2017.11「太郎さん 花子さん ご冗談でしょう」

太郎さん 花子さん ご冗談でしょう

お金をめぐるalternative

この通信や私が書くものにお金のことがよく出てきます。
神戸の震災の時の「アート・エイド・神戸」も、東北の震災の時の「アーツ・エイド・東北」も、まずはアーティストの活動を市民の皆さまの力で支援(いまは志縁)することを考えました。
行政や企業とは違う、市民の皆さまの一人一人の志を大切につなぎたいと思います。
その源と行先こそが大切なのであり、お金の話ではないのです。

太郎さんが言いました。 「金持ちやねえ」
花子さんが言いました。 「お金集めが上手やねえ」

島田から 「ご冗談でしょう」
芸術文化を支えるもの

国や県・市や外郭団体によるものの原資は概ね税金です。企業によるものは企業活動の原資によるものです。
私たちの活動は無名の市民の皆さまによるものです。

公益財団法人「神戸文化支援基金」をはじめとして、この25年で、「アート・エイド・神戸」「ぼたんの会」「アート・サポート・センター神戸」「加川広重巨大絵画プロジェクト」(3回)などに対して大きなお金をいただいていて、その多くは市民の皆さまによるものですが、行政や企業からの助成も含んでいます。私はひたすら、そのことの意味することを語り続けてきました。※1
それは愛かもしれない

ロバートフランク展は7000人を超える皆さまに見ていただいた奇跡のごときプロジェクトでした。そして多くの皆さんからご寄付をいただきました。Closing Eventで多額の寄付を下さったTさんが「私、志あるものに弱いねん」と笑顔いっぱいでした。
皆さまの寄付は「志」であり「プロジェクトを愛し」「地域を愛する」ことの形だと思います。

太郎さんへ。 私はその愛について語り続けているのかもしれないですね。
花子さんへ。 お金は集めるものではなく集まるものなのかもしれないですね。

——そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
立原道造「のちのおもいに」より

ギャラリーでは多くの作家と出会い、作家も作品も大切に思い、書いたり語ったり。神戸の街や文化や人々のことをわがこととして「あめにもまけず、かぜにもまけず」に語りつづけています。ネットの「いいね!」でもCrowdfundingとも違う、手から手へ、魂から魂へ渡されていくものだと信じて。そういう意味ではanalogそのものかもしれません。
次郎さん 愛子さん それは誤解です

「過激派」だ「天敵だ」と言われ、そうした面は確かにあり、自分でも冗談めいて使っていますが、必ずしもそうではありません。

次郎さんへ。
みんながもっと自由に行動されることを願って伝えたいことです。
私が企画した大きなプロジェクトは兵庫県や神戸市と共催して実現していて、しかも既存の助成制度の枠外でのことなのです。もちろん企業の支援もいただいています。※2 それらは詳細に記録集を作成し、公開してきました。
世の中は案外と柔軟であることを示していませんか。

愛子さんへ。
こうしてまとめてみれば改めて大きなお金(志)を託されていることに気づきます。
そしてギャラリーでも才能溢れるあたらしい作家たちの場でありたいと思います。
その作家たちは、ここで何かを感じ、出会い、また新しい場へと旅立っていきます。私が関わる財団にしてもプロジェクトにしてもギャラリーであっても、誰でも学び、創り出していけるものとしてのモデルでありたいと思っています。
もっと自由であり、楽しみながら豊かであって欲しいのです。

 

2017.10「かもしれない&まあいいか」

かもしれない & まあいいか

まもなく生を享けて27300日。ほぼ父の人生と重なる。無欲だった父は最後の日まで実直な会社員生活をおくり勤めの最後の日、帰宅して母が用意したお風呂の中で亡くなった。病気をしたことのない人だった。奉仕教育活動の母。この二人のDNAが私の中にある。

傍目に見れば波乱の人生に違いないが、Y字路に立つたびに普通でない道を選び続けてきたのはその遺伝子によるものかもしれない。
今年は公益財団法人「神戸文化支援基金」がその前身である公益信託「亀井純子基金」の誕生から9000日。
来年はギャラリー島田が前身である海文堂ギャラリーの誕生から14600日。
それぞれ75年、25年、40年のことだが、日々の積み重ねとしての実感を日数に託した。

日々を日々に生きる

歩んだ道を振り返れば登山に喩えられるかと、ふと思ったが、私は何かを仰ぎ見るということはない。「大志を抱く」こととは遠いようだ。

ギャラリーの日々も、海文堂ギャラリーは毎週の展覧会でしたし、ギャラリー島田となって今や三つのギャラリーで個展や常設展をしている。
もともと画廊の仕事や美術のことについては全くの素人で書店経営の一端として始めたことだった。その日々が今に続き、年に60余回の展覧会を三つのギャラリーを組み合わせて開催している。
震災前の日々から、後に著名になられる作家たちが登場、またそのころデビューした画家たちが今を支えてくれるまでになっていることがうれしい。

基金が財団になるには高いハードルを越えてきたが「社会貢献」としての企業メセナや行政による助成事業と違うのはその活動の源が市民の志であることだ。
そしてその助成を受けた事業が地域の文化を豊かにしていることに思いを馳せる。
小さくとも、その志が希望なき時代の希望だと思うのです。※1

過激か、暴走か、狂気か

積み重ねてきた日々。いろんなところで衝突をくりかえしてきた。
過激派 ? 歌劇派 ?
県下某市の市長さんに挨拶したら「島田さん。過激派ですね」そして「私は元・過激派。今は歌劇派」と返されました。

ノンフィクション作家さんからの便りの枕はいつも「暴走老人、お元気でなにより」です。
そんなレッテル。まあいいか。
しかし、こんな時代を顧みずに突っ走る私は、ひょっとして狂っているのではないかと自らを疑ってもみるのです。
狂気は頭部に宿るのでしょうか、事実、その不調にも悩まされていますが、その狂気が
?It is needed for everyone’s happiness. ※2
everyone’sとはいいません。私たちに関わるみなさん yours であれば「狂ってる」と言われても、まあいいか。

※1 助成累計 194件 5千万円 基金残高 35百万円
※2 「銀河鉄道の夜」から