2016.2「ギャラリー島田という絶壁」

今、山本忠勝さんの評論集を出版しようとしています。タイトルは「ギャラリー島田という絶壁」。
山本さんが自身のWeb版批評紙「Splitterecho」で取上げてくださったギャラリー島田の多くの作家さんや私の著書への批評を纏め、そのための書き下ろしをお願いしました。
山本さんは神戸新聞の編集委員として、いつも特別な紙面を与えられ、山本さんしか書けない独特の視点から評論を書いてこられました。
そこには対象への深い愛があり、評する相手を密かに励まし、導いてくれました。その言葉を心に刻んで歩んだ多くの人を知っています。
勿論、私もその一人です。
山本さんが退社されたあと、山本さんの批評評論集を出版したいと思い続けてきました。氏の参加された集まりでもその話しをして、皆さんが即座に賛成されたのですが、ご本人は含羞を漂わせながらもきっぱりと断られたのでした。
諦めきれない私は、それでも何度も迫ったのですが、「自分が在社中に書いたものは仕事であって、発表するようなものではない。そのコピーですら残していない」と重ねての固持でした。
オモイツキ人の私は、それであれば「Splitterecho」からの評論を纏めればと考えて、昨年11月ころに山本さんにギャラリー島田について書いていただくようお願いしました。山本さんは、私が関係することを度々取上げてくださったので、よほど親しい関係、もっとあからさまにいえば癒着と受け取られる方もおありだと思いますが、今、振り返っても、取材を受けた他、二人で会ったこともなく、取材のお願いもしたことがありません。
初めてのお願いのために、お会いし、受けていただき、3週間ほどお待ちして、この原稿をいただきました。

絶壁からの眺め
「Splitterecho」は山本さんが自由になられてから書きたいものを書きたいように書いてこられました。ギャラリーにこられても私に話しを聞かれることもほどんどありませんし、私が「書いてくださるんですか」とも聞く事もありませんでした。だのに、透視霊能者のごとくどうしてそんなことまで分かるのというほど言葉が紡ぎ出されてくるのです。
山本さんは経歴的なことや技法的なことを一切なしで自身の深い知識と感性を研ぎ澄まして対象に独特の表現で迫っていき、作品や作家の意識の根底から更なる深層にまで到達する鋭敏な切っ先から核心を掬いとって表現し見せるのです。
なぜギャラリー島田が絶壁なのかは刊行予定の本を読んでいただきたいのですが、お礼の電話をさせていただいた時に「島田さんは絶壁であるとともに、そこから全く違う地平を眺めておられるのですね」と言われました。自分では分かりませんが、絶壁歩きはいつ転落するかわかりませんし、孤独な単独行であることを感じる日でもあります。とりわけ今回の神戸ビエンナーレのことでは、多くの皆さんの温かい気持ちに囲まれ、励まされながらも、様々な曲折があり、孤独感になかなか眠りに落ちず、そんな時、ふと室生犀星の「寂しき春」の「さびしいぞ」のリフレインが頭をよぎったりもしました。
でも加藤周一さんの世の中が悪い方向に変わりつつあるという「絶望」も深く感じていたが、それ以上に望ましい方向にも変わりうるという「希望」を信じ「希望」に賭けていた。
見事なまでに「希望」を捨てなかった。「希望」を捨てないかぎり「敗北」はない。
私たちが加藤周一から引き継ぐべきはまさに、この「希望の精神」に違いない。
鷲巣力「加藤周一を読む」(岩波書店)からこの姿勢に励まされ、その眼差し、声色まで蘇らせながら前を向いてきました。