2015.6「一冊の本を生きる」

阪神淡路大震災から20年、戦後70年、私が生まれてから73年。多くの人が天上へと旅立っていった。訃報を聞く度にわが身を思う。
そうした振り返りを単に思うだけでなく、書こうとすると調べる、読む、蘇り、問い直す。自分があることの何故を。

海文堂書店の閉店から2年。その記憶を平野義昌さんが書いていて、その本が出版されようとしている。当然、私も当時の記憶を辿ることになる。痛みとともに。
岩波書店の『ひとびとの精神史』(全9巻)に執筆を依頼された。阪神淡路大震災を契機に新しい市民社会が拓かれていく様を草地賢一さんというNGOのリ-ダーに焦点を当てながら書きたいと思いました。そのために、インタビューを行ない、資料を読み込みました。あの頃の日々の記憶にまた熱くあります。それは震災後の10年を生き直すような試みであり、志を一つにした人々と再会し、確認することでもありました。そうした人々を編集部の担当は綺羅星のような存在と表しました。

こうした日々は私にとって書店とは、画廊とは何なのか、さらには自分を問うことでもあります。本に書かれ、本に書く。
それは「一冊の本を書くように生きる」ということかもしれません。

長田弘「世界は一冊の本」

本を読もう  もっと本を読もう もっともっと本を読もう
描かれた文字だけが本ではない 日の光り、星の輝き、鳥の声
川の音だって、本なのだ。
ぶなの林の静けさも ハナミズキの白い花々も
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ
本でないものはない 世界というものは開かれた本で
その本は見えない言葉で書かれている
ウルムチ、メッシナ、トンプクトゥ、地図の上の1点でしかない
遥かな国々にの遥かな街々も、本だ。
そこに住む人びとの本が街だ。 自由な雑踏が、本だ。
夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。
シカゴの先物市場の数字も、本だ。 ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。
人生という本を、人は胸に抱いている。一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。
草原、雲、そして風。黙って死んでいくガゼルもヌーも。本だ。
権威を持たない尊厳が、すべてだ。
2003年1月31日億光年の中の小さな星。 どんなことでもない。
生きるとは、考えることが出来るということだ。
本を読もう。もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

長田弘さんは5月3日に亡くなられました。75歳。私より三才上でした。
私の背にある書棚を振り返ると見やすいところの長田さんの詩集が4冊ある。その一冊を手に、ぱっと開いた詩

まもらねばならない、 / それが法だということは / もちろん正しい。
法外も無法もない、 / それが法だということも  / もちろん正しい。
報知せず報復する、 / それが法だということも  / もちろん正しい。
法なしにやっていけない、/ それが法だということも  / もちろん正しい。
もちろん正しい。 / もちろん正しい。 / もちろん正しい。
もちろん正しい、 / それが法だということ。 / それだけがまちがいである。
これは1977年に刊行された詩集『言葉殺人事件』の中の一篇です。
私たちは今、「それが法だということ。それだけがまちがいである。」という法を無法に持とうとしているのではないか。

一冊の本を生きている。そして一冊の本を描くように生きている画家や造形作家を読んでいる。そして感想を伝え評している。ともにより良くありたいと。どこかで話してくれといわれれば行き、どこかに書いてくれと言われれば書いている。そのすべてが私の書いた本だ。

今回の「美の散歩道」のゲストは、みずのわ出版の柳原一徳さんです。第30回出版梓会文化賞記念特別賞を受賞された。もとは神戸で創業したが、思うことあり故郷、周防大島へ帰り、半出版、半農家、お一人出版社として奮闘してきた。装幀はすべて林哲夫さん。林さんは画家としては島田で発表して下さっていますが、古書の蒐集・評論、装幀家としても著名。柳原さんは偏壷だけど筋が通っていて純、その本への愛は執念といってもよく、どれも素晴らしく近年、ますます凄い。私はみずのわの本はすべて買うと公言している。全部に興味があったり、読みたいわけではないが、そしてテンから読めそうもない本もあるが、全て買う。柳原さんの心意気に応えるためである。鬼気迫るものがあり、それを手に取るだけで満たされるものがあります。最新刊、臼田捷治『書影の森 筑摩書房の装幀1940-2014』は本体10,000円ですが、十分の値打ちがあり、喜びがあります。そして筑摩書房の装幀の歴史を周防大島で一人奮闘する柳原に委ねる人も偉い。林哲夫さんが臼田さんからこの企画の話を初めて聞いたのは林さんが2012年3月にデザイン書籍部門優秀賞で竹尾賞を授賞された式でだったそうです。優れた内容で造本・装幀にも拘り続けている柳原・林コンビが、ともに認められるということに喝采を挙げたいと思います。
神保町の東京堂書店にて著者である臼田捷治さんを中心とした本書完成記念トークショーが5月19日に開催されていますが、平野さんの『海の本屋のはなしー海文堂書店の記憶と記録』の出版記念トークも東京堂書店で、7月5日(日)に開催予定です。
平野義昌の本を出版する苦楽堂の石井伸介は某出版社を退職、昨年、神戸に拠点を置いて出版を始めた。神戸に置いたのはやはり海文堂書店のことが頭にあったようです。本の未来を切り開き、書店の新しい存続基盤を自らの挑戦で拓いていくスピリットに敬意を払います。既存の販売ルートを使わず、著者、書店、読者を大切にしながらの本つくりはまたそれを成功させる私たちの責任でもあります。
第1作の』『次の本へ』もいい本でした。二作目が『海の本屋の話』。商業出版としては難しいと思われるこの本を、援助や買取を含めて相談したのですが、それらを断り、引き受けた、ここにも一人奮闘する石井さんの心意気に感じ入ります。

本を読もう。もっと本を読もう。

もっともっと本を買おう。
みずのわの本は高いけど高くない。食べる、飲む、遊ぶことに比べればなにほどのこともない。すべてが下へ流れるか、留まれば病気の元になるものより、いい本を心に留め、流れ去ったかに見えてもまた呼び戻し反芻し生きる日々を彩る。お金は使えば消えていくが、心の定期預金は消えることがない。

2015.5「わたしがあなたを選んだのだ」

わたしがあなたを選んだのだ

ずっと何かに追われるように多くの荷物を抱えています。やりすぎだ、減らしたほうがいい、そこまでやらなくても。好きなんだね。自業自得だね、死ななきゃなおらない。付き合いきれない、さようならという言葉が聞こえてきます。それはそのとおりです。
デスクの横に見ておいた方がいい展覧会案内がBOXにどさっと入っています。それらはチェックして抜き出しては携行しているBagへ移動していきます。しかしその多くは怒涛の津波のような仕事に押し流されて次の行き先はゴミ箱とあいなります。
ギャラリー島田に登場される作家さんとは出来るだけ丁寧に話をするように心がけています。売ることに執着が薄いのは直りませんが、作品や作家さんについては深く知りたいと願っています。なぜそんなに忙しいのか。次々と様々なことに関りたがるのかと思われるでしょうね。しかし、私が探して荷物を担いでいるのではありません。

「あなたがわたしをえらんだのではない。わたしがあなたを選んだのだ」(ヨハネ福音書)

ここにある「わたし」は島田の「わたし」ではなく「神(天上の意志)」のことです。
前回の通信で草地賢一さんのことを書くことを伝えましたが、この言葉は草地さんに教わったものです。神が地上でなすべきことをなすために草地さんを選んだということです。
このヨハネ福音書の言葉を口にする草地さんは、特別な人という自負とは遠い、でも目の前にある不正義を見逃さない「選ばれた者として」の自覚を深く抱いていたことは間違いありません。

私が岩波書店の出版物に書くのは三冊目ですが、今でも不思議でなりません。いずれも、いきなりの指名でした。何故、私ですかと問い直したものです。でも考えてみれば、すべてが20年前の震災と関っているのですね。
でも震災体験で私が新しい使命を発見したわけではありません。その後に起こっていることは基本的には震災前から取り組んだり考えてきたことなのです。
それが「アートエイド神戸」という運動となり、震災4ヶ月後に「神戸発 阪神淡路大震災以後」(岩波新書397)に「神戸に文化を」を書かせ、6ヶ月後に兵庫県復興支援会議のメンバーとして3年間を疾風怒涛の日々を過ごすことになったのです。「あなたに選ばれた」というほかない不思議な人選であったと感じます。

私と草地さんがメンバーを務めた復興支援会議は1998年3月に終えるまでに月2回の全体会議は78回、「移動いどばた会議」は143回。フォーラムは61回を超えるという凄まじい会合を重ねました。しかも徹底したOutreach(現場主義)での直接対話でした。

震災という危機的な状況において政府の前で「市民をもっと信用していい」と語り、高揚から遠い自叙伝においてすら「市民の行動は、私たち『官』の考えをはるかに超える広範で奥の深いものであった。」(略)と語らしめるほどの会議の役割と市民の振る舞い、そしてそれを真っ直ぐに受け止めた貝原前知事の姿勢にこそ、その後における協働と参画の扉を開けたことを告げています。

4月14日に上映会を終えた「友よ! 大重潤一郎 魂の旅」のチラシには「20年前に見たユートピアをここに」と書かれていましたが、震災後の体験は、私の内にあった根源的に社会の在り方、すなわち私たちの生き方を問いなおすという「ユウフォリア(至福感)」はどうも骨の髄まで浸透し、いまや体質そのものとなってしまったようです。

「こぶし基金」の設立にしても、亀井純子さん健さんが私を選んだとしかいいようがなく、それが23年を経て育ってきたのですし、加川プロジェクトにしても、私が発見したというよりも加川さんの作品が、私を発見し、KIITOが私を呼んだとしかいえないほどの奇跡的な事柄であったと思います。

新潟にて

3月、4月と新潟に通いました。新潟絵屋での開催を望んだのは、石井さんの作品、存在ともっとも響き合う場として、そして大倉宏さんや、絵屋、砂丘館から石井さんも私も大切なことを感じ、学びたいからでした。それは石井さんにも私にも、何かをもたらしてくれるはずです。私は展覧会を企画するには「売れる」ということではない、「何かが生まれる」という意味を求めずにおれないのです。絵屋という「場」と大倉宏さんという「人」に惹きつけられるように石井一男展をお願いしたのです。
どっと人が押し寄せるというのではない、静寂のうちに佇むという気配がとても好ましく、ゆっくりと選ばれながら、それでも多くの作品が、またこの地に留まるのはうれしいです。12年前に無名だった石井さんを取上げていただき(その時は私は行っていません)、数点しか売れなかったのですが、二度目だとはいえ、新潟まで最近の石井さんの情報は届いているのか、かりに「奇蹟の画家」や「情熱大陸」で知った方があるにしても、その方をこちらは存じ上げないのですから絵屋での展覧会についての情報を伝える術はありません。
でも期間中を通じて途切れることなく、また口コミで広がり、皆さんが温かく作品を見られ、語り合われたそうです。作品もたくさんお求めいただき、お礼の言葉もたくさんいただきました。思い描いていた最上の意味を発見できてこんなにうれしいことはありません。
7月には新潟絵屋や絵屋を巡るみなさんが愛してやまない蓮池ももさんの個展を大倉さんのプロデュースで開催します。すでに作品の選定や展示プランなどが進んでいます。展示は二日がかりと聞いています。ここでも「何かが生まれる」のです。