須賀敦子『遠い朝の本たち』の章目次にあります。(P131)
須賀さんが麻布本村町に住んでいた9才のころ、隣家に俳人 原石鼎が住む。原に次の句がある。
夕月に7月の蝶のぼりけり
高々と蝶こゆる谷の深さかな
大竹明子写真展「須賀敦子のいた場所」(9月7日~12日)に向けて須賀さんを再読している。
共感と矜持
30才で書店を託され、ギャラリーをはじめ、財団を立ち上げ、神戸や東北の震災に関わるプロジェクトを行ってきた。
震災復興にかかわるプロジェクトを除いては公的な助成は一切受けていない。心の命ずるままにある無名と言っていい人々から託されていることを矜持とし、ひたむきに日々を重ねる作家たちへの共感。そうした降り積もる思いが私たちを駆り立てる。
オーラル・ヒストリー・アーカイブ
5月のギャラリー・インフォーメーションのゲストコラム「縁側にて at the veranda 1」で池上裕子さんからギャラリー島田の資料整備の必要性に触れていただいた。今回、思いがけず大阪中之島美術館開設準備室のオーラルヒストリーの調査でインタビューを受けた。錚々たる皆さんの登場のあとに「なぜわたし?」と思いながら3時間を超えるインタビューにアドリブで答えた。HPで誰にでも読める形で公開されるそうです。
OSAKA CITY MUSEUM OF MODERN ART(大阪新美術館)は2021年開館予定。設計者は遠藤克彦。
続:臍まがり
一回りした臍が考えた。世の中、案外捨てたものではない。行政だけではなく、様々に敵対してきた。しかし行政も経済界も存外フェアだ。批判された行政が距離を置くのはあたりまえのことだ。しかし「アートエイド神戸」「兵庫アートウィークIN東京」「加川広重プロジェクト」などでは行政と企業共に思いを共有した。
要は、事と次第なのだ。