私のどたばたぶりを見ていて、「忙しすぎるのでは?」と心配してくださる方、「ギャラリーの仕事をしていないのでは?」にひいては「美術のこと分かっているの?」と勘ぐられたりもする。分かっているのか分かっていないのか、そもそも自分でも分からない。ただ言えるのは「好きだ」ということで、その向こうには「人間(ひと)」がいます。人の生き方はそれぞれで「他人」のことどころか自分のこれからのことすら分からないものです。
ギャラリーの仕事を36年間、ともかくやってきて、わたしの体に微細な経験が降り積もり、心に次第に浸透してきたもの。それらがいつも私を押し、抱きしめさせ、その向こうにある「作品」を、その向こうにいる「作家」を愛しいと思わせるのです。
ご縁をいただいた作家さんとの対話を大切にしています。私もそういう齢(よわい)に達したということですし、伝えたいことがあるからに違いありません。
「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生みだし、練達は希望を生む。
そして希望は失望に終わることはない」 (ローマの信徒への手紙5:3-5)
この言葉は草地賢一さんから教えられた言葉です。(注1)
草地さんは若き日の大変な苦労を超えて牧師となり、YMCA,PHD協会を経て、阪神大震災の時に被災地NGO連絡会議を立ち上げられました。宗教を、国を、立場を超えて、未来を共に創ることを絶えず訴え、行動をされました。世界の災害地に足を運ばれてきましたが1999年12月パプア・ニューギニアから帰られてすぐマラリアを発症、翌1月2日急逝、58歳でした。
私が表現者の皆さんと対話をして伝えたいのは「私たちの希望」についてかもしれません。私が今あるのは何かの幸運、恩寵に違いありません。草地さんはクリスチャン、加藤周一さんも最後はカトリックに入信されたと聞きました。私も洗礼を受けていますが、教会へ足を運ぶことは稀で、どちらかと言えば、全てに感謝し、共にある「山川草木悉皆成仏」の方です。日々、出来るだけのことをして眠りに入る、その時に、そうした場に身を置いていることを自然に「ありがとうございます」という思いが胸を満たし、朝、目覚めるとまた、元気に、眼前の様々を思い浮かべながら「ありがたいことだ」と心から思うのです。感謝が私の原動力かもしれませんね。
世の中が悪い方向に変わりつつあるという「絶望」も深く感じていたが、それ以上に望ましい方向にも変わりうるという「希望」を信じ「希望」に賭けていた。加藤周一は見事なまでに「希望」を捨てなかった。「希望」を捨てないかぎり「敗北」はない。私たちが加藤から引き継ぐべきはまさに、この「希望の精神」に違いない。(注2)
前回の蝙蝠日記は「問いの答えを生きる」でした。その答えは「希望にむかって歩む」ということかもしれません。今、私達が全霊を込めて準備している二つの大きなプロジェクトも「問い」に対する「答え」を多くの皆さんの思いを力に変えて、比べるもののない社会的実験に挑戦しているのだと思うのです。それが「希望」なのです。
(注1)「阪神大震災と国際ボランティア論」-草地賢一が歩んだ道 P24から
(注2) 鷲巣力「加藤周一を読む」から