天地萬物は無始無終の「時」というものの上に動いている。生々流転。一日一日の時は移り、一月一月の時は轉ずる。そして一年一年が過ぎていく。何処からきて何処へ去るのであるか知らぬが、「時」というこの大きな流れの上に私たちは生きている。
「日」も旅人だ、「月」も旅人だ、「年」も旅人だ。私たちもまた「旅人」でなくて何であろう。
『声の記憶』はいわば私の「老いの細道紀行」といった趣である。
「この道や行く人なしに秋の暮れ」芭蕉
命あるものはみな不思議を生きる。目くらましに見ないで済ませてきたことがあからさまになるパンデミックの今。私たちは微力であっても、他人事ではない我事として考えたいと願ってきました。それはメディアで知る、読むではない、もう一つの「声の記憶」でもあります。昨年末で17人の寄稿をいただき、その多くが私たちと繫がる海外の「声」です。イタリア、フランス、ドイツ、アメリカ、イギリス、デンマーク、チェコ共和国、ベオグラード、韓国、フィンランドなど。2021年夏には計30名ほどの寄稿と、それを受けて、私達はこの時代をどのように生きるのかを纏めたいと思っています。
私達は日々の感染状況、経済、財政動向に振り回されている。でも私たちはそこから外れた新しい道を歩まねばなりません。
1995年1月17日 阪神大震災
2011年3月11日 東北大震災
2020年 コロナ禍
25年の日々の狭間で大きな天変地異と共にあった。しかし今回は特別だ。コロナ禍は国境を人種を超え、時空を超える。
日本にあり神戸に生きるにしても、歴史を抱き、世界に広がる友と語り、人としての明日を共にあゆみたい。
老いるという幸せ
私の手元にシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』がある。その刊行から50年がたつ。
私は「脳」の不規則な応答を友として長くある。経済成長を至上とする社会の中で若さ、効率、生産性ばかりが謳歌される時代が続いてきた。しかし死を視野に入れて年齢を受け入れれば、老いることが出来るという幸せをかみしめることは可能なのではないか。世俗の価値観を脱して本質を見つめ、美しさにいっそう敏感に、自分より他者に向かう時期としての老年期は、決して、惨めでも悲しくもない。老人の中には全ての年齢が閉じこまれている。
時と場によって心の年齢を変えられる。それは老人だけがもつ特権であり豊かさであるかもしれない。
新しい時代を生きるために
2020年はコロナ禍の渦中から新しい挑戦を続けてきました。
7月に2つの部屋とオンラインミュージアムを使って85名の作家が参加する「未来圏から」。この後、リアルな個展とオンラインギャラリーが連動することになり、作家とギャラリーが一体となることが多くなった。
情報発信としては、画廊通信(月1回)メールマガジン、展覧会案内(各2,3回)など、密度、頻度の高い発信を行った。スタッフ、アシスタントスタッフ、インターン、ボラテンィアの総勢11名がチームを成し、出勤調整し、モチベーションは極めて高い。ほとんどが書ける人だ。
そして、『声の記憶「蝙蝠日記」2000-2020 クロニクル』を出版。
2021年も、さらなる挑戦を続けます。
「特別寄稿 パンデミックの時代に」出版、アート・サポート・センター神戸の神戸塾サロン(コンサート・トークなど)を多彩に。公益財団法人神戸文化支援基金の取り組み、プロジェクト「こどもたち、若者たちの未来へ」に主体的に取り組みながら年間1000万程度の事業を検討しています。
留まることなきコロナ禍ですが、それでも皆、アートに関わる人としてなすべきことをなさねばなりません。