2008.7 大学で話す

大学で話す

通信を読んでいただくころには、あらかた夙川学院を除いて私の大学での講義は終わっています。神戸大学では毎年、アートマネージメントの話をするのですが、そんな話しが私に出来るわけがありません。私の経営論では犠牲者を作るだけです。自分でも何故、続けられるのか不思議ですから。
私が若い人に伝えられるとしたら、アートに関わることの素晴らしさで、それを仕事とすることとは違います。「アートをマネージメントするのではなく、アートに関わっていけるよう自分の人生をマネージメントしなさい」ということです。
他の大学では、「震災と文化」「ゴッホとテオ」「私の好きなアーティストたち」など好きなテーマで話させてもらっています。
結構、準備にも時間をとり、熱を入れて話しをするのですが、これが空回りをして自己嫌悪に陥ることもしばしばです。いろんな題材があるから気楽にという気にはなかなか、なれないです。

時間を預かる

ぼくは大学時代、社会人を通じて合唱団の指揮をやっていました。ぼくはピアノも弾けない、理論も駄目、読譜も下手、指揮も自己流なのに何故か15年間ほど指揮者を務めていました。コンクールで全国優勝に導いたこともあります。書いていて気がつきました。画商としても全く同じですね。私の独断的な性格はそこに起因しているのかもしれません。なにしろ指揮者は独裁者ですから。
 唯一、ぼくが誇れるとしたら「団員の時間を預かっている」という意識をもって真剣にやったということしかありません。神戸大学のグリークラブでは当時80名くらいの部員がいて、放課後2時間くらいの練習に集まってきます。80名の2時間。160時間のそれぞれの、かけがえのない時間を私ひとりで預かっている、いいかげんな練習は出来ないと、思いつめていました。気合ですね。空気が張り詰めていないといけない。時に指揮棒を指揮台に叩いて、折れて飛んでいきました。

人の前で話す時も、いつも皆さんの「時間を預かっている」と思って一生懸命やります。ある大学では「いやいや異星人でも見るつもりで来て下さい」と言われましたが、そんな訳にはいきません。でもこうした講義を通じてノンフィクション作家の後藤正治さんと石井一男さんのご縁が生まれ、文藝春秋での特集へと繋がり、うちでインターンを志望する若者が現れるのです。
結構、準備にも時間をとり、熱を入れて話しをするのですが、これが空回りをして自己嫌悪に陥ることもしばしばです。いろんな題材があるから気楽にという気にはなかなか、なれないです。

人を預かる

毎年、神戸大学からインターンの学生を2週間ほど預かります。一番忙しい時に遠慮せずに働いてもらっています。卒業してからも必ず訪ねてくれるのがうれしいですね。 昔から、多くの方をお預かりしてきました。一緒に働いた人たちがアートに関わりながら輝いているのを見るのはうれしいです。

個展と向き合う

中辻悦子先生と話していると、元永先生が体調を崩された時には、創作のアイデアも湧いて来ないし時間も足りないので、この個展が本当に出来るかしらと思ったと言われていました。でもきっちりと間に合わせて下さり、すっきりとした見事な展示になりました。作家の個展となれば、講義の比ではなく、作家が全力で、また命を削って準備された事実と向かい合わねばなりません。今回の高野卯港さんの個展が良い例です。体を壊す寸前まで追い込んだ卯港さんに応える努力が画廊にも要求されるということです。神戸大学の最後の講義は、中辻悦子展の会場で円座になって進めました。まあ真剣に聴いてはくれました。さあ、レポートがどんなになるか、ぼくの思いが少しは伝わったのかどうか。楽しみなような、怖いような。

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