島田誠・森栗茂一『神戸 震災をこえてきた街ガイド』カラー版 岩波ジュニア新書489(2004年11月)
須飼秀和 画・毎日新聞夕刊編集部 編『私だけのふるさと―作家たちの原風景』岩波書店(2013年3月)
坂 茂『紙の建築 行動する―建築家は社会のために何ができるか』 岩波現代文庫(2016年6月)
坂さんも神戸の震災のあと、加川広重の「巨大絵画」プロジェクトや東北支援などでご一緒しました。
草地賢一さんのこと
私も居合わせて打合せをしていた時に草地さんがガタガタと震え出し、誰かが驚いて車で送った。
兵庫県立姫路工業大学教授としての在任は2年足らずであった。2000年1月2日、敗血症のため逝去。58歳。
草地賢一『アジアの草の根国際交流』明石書店(1993年4月)
『草地さんの仕事』刊行委員会 編著『阪神大震災と国際ボランティア論―草地賢一の歩んだ道』エピック(2001年1月)
島田誠「草地賢一 神戸からボランティア元年を拓く」[『ひとびとの精神史』第8巻 バブル崩壊 1990年代 所収 ]岩波書店(2016年5月)
草地が用意したプラットフォーム(Platform)は未来へと向かう一つの大きな駅(Station)だったのかもしれない。私たちは震災に引き寄せられるようにターミナル(Terminal)に集まった。そこはまた、あたらしい希望を積み込んで未来へ向かう始発駅(Starting Station)だった。それぞれがミッションを抱き、草地の好んで口にした「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生む。そして希望は失望に終わることはない」(ローマの信徒への手紙 五章三―五節)を心に刻みながら、目的地へと出発して行ったのだ。
そして今年、雑誌「世界」を生み出した希代の名編集者『吉野源三郎の生涯 平和の意志 編集の力』
(岩倉博 著)が花伝社から刊行された。吉野源三郎は『君たちはどう生きるか』の著者でもある。
現在『君たちはどう生きるか』は岩波文庫 青158-1で読むことが出来る。不朽の名作である。
私は中学時代(神戸大学附属明石中学校)に、中井一夫先生という厳しい先生から読むように言われて出会った。今も「どう生きるか」を問いつづけている。
加藤周一さんのこと
加藤さんも多くの著作を岩波書店から出しておられます。
『加藤周一自選集』全10巻
『続 羊の歌ーわが回想』(1968年 2009年4月15日で第38刷)
『日本文化における時間と空間』(2007年)
『幻想薔薇都市』(小説集、1994年)
『読書術』岩波現代文庫(2000年11月)
『私にとっての20世紀』(2009年2月)
『日本を問い続けて 加藤周一、ロナルド・ドーアの世界』(2004年7月)
2013年に出た海老坂武の『加藤周一 二十世紀を問う』(岩波新書1421)の紹介文より
言葉を愛した人・加藤周一は、生涯に膨大な書物を読み、書き、そして語り続けた。それはまた、動乱の二十世紀を深く問い、表現する生でもあった。
私たちが加藤さんの講演会を主催したのは2003年9月21日 神戸朝日ホールでした。それに至るまでに多くの集まりを神戸・京都でもって魅了されていました。
「私たちの希望はどこにあるか」-志のある市民たちが無数に広がっている。それぞれは力がないように見えるけれど、何かあった時に繋がって社会を支えてゆく。それが希望だ。
月: 2022年10月
2022年10月「岩波書店をめぐって(1)」
雑誌『世界』1995年1月号 特別対談「初心から逃れられずにきた 大江健三郎・安江良介」そのことから、この記念号は始まる。大切に所持してきた。
驚くのは俵万智が第一歌集『サラダ記念日』を出して大ベストセラーになり、ここでインド映画「詩人の贈り物」の監督イスマイル・マーチャントと「語りつがれる詩人の言葉」として対談している。当時33歳。
また、安江さんは1988年春に娘さんが生まれて三日目に亡くした。
大江さんは、その6月に生まれた光さんが障碍を持って生まれた。
この記念号の冒頭がお二人の対談なのです。
大江さんは「あいまいな日本の私」を1995年1月60歳になる日を眼のまえにしてと記して「岩波新書 375」として出している。
『「世界」主要論文選 1946-1995 戦後50年の現実と日本の選択』は1996年10月6日刊。
989ページに及ぶ大冊である。
歩みを辿れば
1 戦後改革 1946-1950
2 講和から60年安保 1951ー1960
3 高度成長・ベトナム戦争・沖縄 1961ー1975
4 核戦争の危機からポスト冷戦へ 1976ー1995
上記の1995年は、1月17日、未曾有の地震が阪神地区を襲った。
『神戸発 阪神大震災以後』は酒井道雄さんの編集で、粉塵の舞う中、海文堂書店、そして近くの毎日新聞神戸支局を拠点として1995年6月20日 「岩波新書 397」として出版。
私はこの中で「神戸に文化を」として、当時、計画が取り沙汰されていた「六甲シンフォニーホール」を批判し、この間に何をすべきかを書いた。
上記の中で「市民とボランティア」を書いたのが、草地賢一さん。後に草地さんの生前最後の取り組みを私が書くことになるとは…
永 六輔 『夫と妻』 2000年1月 岩波新書 新赤版 654
永 六輔 『親と子』 2000年1月 岩波新書 新赤版 655
永さんと佐本進さんの小劇場「シアター・ポシェット」の縁でよくご一緒しました。
永さんは2016年7月7日に83歳で亡くなられました。
8月30日が「お別れ会」で、私も参列させていただきました。((2)へ続く)