2014.5 小津安二郎の福音

含羞

伊良子序(いらこはじめ)さんの「小津安二郎への旅」(河出書房新社)に触発されて、小津安二郎の「東京物語」を見ました。
私は映画の世界はとんと疎いのですが、この本には深いところまで届くものがあり、多くの付箋をつけながら夢中で読みました。当時の日本の時代に寄り添いながら、小津と映画への想いは陰影に富み、舞い散る桜花のような愛惜に包まれて時に文字が滲みました。
2012年8月、英国のブリティシュ・フィルム・インスティテュート(英国映画協会)の機関紙「サイト・アンド・サウンド」が10年ごとに発表する世界名作ランキングで、世界の映画監督たち358人の投票でこれまでの指定席だった「市民ケーン」を押さえて「東京物語」がトップに選ばれました。
「全部みせたらお終いだ。隠せ、隠せ」(小津)の言葉通りに隠されたもの、余白にあるもの、音も動きも無いシーン(情景)。
そこから読み取るものは、見る者に問われていて、それが「いつまでも古びない新しさ」、すなわち普遍に通じているのだと思いました。
そして小津をめぐる旅を重ねながら映画の世界を語り、おのずと伊良子さん自身を語り、時代を俯瞰します。選び抜かれた言葉は膨大な下書きの積み重ねから美しく彫琢され、祖父、伊良子清白の唯一の幻のごとき詩集「孔雀船」のように清らかです。
淡々と家族の会話が重ねられ、小津のローアングルで、その表情が追われ、何事もない室内や風景が写されるのに、なぜ私たちは深く惹きつけられるのでしょうか。
伊良子さんは小津の理想の日本像を探す旅に出ます。そして残念ながら小津が描いた「良き人」の類型は今の社会から極端に減っていて、その旅は現代社会への小津の「福音」を知る作業でもあると伝えます。
サイレント時代の小津は結構、社会の不条理を追った作品が多かったそうです。そしてその後、しっかりと表象を見つめながら、どんなに表象が変化しても、決して変らない真理を求める「不易流行」を根底に置くようになり、そのブレない姿勢が高い評価へと導いたのだと思います。

「宗方姉妹」の姉、節子(田中絹代)が言います

「私、そんなに古い?あんたの新しいって、どういうこと?
去年はやった長いスカートが今年は短くなったというくらいのことじゃないの。
私はいつまでも古くならないことが新しいことだと思うの」

小津映画の何気ない言葉に隠された含羞は、また伊良子序さんの含羞でもあります。
私がアートマネージメントを学ぶ若者に必ず言ってきたことが二つあります。「アートはマネージメントするものではない。
リスペクトするものだ」「トレンドを追うものは、必ずトレンドに追い越される」です。これは逆説的に言っているのですが、私の根底にあることです。

余白

「余白」といえば津高和一さんを思い起こします。

言わぬは、言うに勝る。ということ、それは寡黙と饒舌のことに似ていた。百万語喋ったからといっても真意は伝達されるものではない。また、黙っていても、内包内在させているものが溢れんばかりに自ずからの充実と緊迫をもたらした。たとえそれが一個の微細なたたずまいであってもであった。
このことは私の造形芸術に対処する原点のようなものだったのである。(略)

 津高さんの瀟洒な詩画集「余白 津高和一・作品とエッセイ」の冒頭の詩から引いた。勿論、津高造形は余白による表現です。(注)
この文はグレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」を聴きながら書いています。グールドは漱石への徹底した傾倒があります。オタワのグールドコレクションには『吾輩は猫である』『三四郎』『こころ』『それから』『道草』『行人』が収められています。
けれどもやはり『草枕』が最も好きで最後まで『草枕』を手元に置き、書きこみをしていたそうです。
100年前の4月20日に『こころ』の連載が朝日新聞で始まったのですね。「漱石の描いた『時代の病』は、日本だけでなく、近代化や高度成長の後で誰もが通らなければならない。今後さらに世界的になるだろう」姜 尚中さんの言葉です。
生誕100年での小津安二郎への海外での評価、グールドと漱石。小栗康平の『泥の河』や『眠る男』なども思い出します。
「映画は終わりが実は始まりなんだよ」という小津の言葉が様々に思いを拡げてくれます。

(注)2015年は阪神大震災から20年になります。ということは津高和一没後20年でもあります。その頃に展覧会を予定しています。

2014.4 ―思えば遠くへ来たもんだ―

ギャラリー創設36年を過ごしていることになります。

いままでの画廊とはちがうなあ、枠を外れている、社会的な発言ばかりしている、売れているように見えないけど売れてるの?よくわからない画廊というイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか。なんせいろんなことをしていますから。
ここまで来ることが出来たのは多くの作家やお客様や支援下さる皆様の援けがあってこそのことです。
へんこ

東京新聞・中日新聞で「店のない本屋」が出版ジャーナリスト、石橋毅史さんの連載で始まっていて、「海文堂の遺産」が3/4-3/10まで5回掲載されました。島田を軸に書いているのですが、各回の見出しが愉快です。

① 祈りの場所 ―― 2014年1月17日 KIITOでの加川広重プロジェクトではじまる
② 異色の経営者 ―― 書店経営、画廊経営にとどまらない関心
③ 怒りのパワー ―― 行政の施策への反対運動
④ 「へんこ」がすむ町 ―― WAKKUNやトンカ書店など変り種が町の文化
⑤ 衝突を乗り越え ―― 行政との協働。再びKIITOにて。

とあります。

「へんこ」とは偏屈のことですが、私自身を知らない読者は、さぞかし「怖い人」と思ったことでしょうね。こんなに優しいのに。とはいえ、前回のサロン「加川プロジェクトの問い直し」の時にスタッフが「暴走老人」と発言して、みんな笑って同意していましたから、へんこで暴走する老人というイメージが定着しそうです。

その海文堂ですが今年の6月1日で100年を迎えるところでした。そこで、ギャラリー島田Deuxで「海文堂生誕まつり99+1 記念展」を、へべれけ伝説店長、福岡宏泰さんを中心にトンカ書店の頓花恵さん「下町レトロに首っ丈の会」の山下香さんなどによる実行委員会が大いに盛り上って計画しています。

海文堂書店に心を寄せてくださった方々に、ゆかりの画家さんの作品と海文堂の歩みの数々をご覧いただく他、日替わり店長、いろいろトーク、サイン会、100円均一本、記念ポストカード、カフェなど、楽しい企画を満載する予定です。

これらの売り上げ(一部は収益)は、「海文堂の本(題名は未定)」(平野義昌著・編)の刊行に充てる予定です。

海文堂書店といえば時代小説のスーパースター高田郁さんの「みおつくし料理帖」シリーズの新刊「美雪晴れ」に次の会話があります。

「坂村堂よ、もう海文堂のことで何時までもそうくよくよ悩むな」「そう仰いますが、海文堂は実に良い店だったのですよ。清右衛門先生の本も、随分と沢山商ってくれていましたのに、あんなことになって。私はもう、無念で無念で・・・今日、店の前を通りかかったら、既に薬種問屋に様変わりしていました」P233

「私には懇意にしていた物之本屋を助けられなかった悔いがあり・・・」P289

高田郁さんの人気シリーズの9巻目にあたります。累計200万部という大ベストセラーのなかに海文堂を惜しむメッセージが入っています。高田さんが海文堂の棚卸しに参加されたり熱いファンだったことは存じ上げていましたが、ここまでとは。最後までやり抜いた書店員の皆さんへのこの上なき餞(はなむけ)であり愛惜です。

「ほんまに」NO.15(くとうてん)の特集「海文堂書店閉店に思う」に高田さんは「まぼろしの花とサンバ~我が愛しの海文堂書店~」と題し、100周年には盛大に花束を贈り、サンバを踊るつもりだったとに書かれています。さて、今回のイベントで踊って下さるのかな?サンバのコスチュームでサイン会かな?

それにしても閉店して半年が過ぎますけれど、まだ余震が続いているその存在は何だったのでしょう。  ここに結果的に敗れ去るにしてもみなさんの記憶の中に生き続けることへの鍵があるように思います。 平野さんが書く予定の海文堂書店の本は、たんに一書店の歴史や愛惜の記録にとどまらない意味をもつものであることを確信しています。

さてギャラリーへ話をもどしましょう。

島田という異端、偏固(へんこ)暴走老人は優しいのか怖いのか、ここで発表する作家や、来られるお客様にとって、ここはどんな意味をもっているのだろうか。最近、ギャラリーの仕事を手伝って下さっている野崎ターラーさんに聞きました。どうして「ギャラリー島田」か?しばらくして手紙が届きました。「美術館や他のアートシーンにある、見る、見られるアートではなくて、活動するアートだから。アートは 人・時間・空間をつなげることが出来る。そういう意味でのアートを扱っているのがギャラリー島田だった。――からです。」

展覧会をされた作家の皆さんからもお便りを頂きます。私たちは作家にとって最上の場でありたいと全力で準備をしています。売れることは三の次のことです。そこから生まれるものは売上とは限りません。もっと大切なものや人や事と出会うことです。