2014.8 問い続けるということ

多くの展覧会が次々と押し寄せてきます。それぞれをできるだけ丁寧に取り組もうとしています。ここを発表の場とする作家さんにとって、なにか意味を見出せるものであって欲しいと思います。丁寧ということは時間がかかることです。時間は等しく与えられたもので、足りないから人から譲ってもらうものではありません。余分なことを削り落す以外に方法はないようです。
ながくながく、飽きるほど続けてきて、いまもそうありたいと願っていることは「自分の生きかたを絶えず問い直し、その答えを書くように生きる」ということかもしれません。

「海文堂まつり」で一箱古本市が大変好評で私も「床間堂」を出店し、沢山の本を出しました。満杯の書棚を空けたのですが、それと同じだけの本を買いました。その多くが山田風太郎の本で、これからの楽しみが増えて、たいへん得をした気分です。なんせ100円/冊でしたから。ちなみに「床間堂」とはマコトを反対に読んだだけです。

いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う。
といって、別にいまこれといった致命的な病気の宣告を受けたわけではない。72歳になる私が、漠然とそう感じているだけである。病徴というより老徴というべきか。

「つひにゆく道とはかねてききしかどきのふけふとはおもはざりしを」

という古歌を知っている人は多かろう。この「つひにゆく」を「つひにくる」と言いかえて老いと解釈すれば、人生はまさにその通りだ。
『あと千回の晩飯』山田風太郎(朝日新聞社、1997)

『人間臨終図巻(上)(下)』(徳間書店1986年)も無類に面白いけれど、72才を迎える風太郎さんが晩飯があと1000回と書いているのは、75歳くらいが「ついにくる道」と感じていたことになり、私自身の感懐とちょうど重なります。
風太郎さんが「風々院風々風々居士」(戒名)となるのは79歳(2001年7月28日)でした。どちらにしても私にとって右顧左眄(きょろきょろ)している時間はないようです。
『風々院風々風々居士―山田風太郎に聞く』(筑摩書房)は森まゆみさんの聞き書きですが。

たんたんと ゆうゆうと ほがらかに いったひと そのひとのかぜがふく

装丁が南伸坊さん。上の言葉は南さんが帯に寄せた言葉で戒名と響き合っています。

いつ伺っても風太郎さんは仙人のように「もう忘れたよ」とおっしゃりつつ記憶は多く甦り、また現在の社会にたいしても痛烈であった。国家権力、犯罪、倫理、大義と暴力、女性観、人物像すべてにすぐれた的確な見通しをもっていらした。発言も現生の人のようではなかった。それは戦時の酸鼻をこの目で見、多くの友を失って、確立した達観がいわしめる言葉であった。 (森まゆみ)

「うん、女はエラい。鹿鳴館時代からずっと女の方がエラい」もフェミニストというより、すべてを見てきた風太郎さんの本音であり、私の同感でもあります。今、いたるところで行なわれている女性の権利の擁護は、ほとんどが今の仕組みを補強するための便宜利用だと感じます。この国のこれからは、そのエラい女性を敬意をもって遇さないときわめて危ういです。

様々なことが危機的な状況にあります。
都議会での野次 自分にまかせておけという総理、ナチスに倣えという副総理、風俗を使えという市長、記者会見で意味不明に号泣する県会議員 など、品格の欠片もない男たちにうんざりします。しかし事はうんざりではすまないです。
すべてのことは私たちの日常にあり、振る舞いにあります。私たちを取り巻くあらゆることに自分なりの判断を選び取っていかねばなりません、その結果が社会を作っているので、私たちはそれに対する責めを負うています。
あらゆる表現活動は「問い続けてきたことにたいする答え」であると思います。
ひとり美術のみが曖昧な概念にうちに閉じこもって自足していてはいけないと思うのです。

「加川広重 巨大絵画プロジェクト2015 ―フクシマ」

阪神・淡路大震災から20年にあたる2015年に、三度目となるデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)での「加川広重巨大絵画プロジェクト」を加川さんの第三作目の「フクシマ」を展示し開催することとなりました。
芸術文化の力で東北と神戸を繋ぐ、さまざまな試みに取り組んできた私たちにとって、いわば集大成として取り組まねばならないと思っています。
振り返れば、2年前の8月15日に加川広重さんの「雪に包まれる被災地」と運命的に出会い、それからは、何かに導かれるように2013年3月にKIITOでの展示が実現し、今年1月に「南三陸の黄金」と「雪に包まれる被災地」を同時展示し19のイベントを開催し6000名の方をお迎えいたしました。
そして次回は「フクシマ」を2015年1月10日(土)から1月18日(日)まで展示し、深い内容を抱いた、様々なプロジェクトを展開したいと思っています。
実行委員会のチームが8月16日~19日まで東北入りし、仙台メディアテークでの「フクシマ」初公開に立会い、シンポジウムにも出席し、様々な検討を重ねてきます。私にとっては10回目の東北入りとなります。志縁の根が深く張り、何かを生み出す源となりつつあることを肌身で感じています。
このプロジェクトは絵画、音楽、詩、舞踊、建築、対話、交流、映像などを通じて芸術がなしうる可能性を示しています。また市民が中心となり事を起こし、それを市、県、企業が支えるという仕組みを、今後、波及していくモデルとして提示したいと思っています。皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

2014.7 今を生きることとアート

 ギャラリーをやっていれば画商だろう、ギャラリストだろうと言われてもピンと来ない。

年間に50をこえる展覧会を開き200名近い作家が登場する。できるだけ丁寧に見、心を込めて接したいという思いは、年を追って強くなってきています。
年に20回近いサロンにしても同じことで、それぞれにしっかりした意味をもたせ、深いサロンでありたいと願っているのですが、そのことによってギャラリー島田そのものが「場」であることを超えて創造的発信装置になるようにしたい。それは作家さんや足を運ばれる皆さんとともにある、ともに生きていることを共感したいと願っています。
皆さんからみれば、私は美術のことよりも社会的な発言に偏っていると思われるかもしれません。しかし表現に関るものが、現代が抱えるさまざまな課題にどのように向き合っているのか、そしてどのように生きているのかは、とても大切なことだと思っています。

心の根底にある理想に近いイメージは、その人の心の深さであり、何ものにもかえられない。
このイメージに対してさらに心を動かし、何らかの形に表現するのが芸術である。
理想とするイメージを如何に妥協せず純粋に視覚化するか。
現在、人間社会は、効率や利便性の為、機械文明と情報に追われとどまるところを知らない。
芸術に出来ることは、心の根底にある理想を失わないことである。

松谷武判さんが今年の新年賀状に書かれていた言葉です。

心の根底にある理想がその人の質を定め、それは作品と等価なのです。そのために不断に努力し、思索し、かつ自分のものとして語り、そして行動にまで至らねばなりません。
真摯に努力し、歩む。私たちは、そのようでありたいと思います。そうした作家たちと共にあることはうれしいことです。

伊津野雄二展は作品集出版記念として東京、名古屋に続いて開催されましたが、その反響も結果も素晴らしいものでした。日常を大切に積み上げてきたことの揺るぎなさを感じました。
ギャラリー島田のメモリアルブックに書いてくださった、伊津野雄二さんによる「画廊主」の定義

絵かきの気づかない
絵のなかの たからものを
釣れるひと

そこまで、ユーモラスな挿絵ともに書かれていますが実は書かれていない続きがあります。

ただし、古来 成功例はまれ
多くは徒労に終わることが多い

はい。その通りですね。

海文堂生誕100年まつり「99+1」
大変な盛況のうちに終わりました。閉店の衝撃が社会的事件といった趣であっただけに、まだ余震が続いていました。このことが教える深い意味について考え続けています。
閉店を発表してからの二ヶ月間、最後まで、淡々と平静をたもって、日常の仕事を守り続けた福岡泰宏店長(当時)をはじめとする書店員のみなさんの姿勢には感動しました。そして小林良宣前店長も挨拶で「私たちは普通のことをやってきただけです」と言っていましたが、本を愛し、本を愛する人を愛するという普通のことが、普通ではないことなのです。小林さんは一言「普通でない人が一人いましたが」と笑いながらこちらを見たのでした。

万巻の書を読むに非(あら)ざるよりは、寧(いづく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得ん。
一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。

たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。
自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない。

このことは本に限ることではありません。広く文化に関り、生き方を問い続けること、それを体現したいと願い、皆さんと歩みます。

《ご報告》 会期中の来場者は約800名。記念ポストカードも約1700枚を販売しました。「海文堂の本」(平野義昌著)刊行のための美術作品の販売は、皆さまの協力のおかげで目標50万円の倍額100万円を達成、来春の刊行を目指します。

2014年前半を振り返れば
1月の「加川広重巨大絵画プロジェクト2014」が、その集大成というべき創造の場となりました。
「奥田善巳展」「木下佳通代展」はパートナーであった物故作家の展覧会でしたが、兵庫県立美術館での奥田善巳展と連動し、和歌山県立近代美術館へ大作や貴重な作品20数点が収蔵され、木下佳通代記念ギャラリー(*)が開設されました。
大作を集めた現代書家「石井誠展」(2月)は札幌の病院とネット中継で繋がり時空を超えた新しい感覚で作家と交流しました。
「没後10年岡野耕三展」「又木啓子展」もスペインのクエンカ長く暮らしていたパートナーによる展覧会、須飼秀和原画展も二つのフロアーを使っての展覧会でした。
植松永次(陶)さんの「泥」と毛利そよ香さんの「根」、?忠之さんの「造化自然」の写真は饗演し珠寶さんのお花が全てを繋ぎました。海外からは藤崎孝敏(フランス)、渡邊幹夫(フランス)、木村章子(フランス)、辻井潤子(シンガポール)さんをお招きしました。