2020年4月「小さな花」

私たちが差し出すアネモネの花はこの世の破滅へ向かうことを止めることに役立つのだろうか。

私は戦中に生まれながら、戦争を知らず、敗戦を知らず、終戦後は自覚せぬままに自らは経済成長のなかにあり、世界中で起こっている不平等や貧困や紛争については関心はあっても対岸の火事だった。

77年の日々への遅ればせの責任を果たさねば・・・

1960年代の後半に、アメリカのヴェトナム征伐に抗議してワシントンへ集った「ヒッピーズ」が、武装した兵隊の一列と対峙して、地面に座りこんだとき、その中の一人の若い女が、片手を伸ばし、眼のまえの無表情な兵士に向かって差しだした一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう。その花は、サン・テックスSaint-Ex の星の王子が愛した薔薇である。また聖書にソロモンの栄華の極みにも比敵したという野の百合である。

  (略)

私は私の選択が、強大な権力の側にではなく、小さな花の側にあることを、望む。望みは常に実現されるとは、かぎらぬだろうが、武装し、威嚇し、瞞着し、買収し、みずからを合理化するのに巧みな権力に対して、ただ人間の愛する能力を証言するためにのみ差しだされた無名の花の命を、私は常に、かぎりなく美しいと感じるのである。

(加藤周一「小さな花」P36 , 38からの引用)

私たちは今こそ、私たちの小さな花を差し出そう。

 

自由よ Liberte

生徒の手帳に  /  学校の机や樹々に  /  また砂の上雪の上にも  /  ぼくは書くお前の名を

よんだすべての白い頁の上に  /  すべての白い頁の上に  /  石や血や紙 灰の上にも  /  ぼくは書くお前の名を

(略)

ただ一つの言葉のおかげで  /  ぼくはもう一度人生をはじめる  /  ぼくは生まれた  /  お前を知るために  /  お前をよぶために

自由よ。

(ポール・エリュアール「Liberte」からの抄訳 加藤周一による)

エリュアールが「詩と真実、1942」を書いた年に、私は生まれた。「Liberte」は童謡のように単純な形式と日常的な単語で書かれている。
しかし、これこそが「抵抗」の詩であった。
「アネモネの花」も、これこそが私たちの「抵抗」の詩であることを確信している。

(注)プーランクがエリュアール の詩による合唱曲「人間の顔」を作曲。その終曲が「Liberte」です。私はアカペラ(無伴奏)合唱団タロー・シンガーズの「Liberte」にいつも深く心を揺さぶられます。今回、個展で登場する里井純子さんは指揮者の里井宏次さんのパートナーです。