2022年1月蝙蝠日記 津高和一

母子像   1951  曲りくねった続柄は母子列伝。系譜の糸を持った手が鮮やかに染まり、母子は今日という日に私語する。

埋葬       1952  遍歴の跡も残さない不在証明。前後左右。それに頭上に脚下。この風景の中で僕はいつか紙ヒコーキを飛ばした。きょう風信は、樹木たちの口伝のざわめきを聞く、ぼくの耳のことだった。

作品       1953  痕跡だけの町で、漂泊粉を持った男がいた。青い空にそれを撒くつもりなのだろうか。

転移       1956  抜けた天に、立てかけた梯子があった。

作品       1956  空白に座っていた。呼吸をととのえようとしているのである。

シュク   1957  この鉄道は不毛の未開地にまで伸びていた。

連          1957  音というものは外側ばかりから聞えてくるものではなかった。内側からも響いてくるのである。

雷神       1958  むかしこの国にはいろいろの神がいた。恐ろしくて手のとどかないものは全部神だった。

いまも口ごもる神が僕のそばにいた。

血縁       1959  ここの住民たちは奇妙な風土病にかかっていた。だれもが煎じ薬を沸かしていた。

とつ       1960  ぬっと立ているやつ。よく喋るやつもいた。ときにつんざくような声で喋るやつもいた。

無名への挑戦      1960  むろん、その逆だってあるのだ。

いのち   1960  果実の汁のようなものだった。

寂          1961  風説は、パラボラアンテナにかからない。耳から耳に伝染した。

吃線       1961  渡り鳥は千里眼のようだった。はるかに遠い風景を映すのである。

塊          1961    僕は自家製の暗号帖を持っている。髪の毛のように細長い記号や、掌のように平べったい符号。

それに焙り出さないと出ない文字もあった。

作品       1962  かれの航海術心得のなかには記載漏れがしばしばあった。

作品       1962  山を下りた呪術師は決まって陽あたりの悪いところに住んだ。

作品       1963  祭日はわが博物誌。蕾の向日性に揺れる。

作品       1964  気象台の降雨量測定にときおり誤りがあった。気まぐれな僕の旅行日程表にも赤鉛筆の注意書きがある。

兆          1965  辺境では戦火が広がり、宇宙衛星は威嚇銃のような大きな音をたてなかった。

漠          1965  コンピュータ占いはよく当るという男が、おんなに話していた。

MAN      1970  その男は舌を出した。喋ることを忘れているのである。

時間       1971  化石になった魚は、一億年目の僕の掌の平で凝固していた。洗剤の白い泡が奇妙なかたちにふくれる。

伝説       1971  木目は落差を測り、移住した人々は転居不明だった。

「津高和一は水と空気の捕捉者だ。……広漠たる空間になじんでいく絵画。造形意志、造形意識よりも、たとえば味覚や聴覚や予感によって、導かれ、方位を定められている絵画。見えるものよりは見えないものを、一層強く感じさせる絵画。」

大岡信の言葉

以上「山村コレクションによる  津高和一  作品の流れ 展」(1971年)図録より

 

堀尾貞治

存在には理由はない。

収入と収支はまったく無関係である。

存在には理由はない。

存在には次元の異なるものが入りまじっている。

存在には理由はない。

言葉は物の表面をなでまわすに過ぎない。

存在には理由はない。

人が生き、物がそこに在ることは奇怪である。

存在には理由はない。

絵画はいろいろな次元に存在する。

存在には理由はない。

傑作は理由を問うことを断念させ、鮮やかに存在する。

存在には理由はない。

重要なのは理由のないことである。

                  村上三郎 1963

『あたりまえのこと 堀尾貞治 90年代の記録』 山本淳夫学芸員の文章より

表札としての「無窮工房」。「色塗り場」「一分打法」「あたりまえのこと」も、ひたすら反復することで「あたりまえでなくなる」

「あたりまえのこと 今

ことさら作品をつくることをせずに「今」という時間で僕にかかわることをだしてみようと考えていたので ぎりぎりになるまで 作品らしいものが出てこない状態で阿吽響というスペースにかかわらしてもらった。 床のスペースが美しいので それをそのままでもよいのですが ちょっとだけごまかしを入れてかかわりをもった

壁面の作品は今まで作っていたもので 手元にあるものを考えることなく置いたという感じであります。

とても無責任な個展という感じです。」(略)

                             18.APR 1994 朝

                                 堀尾貞治

この文は、活字になったことのない文章の部分です。記録集に写真で写り込んでいる自筆文章の前半です。