2017.12「長く生きてきた 何ほどのものか」

皆さんが読んでくださる頃には75歳を迎える。そしてギャラリーは来年、40周年を迎える。
何度も言ってきたことである。その年月に加えることはない。
今は、その年月を支えてくださった皆さんのことをひたすら、ありがたいと振り返っている。

私はいつもアマチュアだった

サラリーマンの衣を脱ぎ捨てて海文堂書店を継いだ。右も左もわからぬままに。
ギャラリーを始めた。右も左もわからぬままに。
北野でギャラリー島田をはじめ、今に至っている。

1981年に書店を新築。そこをデザインし、基本的な理念を提示した。2013年に100周年を目前に閉店するまで、書店の声価を高めてきたのは小林良宣、福岡宏泰の店長が率いるスタッフたちだった。閉店は残念ですが、私の理念を遥かに超えて、あれほど惜しまれ、愛される書店に育てあげたのは彼らチームの本への愛なのだ。

ギャラリーを担った人たち

1978年に海文堂の社長室兼応接室を自ら改装してギャラリーをはじめた。書店新築にともない本格的なギャラリースペースを持った。右も左もわからぬ私に前を向かせたのが亀之園洋子(現・大橋洋子)。そのあとを大橋信雄や佐野珠緒などが発展を支えた。現在、大橋信雄はギャラリー「歩歩琳堂」を、佐野珠緒は銀閣寺の花方として国際的に知られ、いま花士珠寶として活躍している。
世界的なアーティスト中島由夫を日本で継続的に紹介するために大橋洋子は「中島由夫画集」を、佐野珠緒は「Yoshio Nakajima Document 1940-1994」の編集に関わり、大橋信雄は松村光秀の画集「身・姿」(光琳舎)

ギャラリーを担っている人たち

海文堂を離れてこじんまりとやろうと場を探す私を叱咤したのが悦子(妻)だった。2000年に北野でギャラリー島田を開設。林淳子(当時は法橋)は新しい場を中心(ほとんど一人)で支えながら石井一男画集「絵の家」「絵の家のほとりから」「女神」(風来舎)の出版に関わった。島田容子は様々な業務を改革しながら斬新な企画に取り組み、アート・サポート・センター神戸の取り組んだ「加川広重巨大絵画プロジェクト2015」の中心として、私の思いもよらぬコンテンツを詰め切り中井明子の事務局とモニュメンタルな規模で成功させた。
この中井、島田が公益財団法人「神戸文化支援基金」の事務局を支える。

そして今

ギャラリー島田がUn(地下)、Deux、Trois(1F )の三つの場をもつことになった。
なんの展望もないまま、隣接する場が空いたことに押されてのことで、これは時代に逆行している。
そして今を支えるのがまだ2年前後を過ぎた猪子大地、松浦友与。彼らが加わることによって毎日のように業務が改革され整備されつつある。林淳子、島田容子も子育てをしながら関われる範囲でチームを形成し、インターンさんたちと共に、コモンズを形成しながら有り余る課題解決に追われている。

やりがいに火をつける

なぜいつまでもアマチュアでしかない私の周りで事は起るのだろう。
だいたい、私がこうしたいと始めること、私の思いの2倍くらいのことがいつも起こる。
うすうすと感じはじめたのが中学のころからだった。望まぬままに何故かいつもリーダーだった。
楽器も弾けない、音楽理論も知らないのに、合唱団では指揮者だった。歌い手に余程、専門家がいるのに。これも不思議でならなかった。
組織になじめず、水平的で、自由でありたいと孤立へ向かうのに何故、リーダーを要請されるのか。Topにならないリーダーの役割をみんなが望んでいるのだろうか。
ともあれ、自分は自分でしかない。
スタッフや関わる多くの人たち、そして作家たち、アーティストたちの心のやりがいや生きがいに火がつくのであれば、それが私のやりがいであり、生きがいなのだ。

2017.11「太郎さん 花子さん ご冗談でしょう」

太郎さん 花子さん ご冗談でしょう

お金をめぐるalternative

この通信や私が書くものにお金のことがよく出てきます。
神戸の震災の時の「アート・エイド・神戸」も、東北の震災の時の「アーツ・エイド・東北」も、まずはアーティストの活動を市民の皆さまの力で支援(いまは志縁)することを考えました。
行政や企業とは違う、市民の皆さまの一人一人の志を大切につなぎたいと思います。
その源と行先こそが大切なのであり、お金の話ではないのです。

太郎さんが言いました。 「金持ちやねえ」
花子さんが言いました。 「お金集めが上手やねえ」

島田から 「ご冗談でしょう」
芸術文化を支えるもの

国や県・市や外郭団体によるものの原資は概ね税金です。企業によるものは企業活動の原資によるものです。
私たちの活動は無名の市民の皆さまによるものです。

公益財団法人「神戸文化支援基金」をはじめとして、この25年で、「アート・エイド・神戸」「ぼたんの会」「アート・サポート・センター神戸」「加川広重巨大絵画プロジェクト」(3回)などに対して大きなお金をいただいていて、その多くは市民の皆さまによるものですが、行政や企業からの助成も含んでいます。私はひたすら、そのことの意味することを語り続けてきました。※1
それは愛かもしれない

ロバートフランク展は7000人を超える皆さまに見ていただいた奇跡のごときプロジェクトでした。そして多くの皆さんからご寄付をいただきました。Closing Eventで多額の寄付を下さったTさんが「私、志あるものに弱いねん」と笑顔いっぱいでした。
皆さまの寄付は「志」であり「プロジェクトを愛し」「地域を愛する」ことの形だと思います。

太郎さんへ。 私はその愛について語り続けているのかもしれないですね。
花子さんへ。 お金は集めるものではなく集まるものなのかもしれないですね。

——そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
立原道造「のちのおもいに」より

ギャラリーでは多くの作家と出会い、作家も作品も大切に思い、書いたり語ったり。神戸の街や文化や人々のことをわがこととして「あめにもまけず、かぜにもまけず」に語りつづけています。ネットの「いいね!」でもCrowdfundingとも違う、手から手へ、魂から魂へ渡されていくものだと信じて。そういう意味ではanalogそのものかもしれません。
次郎さん 愛子さん それは誤解です

「過激派」だ「天敵だ」と言われ、そうした面は確かにあり、自分でも冗談めいて使っていますが、必ずしもそうではありません。

次郎さんへ。
みんながもっと自由に行動されることを願って伝えたいことです。
私が企画した大きなプロジェクトは兵庫県や神戸市と共催して実現していて、しかも既存の助成制度の枠外でのことなのです。もちろん企業の支援もいただいています。※2 それらは詳細に記録集を作成し、公開してきました。
世の中は案外と柔軟であることを示していませんか。

愛子さんへ。
こうしてまとめてみれば改めて大きなお金(志)を託されていることに気づきます。
そしてギャラリーでも才能溢れるあたらしい作家たちの場でありたいと思います。
その作家たちは、ここで何かを感じ、出会い、また新しい場へと旅立っていきます。私が関わる財団にしてもプロジェクトにしてもギャラリーであっても、誰でも学び、創り出していけるものとしてのモデルでありたいと思っています。
もっと自由であり、楽しみながら豊かであって欲しいのです。

 

2017.10「かもしれない&まあいいか」

かもしれない & まあいいか

まもなく生を享けて27300日。ほぼ父の人生と重なる。無欲だった父は最後の日まで実直な会社員生活をおくり勤めの最後の日、帰宅して母が用意したお風呂の中で亡くなった。病気をしたことのない人だった。奉仕教育活動の母。この二人のDNAが私の中にある。

傍目に見れば波乱の人生に違いないが、Y字路に立つたびに普通でない道を選び続けてきたのはその遺伝子によるものかもしれない。
今年は公益財団法人「神戸文化支援基金」がその前身である公益信託「亀井純子基金」の誕生から9000日。
来年はギャラリー島田が前身である海文堂ギャラリーの誕生から14600日。
それぞれ75年、25年、40年のことだが、日々の積み重ねとしての実感を日数に託した。

日々を日々に生きる

歩んだ道を振り返れば登山に喩えられるかと、ふと思ったが、私は何かを仰ぎ見るということはない。「大志を抱く」こととは遠いようだ。

ギャラリーの日々も、海文堂ギャラリーは毎週の展覧会でしたし、ギャラリー島田となって今や三つのギャラリーで個展や常設展をしている。
もともと画廊の仕事や美術のことについては全くの素人で書店経営の一端として始めたことだった。その日々が今に続き、年に60余回の展覧会を三つのギャラリーを組み合わせて開催している。
震災前の日々から、後に著名になられる作家たちが登場、またそのころデビューした画家たちが今を支えてくれるまでになっていることがうれしい。

基金が財団になるには高いハードルを越えてきたが「社会貢献」としての企業メセナや行政による助成事業と違うのはその活動の源が市民の志であることだ。
そしてその助成を受けた事業が地域の文化を豊かにしていることに思いを馳せる。
小さくとも、その志が希望なき時代の希望だと思うのです。※1

過激か、暴走か、狂気か

積み重ねてきた日々。いろんなところで衝突をくりかえしてきた。
過激派 ? 歌劇派 ?
県下某市の市長さんに挨拶したら「島田さん。過激派ですね」そして「私は元・過激派。今は歌劇派」と返されました。

ノンフィクション作家さんからの便りの枕はいつも「暴走老人、お元気でなにより」です。
そんなレッテル。まあいいか。
しかし、こんな時代を顧みずに突っ走る私は、ひょっとして狂っているのではないかと自らを疑ってもみるのです。
狂気は頭部に宿るのでしょうか、事実、その不調にも悩まされていますが、その狂気が
?It is needed for everyone’s happiness. ※2
everyone’sとはいいません。私たちに関わるみなさん yours であれば「狂ってる」と言われても、まあいいか。

※1 助成累計 194件 5千万円 基金残高 35百万円
※2 「銀河鉄道の夜」から

2017.9「みずからをはげます人」

みずからをはげます人

数かぎりない出会いがあり、別れがあり、日を重ねています。
人が人である限り信頼と背信があり、理想と現実があり、
叶うものがあり、叶わぬものがあり、慌ただしい振り子のようです。

全ては私を源とし、私に返ってくるものです。しかも日々、降りかかり、積み重なるもの。

友人が言います。「あなたに必要なのは克己心です」
「え??」
「強すぎる克己心を捨てる克己心です」

眠りに入るまえに本を開く。間違えば、ますます眠れなくなる。

昨夜、手にした本から

「そう考えない自由が私にあるのだ」

西暦121年生まれのマルジュス・アウレーリウスの「自省録」から

「いったいいつ、きみは単純であることを楽しむようになるだろうか」

「ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。
またよそへゆくとすれば、それはきみののぞむままだ。
また死ぬとすれば、きみの使命を終えたわけだ。そのほかはなにもない。
だから、勇気をだせ」

これらの言葉は、長田弘「記憶のつくり方」(晶文社)の最後におかれている。
その題は「みずからをはげます人」

私のまわりにいる多くの、「みずからをはげます人」に、この言葉を捧げます。

2017.8「思えば遠くへ来たもんだ。」

思えば遠くへ来たもんだ。
今年は「こぶし基金」が25周年、来年はギャラリー が40周年。

Triple Jump
1973年に海文堂書店を継ぎ、大規模を目指し Triple Jump。
亀井純子さんの遺贈から始まった「基金」もTriple Jumpで公益財団法人に、25周年。
ギャラリー島田もUn,Deux,,TroisのTriple Jumpでの挑戦で40周年を迎えます。

「高跳び」ではなく全力で助走をし、地を平行に出来るだけ遠くを目指す。
私の三つの取り組みと、それぞれが三つのStepを踏んでいることに気がつきました。
そしていつも「いままでになかったものを」と模索してきたようです。

「前例のないもの」も、ひとたび実現すればそれが「新しい前例」となり、地道に拓いていくことを願ってきました。

仕舞仕度
生きることにも、自らの稼ぎにも、贅沢にも関心がなく、今の全てが「私の仕舞仕度」なのですが、押し寄せてくる大波にたじろいでいます。

気がつけば、関わることが、熱を帯び、「マキコムズ」ではないですが、知らずと巻き込みながら次第にうねりとなり向かって来て、巻きこまれそうに立ち竦(すく)む私をはるかに越えていくようです。

振り返えれば、いつもそうでした。

若い頃の合唱指揮者として、書店経営、震災支援、加川プロジェクト、こぶし基金、ギャラリーのこと。すべてにおいて、震源は私であっても、うねりを起こしているのはスタッフであり関わった皆さんがなしたことです。

丁寧に仕上げたいという思いは強くなるばかりですが、様々な衰えが赤信号を点しています。「蝙蝠、赤信号をわたる」(神戸新聞総合出版センター)を書いたのが1997年。いまは「わたったらあかん」と体が伝えているのでしょう。
そうした悶悶の日々、友人が「あなたはアーティストの魂をもっているので、その道には終わりがない」と伝え、「関わっていることが未完の作品なのだ」というのです。

なるほどTriple Jumpはathleteの喩えですが私の関りではArtistなのですね。

 今日もキャンバスに向かい、終わりなき一筆を重ねながら着地点へ向かいます。

ギャラリー島田の40周年にむけて
海文堂書店の社長室を日曜大工のように改造してギャラリー としたのが、はじまりでした。その原点からアマチュアであり、一歩一歩の亀の歩みを続けてきたようです。その思いを確かなものとし、より遠くへと・・

夏季休廊の間に三つのギャラリーのメインテナンスを行います。

後半は新しい作家が続々と登場し、1985年の初個展以来、様々に関わってきた中島由夫さんをスウェーデンから、アールブリュットの小幡正雄(1943-2010)展。北野在住の絵本作家、植田真展。石井一男新作展。最後には奇想粘菌世界を描く大竹茂夫など。多彩に展開します。

2018年の40周年について
歴史を刻んだ作家たちが当ギャラリーのMemorial Bookために描かれた作品が600点を超えます。「具体」の作家をはじめお亡くなりになられた作家さんも多く、貴重なDocumentとしてData Base化し、ささやかな幕開けの集いとともにこのDocumentをご披露いたします。

開幕は大切にしている作家の主要な作品をギャラリーコレクションとしてご紹介。

初登場の沢村澄子(書家・岩手)加藤竜(ドイツ)、三つのギャラリー を使っての「藤本由紀夫」「榎忠」「元永ファミリー」など多彩なラインナップで展開いたします。

人生のY字路に立つ度に選びとった一歩一歩が自ずと歴史を刻んできたことにいささかの感懐をもち、すべて多くの皆さまの支えがあってこそ、いまこの道を歩き続けることが出来ていることに深い感謝を捧げたいと思います。

2017.7「静かな光に身を捧げる」

静かな光に身を捧げる

昨今の日本、いや世界について、見聞きするすべてを私の五感が拒否をしている。それは足、腰、眼、聴、脳へとひたひたと侵攻してきた。現実は体に悪い。

静けさを両手に受け止めることが、今までにないほど、大切なときが、やってきた。黒い岩肌を伝う水の音、山鳥の囀り、森を吹きわたる風、栗鼠の呼吸、月の運行、胡桃のように大粒な星の光、そして海、子供、男と女……。その言葉ひとつひとつに胸をひらくことが大切なときが、還ってきた。ますます精巧な武器や機械に人間が囲まれてしまった今、という時代だからこそ。
詩とは、静かな光に身を捧げること。そうでしょう?    山崎佳代子

「ベオグラード日誌」(読売文学賞受賞)の冒頭から。ユーゴースラビアはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、ユーゴ解体と絶えず戦火に晒されてきた。
季村敏夫さんの導きで山崎さんと2年前に東京のセルビア共和国大使館でお出会いしました。今秋、帰国される山崎さんを11月の神戸塾サロンへお招きすることが決まりました。その時、日本はどうなっているのか? その状況を踏まえてお話しいただきます。

その季村敏夫さんに「美の散歩道」へ緊急寄稿をお願いしました。

岡崎乾二郎氏監修の展示『抽象の力』を観て 季村敏夫(詩人)

深い構想力、破壊力、緻密な構成力。三位一体で迫る創造的な展示、観ることを試される体験、出会いだった。観るという動詞を選んだが、視覚のみならず触覚を含めた身体、全感覚がゆすぶられる時間を贈られた。
6月11日まで開催されていた岡崎乾二郎の認識—『抽象の力—現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜』(豊田市美術館)。造形作家の岡崎乾二郎氏監修、まさに渾身の展示。第二次世界大戦後に歪曲された抽象芸術の核心部を明示、従来の美術史の読み直しという構想はそのまま、現在に撃ちこまれる世界認識であること、現代美術にあかるくないわたしにも明瞭に響いた。
岡崎氏は抽象芸術が歪曲された原因を三つあげる。一つは抽象を視覚的な追及とみなす誤読。二つ目はデザイン的な衣装とみなす偏見。三つ目は具体という用語の誤用。これまでの発想を転倒、それぞれに新しい解読を試みる。そのため、文学、哲学、自然科学、教育、宗教という違ったジャンルが横断的に動員される。
展示コンセプトの一つは、眼が実際にとらえている感覚と、認識される像とのズレ。この落差の自覚を印象派からキュビズムへ至る画家がどう抱えていたのかをたどる。ロンドン留学を終えた夏目漱石の文学論(世界認識)が落差の解明に挑み、熊谷守一やポアンカレの翻訳に挑んだ寺田寅彦らにどのような影響を及ぼしたか。また、日本の抽象画の嚆矢である恩地孝四郎がどのような背景から誕生したのか。フリードリッヒ・フレーベル(1782~1852)の幼児教育遊具の影響がカンディンスキーやクレー、ル・コルビュジエ、海を越え、恩地孝四郎や北原白秋、村山知義、萩原朔太郎らにいかに及んだのかを分析する。他に、ヘルムホルツの音響学の影響を受け、絵を描かずに数式ばかり書きこんだ熊谷守一の日記、坂田一男とモランディ、靉光と岸田劉生の相関関係への言及など、図録は卓見に満ちている。ちなみにフレーベルの思想により開園した神戸の頌栄幼稚園が紹介されている。
戦争を讃美した未来派のマリネッティを引き、モダニズムの最高形態は戦争だという言説があるが、展示の会期中に行われた岡崎氏の講演は厳しい内容であった。昭和の総力戦時、内閣情報部は言論弾圧を行使しながら同時に抽象芸術家の表現を権力の側に積極的にとりこんだ。とりわけ映画への援助を惜しまなかった事例を提示、山本嘉次郎監督の『ハワイ・マレー沖海戦』(特撮は後にゴジラを撮る円谷英二)での戦闘シーンと抽象芸術との関わりを分析した。ここのところを芸術的抵抗とは何か、私はこう受けとめ直した。あらたな戦争事態に突入したにもかかわらず沈黙、依然として快楽享受の傾向に衰えがみられないまま、権力への批判力の劣化をさらに促す巧妙なメディア戦略に翻弄され、あるべき民主政の自壊がつづく現在、岡崎氏の予定時間を大幅にこえてもなお続く静かな語りは私の胸に痛烈なおもいを刻みこんだこと、特記しておく。

2017.6「You must hold on tight to your ticket.」

You must hold on tight to your ticket.
“チケットをしっかり握ぎって“

私たちは、この世界に対しても、この国に対しても、この町に対しても発言し行動をする主体者なのですね。消費者、納税者、観客としてカウントされ、市民、国民としてお任せする存在ではないのです。しかし現実は危険極まりない崖っぷちまで来てしまっています。

“チケット”は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の言葉で、

So the best thing to do, just as you thought a while ago, is to seek
the greatest happiness for others, then go there as soon as possible to join them.
It’s only there that you’ll really be able to go on with Campanella for ever.

に続いてのhold on tight to your ticketなのです。
地域に切り花を飾ってはならない

私たちは多くの皆さんと共にギャラリーという範疇に止まらない様々なことに関わっています。賢治のチケットを握って。
どこもかしこもEVENTとしての文化・アートが溢れかえり、アーティストが様々に関わっていますが。多くは観光という街の賑わいや、消費行動のためと感じます。

私はEVENT(出来事)ではなく、創造的なPROJECT(計画)に関わり、それが積み重なってSTORY(物語)を紡ぎ出していきたいと願っています。

現代アートをまちづくりに活かすことばかり追いかけてきたことへの反省から
一過性の文化イベントではなく、生活とコミニュティに根づいた文化芸術の力を
掘り起こし、それがもつ根源的な力を復興に創造的に役立てる。
地元に根差した物語りや祭りを掘り起こし、アイデンティティを確認する。

佐々木雅幸「創造都市への挑戦—産業と文化の息づく街へ」(岩波現代文庫)あとがきから。
福島県白河市でのシンポジウム「まちづくり・震災復興と文化・芸術」でコーディネートされた佐々木さんからいただいた本書は「創造都市とは?」という問いに深い示唆をいただきました。

2017.5「はじまりはいつもひとり」

長い道のりを歩いてきた。遠くに霞む日々は朧に見えない。彼方から記憶に浮かぶ姿を思い起こせば、いつも孤独なリーダーだった。
誇っているのではなく、訝(いぶ)かっているのです。
何処でもいつも望まぬのに押し上げられては、自ら梯子を降り、外してきました。

しかし、なすべきこと、なさねばならぬことがいつも見え、そのことが私を苦しめてきましたが、本当に必要なことを深く読み取り、目的ごとに取り組む人を選び、皆さんがそれぞれ主役として輝くのを喜びとしてきました。それは類例のないことに立ち向かい、小さな解決モデルをつくり、それをこつこつと動かし続けることとなりました。

ART REVIVAL CONNECTION TOHOKU (=ARC>T)の報告書が届きました。
東日本大震災の1ヶ月後に夜行バスで仙台入りし、せんだいメディアテークに行き、一人で、東北の文化芸術のキーパーソンに私の体験と考えを伝え、その夜にSENDAI座☆プロジェクト稽古場でのARC>Tの会議に呼ばれました。この報告書に私が30数人に囲まれて立ち上がって話をしている2Pにわたる写真、4Pにわたる論考や「アーツエイド東北」発会式のことが紹介されています。出会いを大切にしてくださって、うれしいことです。

前号の「縄を綯う」でお伝えした東北での文化芸術の活動は、その時に蒔いた種が、皆様から志縁をいただいたことによっていることを改めて感謝とともに心に刻んでいます。

人と人との巡りあい、繋がりこそが、目に見えない小さな力、
しかし、それだからこそ内なる世界を少しずつ変える力になるのではないだろうか。
この小さな力さえあれば、様々な土地に刻まれた記憶の豊かさに触れ、
命の重さの等しさを感じ取り、自然の力の深さを確かめ合うことが出来る。
生活というささやかな営みに潜む、無数の小さな力が結び合うとき、なにかを変えることが出来る。
(終りにー「小さな言葉」という小窓から 山崎佳代子「ベオグラード日誌」P226-227)

やるときはみんなと一緒

私はどうもどこかに属したり、そこで役を果たしたりするには向いていないようです。

ひとりではじめて、なすべきプロジェクト毎にチームは変わります。そこで生まれたSPIRITが受け継がれ、関わった人の体験として育っていくのを見守っています。いままでも、これからも、多くの人たちと出会い、その存在に関わる場を持ち、数知れない活動によりそい、全体として社会に出来うる限り、関わっていくのが三つの機能を綯う私たちのこれからでもあります。

ひとりで始めて・・みんなと一緒

振り返れば様々なプロジェクトを紡いできました。
元町の文化と伝統を守る会 元町ルネッサンス 木を植える人の会 アート・エイド・神戸
NGO・NPOのファンドレージングのための「ぼたんの会」 アーツエイド東北  加川広重巨大絵画が繋ぐ東北と神戸
公益財団法人 神戸文化支援基金…、それぞれについて担い手を変えながら、数年、あるいは数十年と、なにかを変えるためにこつこつと歩んできました。立ち止まり、振り返ればいささかの感懐が湧きますが、まだ途上かもしれません。
今後も皆さんとともに歩んでいければうれしいです。

 

2017.4「縄を綯う」

3月4日、5日と福島県白河市文化交流館コミネスにいました。

竹下景子さんの「かたりつぎ」と「TOHOKUとKOBE 希望と祈りのコンサート」に聴き入り、シンポジウム「まちづくり・震災復興と文化・芸術」(注)で話をしました。
これらは22年前の「アート・エイド・神戸」と「竹下景子 詩の朗読とコンサート」、そして6年前の「アーツエイド東北」の誕生、4年前の「加川広重巨大絵画プロジェクト」を源としながら合流し東北の地で生まれ変わったものでした。

コミネスの館長で今回のプロデューサーの志賀野桂一さんこそが私の東北志縁のカウンターパートです。白河市の歴史的シンボルである小峰城とコミュニティを併せて「コミネス」。大(1100)小(300)のホールを持ち、最新設備を備え、その開館記念でした。シンボルは「市民共楽」。

ここに座りながら「俺はいったい何者なのか」と思いは様々にフラッシュバックし、昨日は画廊の仕事を、いま、遠い白河で「想いにふけり」、明日は壇上でなにがしかを語り、夜にはまた神戸にもどり怒涛の日々が待っています。

私という土壌に育った三つの芯糸を撚(よ)る、そして縄として綯(な)う、ひたすら綯い続け組み上げていく。その景色を今見ています。

美の散歩道の八木マリヨさんが神戸の震災のときに弓弥羽神社境内(東灘)で行った”神戸市民500人と制作コミュニティアート”による高さ8m、太さ1mの縄ロジーアートはその象徴だと感じます。その縄は全国から寄せられた古着で綯われていますが、私の場合は多くの方から寄せられた「志」が綯われ、育ち、今や樹齢40年とも呼べるものに生育し、折々に実りを結びます。

高村薫さんの「土の記」(新潮社)を一気に読みました。物語りは同じ縄でも「禍福は糾(あざな)える縄の如し」と薄氷を踏むような日々の事件が起こるのですが、気まぐれな天候と黙々と闘いながら棚田で精魂込めて米を作る伊佐夫。大手メーカーに就職しながら農業を生業とする旧家の婿養子。何やら私と境遇が似ている。言いたいことは、そのことではなく、田を手入れし、種を蒔き、細心の配慮を怠らず、繰り返しの収穫を新鮮な喜びでむかえる人々に共感し、同じ齢の伊佐夫の衰えていく姿にまた自分を重ねたりしていました。

始まりも終わりもない 果てしない 人間の物思いと 天と地と 生命のポリフォニー(高村薫「土の記」 帯の言葉から)

(注)コーディネーター:佐々木雅幸(同志社大学教授)、
パネリスト:鈴木和夫(白河市長)、内丸幸喜(文化庁文化部長)柴山明寛(東北大学准教授)と島田誠

2017.3「6年目の3.11に」

神戸の震災から22年、そしてまさかの6年まえの東北。その体験を経て、この日本の状況が変わり、人が人として生きうる社会への「人間性回復のチャンス」と願い、「アート・エイド・神戸」を起こし「アーツエイド東北」へと繋がってきました。しかし、その思いは届かず、望む方向とは逆へと暴走している気がしてなりません。
今、象徴的な写真を思い出しています。
震災当時、神戸に住んでいた島袋道浩(現代美術家)が須磨のJR線路沿いに建つ、周辺を破壊されて辛うじて残った半壊家屋の屋根に「人間性回復のチャンス」と大書した物を掲げて写真作品としました。その作品に衝撃を受けました。そこに写り込んでいる日付けが「1995年3月11日」(http://www.shimabuku.net/work3.html)なのです。
この1995.1.17から、東北の2011.3.11まで、私たちはここに大書された言葉を抱きながら夢中に走ってきました。果たすことの出来ないことであっても。

支援から志縁へ

私たちは「神戸の文化は自分たちの手で守る」と「お金と人による支援の仕組み」をつくって7年間活動し、今も「アート・サポート・センター神戸」と「こぶし基金」に引き継がれています。 そして2011年。
「東北のことは東北の人々で」文化復興をしてください、私たちはそれに対する志縁(志の縁)をします、と伝えました。
それまでは何気なくつかっていた「支援」という言葉にどこか与えるというニュアンスがあることを教えてくれたのは中川眞(大阪市立大学教授)さんでした。
2006年5月27日にジョグジャカルタ(インドネシア)で大震災が起こり中川さんは「ガムランエイド」として支援に入られ、‘07年に私も現地入りして、生まれて初めての英語での講演をし、現地を見てきました。
中川さんは、その翌年、現地のリーダーから「支援はもういい、シェア(共助)にしよう」と提案されたと、ギャラリー島田でのサロンで教えて下さいました。(注)
支援する側の自己満足ではなく、「やるっきゃない」と地元で立ち上がっている人に市民も企業も国も共感とお金を寄せ自立による復興の後押しをすることが大切なのです。
(注)中川眞「アートの力」(和泉書院)

陰徳と陽報

22年前の震災からの文化的復興活動はメディアに大きく取り上げられ、こうしたことは人知れずやるものだと「陰徳」を説かれることもありました。それも一理はあるのですが、実際に活動するのは「やるっきゃない」人たちで、その活動を支援してきたのでした。
陽報はその人たちが受けるものなのです。
神戸は当事者でしたが、東北ではそうではありません。ひたすらに「志縁」を届けることと「繋ぐ」ことを心がけています。
6年目の今年は福島へ行きます。
3月4日(土)、5日(日)は福島県白河市に新しくオープンしたばかりの白河文化交流館コミネスの開館記念事業である、竹下景子さんの朗読「語り継ぎ」と「祈りと希望のコンサート」でのシンポジウム「まちづくり 震災復興と文化・芸術」で話します。
藤田佳代舞踊研究所が12名でダンスパフォーマンス。舞台背景は加川広重さんの巨大絵画第4作目「飯舘村」です。
こつこつと積み重ねていくことを心がけています。

絶望してはいけない

チャップリンの「独裁者」のスピーチから

この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。 人生の生き方は自由で美しい。しかし、私たちは生き方を見失ってしまったのだ。欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。私たちは考え過ぎで、感じなく過ぎる。機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。(略)
私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。

絶望しながらもなお「人間性回復のチャンス」と伝えよう。