2014.11「希望について」

私のどたばたぶりを見ていて、「忙しすぎるのでは?」と心配してくださる方、「ギャラリーの仕事をしていないのでは?」にひいては「美術のこと分かっているの?」と勘ぐられたりもする。分かっているのか分かっていないのか、そもそも自分でも分からない。ただ言えるのは「好きだ」ということで、その向こうには「人間(ひと)」がいます。人の生き方はそれぞれで「他人」のことどころか自分のこれからのことすら分からないものです。
ギャラリーの仕事を36年間、ともかくやってきて、わたしの体に微細な経験が降り積もり、心に次第に浸透してきたもの。それらがいつも私を押し、抱きしめさせ、その向こうにある「作品」を、その向こうにいる「作家」を愛しいと思わせるのです。
ご縁をいただいた作家さんとの対話を大切にしています。私もそういう齢(よわい)に達したということですし、伝えたいことがあるからに違いありません。

「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生みだし、練達は希望を生む。
そして希望は失望に終わることはない」 (ローマの信徒への手紙5:3-5)

この言葉は草地賢一さんから教えられた言葉です。(注1)
草地さんは若き日の大変な苦労を超えて牧師となり、YMCA,PHD協会を経て、阪神大震災の時に被災地NGO連絡会議を立ち上げられました。宗教を、国を、立場を超えて、未来を共に創ることを絶えず訴え、行動をされました。世界の災害地に足を運ばれてきましたが1999年12月パプア・ニューギニアから帰られてすぐマラリアを発症、翌1月2日急逝、58歳でした。

私が表現者の皆さんと対話をして伝えたいのは「私たちの希望」についてかもしれません。私が今あるのは何かの幸運、恩寵に違いありません。草地さんはクリスチャン、加藤周一さんも最後はカトリックに入信されたと聞きました。私も洗礼を受けていますが、教会へ足を運ぶことは稀で、どちらかと言えば、全てに感謝し、共にある「山川草木悉皆成仏」の方です。日々、出来るだけのことをして眠りに入る、その時に、そうした場に身を置いていることを自然に「ありがとうございます」という思いが胸を満たし、朝、目覚めるとまた、元気に、眼前の様々を思い浮かべながら「ありがたいことだ」と心から思うのです。感謝が私の原動力かもしれませんね。

世の中が悪い方向に変わりつつあるという「絶望」も深く感じていたが、それ以上に望ましい方向にも変わりうるという「希望」を信じ「希望」に賭けていた。加藤周一は見事なまでに「希望」を捨てなかった。「希望」を捨てないかぎり「敗北」はない。私たちが加藤から引き継ぐべきはまさに、この「希望の精神」に違いない。(注2)

前回の蝙蝠日記は「問いの答えを生きる」でした。その答えは「希望にむかって歩む」ということかもしれません。今、私達が全霊を込めて準備している二つの大きなプロジェクトも「問い」に対する「答え」を多くの皆さんの思いを力に変えて、比べるもののない社会的実験に挑戦しているのだと思うのです。それが「希望」なのです。

(注1)「阪神大震災と国際ボランティア論」-草地賢一が歩んだ道 P24から
(注2) 鷲巣力「加藤周一を読む」から

2014.10 問いの答えを生きる

作家にとって作品は自分が生きてきた証に違いありません。「40になったら顔に責任を持て」と昔から言われていますが、立ち振る舞いから口調にいたるまで「その人の写し」なのでしょう。表現者はもちろんそれを意識的に追求している人のことをいいます。私自身は経営を追求していないので「経営者」という意識は薄いですし、商いとしての画を追求していないので「画商」という意識も希薄です。しかし美術に関る者として表現者としての作家は作品はもちろんですが作家自身、その存在そのものまで理解したいと思っています。したがって一回限りの展覧会はほとんどありません。しかしご縁をいただいた多くの作家さんが召されてもいきました。西村功、元永定正、須田剋太、小西保文、嶋本昭三、東山嘉事、浮田要三、津高和一、元川賀津美、遠藤泰弘、高野卯港、松村光秀、菅原洸人、岩島雅彦、奥田善巳。そして先日、知念正文さんの訃報を聞きました。

ギャラリーの歴史36年。多くのデビューをここでされた作家の皆さんの誠実な「問い」への「回答」としての成長、成熟をともに出来ることほど冥利に尽きることはありません。

「問い」続けて

私は文化に関るものとして、文化人の役割を問い続けています。学術研究者 マスメディア 文化芸術に関わる人 自分は文化人だと思っている人たちのことです。しかしこの役割が歪められ、あるいはよりよき社会は、あるべき未来、人としてあるべき姿を害していると思うことも多いのです。日本中を覆い尽くす奔流のごときアートの流れを支えているのもまた購買から形を変えた「誘導された感動」という「消費」であり「観光」であり、そこでカウントされるのが「集客」であり最も大切にされるのが「経済効果」です。その評価基準を絶対としながら、数限りないイベントが重ねられ報じられています。流行のみがマーケッティング、広報手段の発達とともに重視されますが、当然のことですが、流行は流行によって乗り越えられていきます。人間の本質はそう変らないとすれば「不易」にこそ根源として、絶えず戻るべき地平はあるはずです。

アートはお墨付きをもらった価値観ではありません。しかし、人間の真実や、時代がはらんでいる問題を鋭敏に表現しようとする行  為です。商売にならないどころか、排除される危機にも瀕してしまう。アートの垣根をなくして、多くの現代人に新たな感覚を体験  して欲しいと願っています。ビジネスという枠組みからではなく、惹かれるもの、必要なものという視点から出発する仕事。そこに  挑み続けて生きたい
姫野希美(赤々舎代表取締役)

意欲的な写真集を出し続ける出版社「赤々舎」の姫野さんの言葉です。
私もギャラリー島田で個展をされる作家さんの作品とじっくり対面し、作家とも話しをするようにしています。売れる売れないを超えて、そのことが一番、お互いに意味があることかもしれません。

境界領域(マージナル)とはなにか

社会の枠組みを維持する力は常に中心領域に集まるが、社会が孕んでいる問題の本質は中心を外れた境界領域で認識され、その認識に基づいて新たな枠組みづくりにむけての大きなエネルギーの渦が起こるのです。私は注意深く中心領域に吸引されないように自分の立ち位置を決めています。それは境界領域の周縁、それも少し外側ということです。そこが最も自由であり、広い視野を持つことが出来るように思います。

権力の批判者のいない民主主義というものがあり得るだろうか、またあるいは批判精神のない知識人というものがあり得るだろうか。
加藤周一

私は「農夫の仕事」あるいは「木を植える人」でありたいと思っています。
私は馬年なので、馬に喩えれば駿馬、サラブレッドではなく農耕馬、もっといえば挽曳馬(ばんえいば)です。やたらと重い橇(そり)を曳く北海道の競馬馬です。今、加川広重プロジェクトのフランス開催が確実なものとして視野に入ってきて、連日、メールの遣り取りをしているのですが、開催予定地であるモルターニュ・オー・ぺルシュは馬の産地で北海道にも輸出しているそうで、私の血にも流れているのかもしれません。そういえば昔、渡邊幹夫さんとブルターニュを旅していたときに私が馬と話しをしたことを蝙蝠日記に書いたことがあります。あの馬は親戚だったのか。