2021年10月「加藤陽子さんとの出会いと今」

中井久夫『樹をみつめて』(みすず書房・2006年)は「神戸は生きる喜びのためにある街だ。詩人と画家が多い」そしてまた「戦争の切れ端を知るものとしてその”観察”と題して提出せざるにおれないきもちで」書かれたとある。

本書の書評をその年の10月29日の神戸新聞文化面「ひょうご選書」に私が書いた。そして、その中の『戦争と平和  ある観察』を、戦後70年、神戸の震災から20年の年、2015年8月に人文書院から刊行され、加藤陽子さんは聞き手として【対談】「中井家に流れる遺伝子」で中井家の戦争体験を聞き出しました。私は最後に中井先生との対談「大震災・きのう・今日ー助け合いの記憶は『含み資産』」に出ています。

退陣した菅首相による「日本学術会議の会員候補6名の任命拒否」でただ一人名を挙げたのが加藤陽子さんでした。その首相が1年で座を去りました。
私は上述の通り加藤さんと縁があって、存じ上げ、中井久夫さんの『戦争と平和  ある観察』に加藤さんと共に拙文を載せていただきました。
その後、私は加藤陽子さんの著作『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)ー小林秀雄賞受賞ーも読みましたが、その加藤さんの名を上げて任命拒否。政権が個人を「弾圧」する。菅退陣の社説でもこの件を指摘していましたが安部から続く政治の退廃は私たちの責任でもあります。

その後、加藤さんの書かれたものを読みふけっています。

『太平洋戦争への道  1931-1941』(半藤一利・加藤陽子・保坂正康、NHK出版新書)。そして『この国のかたちを見つめ直す』(毎日新聞出版)。

『この国のかたちを見つめ直す』の冒頭に「危機の時代には、国家と国民の関係を国民の側から問い返して、見つめ直すことが必須となろう」とある。
そして学術会議の任命拒否問題についてたずねるインタビューに「私は、この国民世論のまっとうさに、信を置きたい」と答えておられる。
縁をいただいた私も、「この国のかたちを見つめ直す」者として信を返したいと思います。

新聞が退陣を報じるなかで政権発足直後の日本学術会議会員候補6人の任命拒否のことにも触れられています。このこと一つで菅氏には首相の資格は無かったのでした。今回の退陣は、当然であり必然ですが、世界を覆うパンデミック以前に自壊を続ける日本を立て直すのは政治ではなく地域に基盤をもつNGO、NPOや市民力なのでしょう。

『戦争と平和  ある観察』(人文書院)はすでに版元では絶版なのですがギャラリー島田では残部僅少でお求めいただけます(¥2,300+税)。

地下会場で、中井久夫『関与と観察』(みすず書房)や加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』などの書籍を資料としてご覧いただけます。

 

髙村薫『作家は時代の神経である   コロナ禍のクロニクル 2020→2021』

髙村さんの『春子情歌』『冷血』『新リア王』『空海』『太陽』などを読みふけってきました。ギャラリーの作家を共に尋ねたりお見えいただいたりの日々が懐かしく本書もすぐに求めました。
「ご飯論法」のように日常的にほとんど質疑の体をなしていない昨今の国会の問答は、もはや日本語の解体というべき事態である。度重なる公文書の改ざんや議事録の破棄。いまやこの国は記録や文書の意味を解さない未開国であり、多くの場面でいちいち国民に嘘をつく手間すらかけなくなった烏合の衆が政治ごっこをしているのだと言ってよい。そんな末法の世に、私たちは汗水たらして生きている。(P.68)

学術会議、任命拒否の暴挙「説明しない」というファシズム。日本学術会議が推薦した新会員105名のうち6名が除外され、その理由は「説明しない」というファシズム。
独善と無責任の「日本病」、個々の責任を問わない社会の甘さが非効率のはびこる独善を生み、独善が無責任な楽観を生むのである。
髙村薫さんには、「加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸」で「東北の復興、福島の復興と日本の明日」にお招きをして赤坂憲雄さんと対談していただき、私が進行させていただいた(2014年1月12日)。その後もご縁をいただき、関心をいただいた山内雅夫さんのアトリエを共に尋ねたりしたことも懐かしい。