2019.2「年の初めに」

読みたい本と読める本の距離がどんどん離れていく。分厚い本が好きなのだけど、日々の隙間にどんどん届く、ミニコミ、小冊子、報告書。そのどれもが私の末端神経と繋がっていて、読まずにおれない。PCでクリック消去とはいかない。書斎の塵箱へ投入するには決断がいる。

いままで、どれほどそうしたものから教えられてきたことだろう。

昨年末、後藤正治さんを神戸塾にお招きした。ちょうど『拗ね者たらん 本田靖春 人と作品』(講談社)を付箋を付けながら読み終えたところだった。

私は本田さんの『我、拗ね者として生涯を閉ず』(講談社)を読んでいた。市井の拗ね者を志してきたものとして。

 万年筆を持てず、モルヒネの投与で激痛を緩和し、指に、軽い水性ペンをテープで巻きつけて固定して書いた原稿の最後にこう記されている。

 私には世俗的な成功より、内なる言論の自由を守り切ることの方が重要であった。でも、私は気の弱い人間である。いささかでも強くなるために、このとき自分に課した禁止事項がある。それは、欲を持つな、ということであった。欲の第一に挙げられるのが、金銭欲であろう。それに次ぐのが出世欲ということになろうか。それと背中合わせに名誉欲というものがある。

 これらの欲を持つとき、人間はおかしくなる。いっそうそういうものを断ってしまえば、怖いものなしになる。後藤さんのP386 から

母の遺伝子

年末年始は東京から島田剛・恵美と二人の孫(高1と小6)と共に過ごした。

剛と恵美は大学時代から発展途上国の問題に取り組み、その縁でパートナーとなり、現在は二人とも大学の准教授である。

剛は国連勤務、緒方貞子秘書などを経て社会的資本を育成することによる新しい形の途上国支援のモデルに取り組んでいる。剛の家族と大阪のホテルで元旦を迎え、どこに行くかと問えば、鶴橋か通天閣という。結局、通天閣で、串カツをお腹いっぱい食べ、釜ヶ崎を歩いた。孫娘たちにとっては大晦日に紅白歌合戦を愉しんだ翌日の衝撃的な落差。2日は我が家に島田陽・容子と迪を交えて全員集合し、お祝の膳を囲み、それから墓参をした。夜はまたにぎやかに鍋を囲んだ。

様々に去来するものがあり、ふと終生を幼児教育に捧げた「母の病床日記」を読んだ。聖書の言葉が続き自身の病を「左聴神経腫瘍」とある。私は脳腫瘍と信じ込んできた。その手術を1975年、1979年、1985年と3回も受け、2008年91才で召された。私は1989年に脳脊髄鞘腫の手術を受けた。なんということだ。母も左聴覚を失っていた。こんなことを今まで気が付かないとは。

東北大飢饉が起こった時に、自ら志願して秋田県の農村にセトルメントの運動に入ったという。そこは上野駅から東北本線黒沢尻へ、そこから何度も乗り継いで、一昼夜を要する生保内という村であった。母がまだ10代の、昭和10年から12年にかけて、まだボランティアという言葉がない時代のことである。

今、改めて、私には明らかに母のDNAが植えこまれて、ここに集まったみんなにも自然に受け継がれている気がしている。

私たちの希望はどこにあるかー今なすべきこと

『拗ね者』に先だって『加藤周一はいかにして「加藤周一」となったか』鷲巣力(岩波書店)に読み耽った。著作集、自選集などを持っているが都合よく拾い読みをしているに過ぎない。でも加藤周一という生き方には強く惹かれてきた。

2003年9月21日、神戸朝日ホールで「加藤周一講演と対話の集いー私たちの希望はどこにあるか」を開催。金守良(神戸朝日病院院長)が実行委員長、私もメンバーだった。その記録を『かもがわブックレット◆148』で刊行、のちに『加藤周一 戦後を語る』(2009: かもがわ出版)に再録された。この前後、加藤周一さんを京都や神戸で囲む集いにはよく声をかけていただき、隣の席に座らせていだくことが多かったのは何故だったのだろう。無口だから善き読者であると主催者が思い込んだからに違いない。

ブックレットには加藤さんに花束を渡す林淳子の写真が掲載され、そのあとの懇親会では、加藤さんから今は亡き妻、悦子に花束をいただいた。

天下の大勢に従わず、流行を追わず、奢侈を好まず、権力に寄らず、権力者を権力者ゆえに敬さず、組織に属さず、孤立を恐れず、腕力に頼らず、愚痴をこぼさず、大口を叩かず、声高に叫ばず、女性を軽んぜず、弱者を蔑まず、不合理を尊ばず、みずから確認できたことしか信じなかった。

『加藤周一という生き方』鷲巣力(筑摩選書)  P105,106 

 加藤さんは知識をいっさい、権力のために使わなかった。知識の量は言うまでもないが、我々と接する態度は「巨人」「巨匠」といった感じとはほど遠かった。存在として、人間として、まったく対等・平等であった。常に暖かく接していただいた。及びがたく、されど学びたいと思ったのは、何よりも、この姿勢、態度である。

『ひとりでいいんです — 加藤周一の遺した言葉』凡人会(講談社)P260 

 2019年。すべてにおいてむずかしい時を迎えているように思います。私たちが出来うることを、皆さまと共になしていきたいです。スタッフ一同とともに、よろしくお願いいたします。