1978年に応接室を日曜大工で改造して始まったギャラリーが、海文堂で3回の拡張。2000年9月に北野でギャラリー島田として開設。
un、deux(2003)、trois(2016)と順次拡がりましたが、いわば成り行きでした。そして40周年を迎えることになりました。
慎重というよりは臆病、大志がないと言えばその通りの歩みです。
私たちの日々。その微細な刻々にも自由な眼差しと意志を込めて、ひとつひとつ重ねてきて今を迎えました。それらに通底する思いが交響し何事かを静かに伝え、そのどれもが先例のない誰でもが使える小さなモデルでありたいと思います。
成り立ちから地域との関わりを大切にし、まちや社会との接点、その境界を探ってきました。自分の出自を選べないように、それを引き受け、そのために有機的な共同体を試み、挑戦的、実験的な在り方を探っています。
皆さまも感じておられると思いますが、それぞれの作家の皆さんからおそわり、ワクワクし、ドキドキしながら、ともに展覧会を、場を、作り上げていくことが楽しく、他の事はどうでも良くなってきました。40年も経って今さらなんだ、と言われそうですが、スタッフ共々に、とても新鮮な日々を過ごしています。
ここままで来られたことだけでも「ありがとがんす」としみじみと思います。「鈍行こうもり号」の静かな旅が続いています。「タルホ」「タルホ」とアナウンスが聴こえてきます。こうもり号の次の停車駅はTERMINALのようです。だれが、何が待っているのでしょうか。
きみたちはどう生きるか
吉野源三郎著「きみたちはどう生きるか」(マガジンハウス刊)を久方ぶりに読みました。
懐かしい中学校での教室の思い出が蘇る。シンとした教室で蝉の声を聞きながらノートに日々のことを書く。正面には厳しいN先生が背を伸ばし、瞑目している。ある日、この本の感想を記した。それに先生はまた感想を記して返してくれる。
その日々「きみたちは・・」を繰り返し読んだ。
立候補もしない生徒会長だった日々。振り返れば、いささか力んでいたのはコペル君のせいだろうか。
誰かのためにっていう 小さな意志が ひとつひとつ つながって
僕たちの生きる世界は 動いてる
ジョバンニもコペルも私の中で通奏低音basso continuoとしていまも微かに響いている。
はるかに歳を重ねたこのごろ、知ることが辛い、聞くことが苦しい。そのことを体全体で拒絶しているような思いにとらわれている。
政官の見るに絶えない振る舞い。それからさきは底しれぬ闇としかおもえない。
メディアに溢れる美しい話は「米の飯に砂糖をふりかけて食べるような、不道徳な感じがする」(「悼詞」鶴見俊輔P250)。
しかし、とまれ。
危険地帯だといって、危険を冒さなければ新しいことは生まれない。方向を持った精神の推進力をいつも愚直に自らを問いつつ。「人間らしさを世界の中で再生させる」という加藤周一の最後に残された声。なにげない日々刻々に自分を晒すことにしか心が動かない。死の在り様も様々に多くの人を亡くし、、自らに比して思い遥かへと辿る。
何か守るものがなければ、何もかも失ってしまう。
You’ve Got to Stand for Something or You’ll Fall for Anything.
あなたたちに言いたいことは、自分が正しいと信じるもののために立ち上がるのを恐れるな、ということではありません。
そうではなく、誰ひとりとして味方がいなくても、自分だけはいつも自分の味方なのだ、ということなのです。
テネシー州の極めて保守的な町のハイスクールの18才の生徒、キャスリン・シンクレアが生徒総代の一人として語った。その原稿はチェックされ、様々に誹謗されたが、阻止されることはなかった。終わって静寂を破る勇気ある生徒が現れた。一人の男子生徒が立ち上がり、拍手を送った。(保守的な小さな町の出来事)(「アメリカ、自由の名のもとに」ナット・ヘントフ(岩波書店)P25「良心の自由と国家」から)
私も立ち上がる。