1984年、海文堂ギャラリーを訪ねてこられた中島由夫・文子夫妻と出会った。以後、毎年のように個展を開催することになった。
88年には現代芸術運動コブラの流れを汲むヨルゲン・ナッシュとリス・ツヴィックを招待。
89年に中島さんは海文堂書店の東壁面に15m×4mの巨大壁画を描いた。
94年、厖大な資料を整理して、中島由夫の基礎文献となる「Yoshio Nakajima Document 1940 – 1994」(編集:佐野玉緒)を海文堂ギャラリーから出版した。
95年の阪神淡路大震災の後、私は「アート・エイド・神戸」の活動に取り組むことになる。
”すべての地に新しい陽は昇る!”は、私たちを励まし続ける言葉だった。
その後刊行したアート・エイド・神戸の記録集の表紙には、北欧の太陽を描いた中島さんの
鮮やかな作品を使わせてもらった。
「Yoshio Nakajima Document 1940 -1994」の中の山野英嗣さんの言葉——
抽象絵画の先駆者であるカンディンスキーやモンドリアンにしても、彼らの絵画空間においては、自然のイメージが放棄されて新たな人工世界が創造されているのではなく、そこでは、自然的なものと精神的なものとの融和が成し遂げられているのだと、私は思う。そして現代、絵画の領域はあらゆる意味で、その可能性が吟味し尽くされたような観を呈している。これは、高度に情報化された社会にあって、創造者自身でさえもが、余りにも人工的産物に触れ過ぎているからではないだろうか。
だが、白夜のスウェーデンに野営し、そのダイナミックな自然をアトリエに、強烈な意志によって、色彩と形態との絵画の根源を形成する葛藤を追求し、絵画の可能性に挑戦し続けるひとりの日本人画家がいる。極寒の地に身を委ねながらも、あくまでも研ぎ澄まされた造形感覚の持ち主、それが現代抽象画家に地平を切り開く中島由夫氏である。
山野英嗣(兵庫県立近代美術館学芸員 ※当時)
そして中島由夫自身の言葉——
北国の冬は永く、暗くつらい毎日である。
森や林の中に咲く野花、この花さえも、地下まで凍る、冬の寒さに耐えて春を迎えるのである。
太陽を待ち、あこがれる大自然と人間。その姿は健気で私の心をとらえる。
北欧の天地が冬の支配から脱して、春、太陽をまつそのよろこびは、
いつも太陽のある国の人々とは全くちがう。
6月に入り白夜になる。
人々の表情は明るく、大人達も子供の様に外にとび出していく。
雪の残りがキラキラ光る。
太陽が大自然と人間に愛を与えてくれるのだ。
白夜。それは生命の炎が燃焼する時であろう。
私も、自分の求めている太陽と大自然の太陽とに出会う。
中島由夫
こうした中島由夫さんの出会いと今を、どうしても残しておきたいと考え、企画したのが今回の中島由夫展の大切な意味です。
中島さんは1940年生まれ、私は1942年生まれ。中島さんはいまでも、雪がちらついていても上半身裸で外で描いてるそうで、やわな私とは全く違います。
長い長い付き合いですが、今生、最後の二人の仕事だと私は思っています。