかりと聞いています。ここでも「何かが生まれる」のです。