46年前に何もわからぬままに海文堂を継ぎ、書店の規模を広げ元町の復権に力を注いだ。まだ30代。
斜陽元町が燃え、元町ルネサンスと呼ばれた。暴れていたのは老舗の人たちではなく、新参者の私たち。
3丁目の東西で分断されていた街が一体となって浮上する実感があった。
今、この言葉は生きている。そして神戸の大震災でのボランティアでも語られた。
改革する人は破壊する人でもあり「この男危険につき」と、だれも組織に誘わなくなっった。
スズキコージさんのように年令ではないことを思えば、私にもいまもこの精神が宿っている。
よそもの=しがらみがない。ばかもの=身をさしだす。わかもの=こころのありようである。
2月21日。NHK TVの日曜美術館のディレクターYさんから電話があり、ギャラリー を訪ねてこられた。4月7日にスズキコージさんを特集されることを告げられ、「なんで私に会いに?」と訝るわたしに、昨年、大賞をさしあげたKOBE ART AWARDの表彰状に私が書いた文章について聞きたいとのこと。ええ??。そんなん覚えていない。Yさんはタブレットを出して見せて下さった。
なるほど。私のコージさんへの思いが現れている。
今、私が新たに取り組もうとしている二つのプロジェクトがある。そのプロデューサはどちらも女性なのですが、とりかかってすぐに、その後ろにスズキコージさんの姿が「ぬっと」あらわれた。口出しをするわけでなく繋がった。その自然さが大好きだ。
よりよき市民社会をつくるためのNPO、NGOの活動が行われ、組織のありなしにかかわらず様々な試みがメディアに取り上げられている。アートにとっては既成の概念を批判し、うち破っていくことがあたりまえに大切な役割だ。
だけどアートだけではないが、
最近、巷にあふれる美談は米の飯に砂糖をふりかけて食べるような不道徳な感じがする(鶴見俊輔)
どろどろ ねばねば
穏やかな人間なのに、振り返れば絶えず、改革を目指し、阻害するものと闘ってきた。「お前は許せない」と思っている人がたくさんいる。普通はそこまではしない。
皆さんの記憶に新しいのは神戸市長に申し立てした「STOP&CHANGE」の運動かもしれない。糾さないで、美しいことを上書き(糊塗)しても、いずれ綻びがくるだけだと思う。
その時はわからなかったのだが、今、思えば市長は自ら「STOP&CHANGE」をする人だったのだ。
わが身が終りに近づくいてきてなお、追われるように日々を暮らしている。
新しいことを「こうすればできるかもしれない」と妄想する。
こことここをこう繋げばできるかも? それは「trans-」についても起こっていることらしい。
この私に取り憑いたこうした妄想こそSTOP&CHANGEしなければ私に安息はないかもしれない。
と、言いながら見回せば私よりもっともっと粘着性の高い接着人がうろうろしている。
このスピリットを自然体で放射するスズキコージさんとその周りの皆さんにも感じる。
どろどろ ねばねば だから何かがいつも起こる。
じたばた
多く書き散らしてきた文を、蝙蝠日記として最後の本にしようか? と、ふと思った。スタッフがデーターとしてくれたものを風来舎の伊原秀夫さんに渡して、私も読み返してみている。
私が最初に単著として出したのが「不愛想な蝙蝠」(1993年:風来舎)。帯に「面白真面目な、甘辛エッセイ」とある。このタイトルに決まるまでにいろいろ案があって、伊原さんは「生きるじたばた」を挙げたが、「不愛想な蝙蝠」に決まった。この「あとがきに代えて」は面白い。
さて、私の、最後の一冊と思って2000年からの原稿を読み返してみたが、じたばたしているだけで、伊原さんに「あんまり面白くない」と伝えたら、「そとのことには猪突猛進なのに、ご自分のこととなると、いつもためらわれますね」と笑われた。ひょっとしていまが「生きるじたばた」のクライマックスなのかもしれない。
人を取除けてなおあとに価値のあるものは、作品を取除けてなおあとに価値のある人間によってつくられるような気がする。
辻まこと(1980年11月 市 英昭 葉書随筆から)