母子像 1951 曲りくねった続柄は母子列伝。系譜の糸を持った手が鮮やかに染まり、母子は今日という日に私語する。
埋葬 1952 遍歴の跡も残さない不在証明。前後左右。それに頭上に脚下。この風景の中で僕はいつか紙ヒコーキを飛ばした。きょう風信は、樹木たちの口伝のざわめきを聞く、ぼくの耳のことだった。
作品 1953 痕跡だけの町で、漂泊粉を持った男がいた。青い空にそれを撒くつもりなのだろうか。
転移 1956 抜けた天に、立てかけた梯子があった。
作品 1956 空白に座っていた。呼吸をととのえようとしているのである。
シュク 1957 この鉄道は不毛の未開地にまで伸びていた。
連 1957 音というものは外側ばかりから聞えてくるものではなかった。内側からも響いてくるのである。
雷神 1958 むかしこの国にはいろいろの神がいた。恐ろしくて手のとどかないものは全部神だった。
いまも口ごもる神が僕のそばにいた。
血縁 1959 ここの住民たちは奇妙な風土病にかかっていた。だれもが煎じ薬を沸かしていた。
とつ 1960 ぬっと立ているやつ。よく喋るやつもいた。ときにつんざくような声で喋るやつもいた。
無名への挑戦 1960 むろん、その逆だってあるのだ。
いのち 1960 果実の汁のようなものだった。
寂 1961 風説は、パラボラアンテナにかからない。耳から耳に伝染した。
吃線 1961 渡り鳥は千里眼のようだった。はるかに遠い風景を映すのである。
塊 1961 僕は自家製の暗号帖を持っている。髪の毛のように細長い記号や、掌のように平べったい符号。
それに焙り出さないと出ない文字もあった。
作品 1962 かれの航海術心得のなかには記載漏れがしばしばあった。
作品 1962 山を下りた呪術師は決まって陽あたりの悪いところに住んだ。
作品 1963 祭日はわが博物誌。蕾の向日性に揺れる。
作品 1964 気象台の降雨量測定にときおり誤りがあった。気まぐれな僕の旅行日程表にも赤鉛筆の注意書きがある。
兆 1965 辺境では戦火が広がり、宇宙衛星は威嚇銃のような大きな音をたてなかった。
漠 1965 コンピュータ占いはよく当るという男が、おんなに話していた。
MAN 1970 その男は舌を出した。喋ることを忘れているのである。
時間 1971 化石になった魚は、一億年目の僕の掌の平で凝固していた。洗剤の白い泡が奇妙なかたちにふくれる。
伝説 1971 木目は落差を測り、移住した人々は転居不明だった。
「津高和一は水と空気の捕捉者だ。……広漠たる空間になじんでいく絵画。造形意志、造形意識よりも、たとえば味覚や聴覚や予感によって、導かれ、方位を定められている絵画。見えるものよりは見えないものを、一層強く感じさせる絵画。」
大岡信の言葉
以上「山村コレクションによる 津高和一 作品の流れ 展」(1971年)図録より
堀尾貞治
存在には理由はない。
収入と収支はまったく無関係である。
存在には理由はない。
存在には次元の異なるものが入りまじっている。
存在には理由はない。
言葉は物の表面をなでまわすに過ぎない。
存在には理由はない。
人が生き、物がそこに在ることは奇怪である。
存在には理由はない。
絵画はいろいろな次元に存在する。
存在には理由はない。
傑作は理由を問うことを断念させ、鮮やかに存在する。
存在には理由はない。
重要なのは理由のないことである。
村上三郎 1963
『あたりまえのこと 堀尾貞治 90年代の記録』 山本淳夫学芸員の文章より
表札としての「無窮工房」。「色塗り場」「一分打法」「あたりまえのこと」も、ひたすら反復することで「あたりまえでなくなる」
「あたりまえのこと 今
ことさら作品をつくることをせずに「今」という時間で僕にかかわることをだしてみようと考えていたので ぎりぎりになるまで 作品らしいものが出てこない状態で阿吽響というスペースにかかわらしてもらった。 床のスペースが美しいので それをそのままでもよいのですが ちょっとだけごまかしを入れてかかわりをもった
壁面の作品は今まで作っていたもので 手元にあるものを考えることなく置いたという感じであります。
とても無責任な個展という感じです。」(略)
18.APR 1994 朝
堀尾貞治
この文は、活字になったことのない文章の部分です。記録集に写真で写り込んでいる自筆文章の前半です。