とてもめでたいとは言えない年明けを迎えました。昨年、後半から身辺では海文堂書店の閉店、「神戸ビエンナーレ公開質問」、そして「加川広重巨大絵画プロジェクト2014」の準備と緊張した日々が続きました。どれも淡々と過ごそうと思えば、何事も起こらないことでした。発言し、行動すればこそ起こったことですから、自業自得といえばそれはそうです。
どのことも「自利」するものはなにもありません。それでも考え続けていれば道筋が見えてきて、発言せねばならないという思考回路こそ忌々しい存在です。
神戸ビエンナーレ公開質問その後
ビエンナーレで明らかにしたかったのは、単に「公式ガイドブック」不掲載を問うたわけではなく、行政が置く公的組織が、協力的でないものを意図的に排除することを糾し、それに単に迎合するだけの美術ジャーナリズムを問うたわけですが、見事に「回答できません」という「回答」を天下に晒したわけです。もっと厳しく追求しろとも言われましたが、私が改革の旗振りをするつもりではなく、ここから気づいた多くの関心をもつ人々のうねりが波動してくれることが大切ですし、事実、そのようになってきています。点を面にすることで動いていくものだと思います。
12月7日に、神戸ビエンナーレをさらに盛り上げるために「100人のアーティストが集まる会」がCAP CLUB Q2で開催されました。会への出席者、会の趣旨への賛同者を集めると、その数は111人。私が計画したわけではなく、若い人々が中心ですし、ビエンナーレ当局が神経質になってもいけませんので私は出席しませんでした。といっても神経質になった実行委員会当局は「出席禁止令」が出て、出席されなかったと聞きました。
若い人々がこうして立ち上がったことこそが波動です。その時のアンケート結果が、「神戸ビエンナーレをさらに盛り上げるために100人のアーティスト」のFACE BOOKで読むことが出来ます。批判一色に見えますが、妥当なものだと思います。批判しなければ変らないですし、たとえ指摘通りでないにしても、批判された側は意識せざるを得ませんから、その批判を超えて頑張らざるを得ません(その力があればですが)。
波止場町Ten×Ten(グランドアンカー)でも榎忠(造形作家)さん、加藤義夫(美術評論家)さん、坂上義太郎(BBプラザ美術館顧問)さん、村上和子(グランドアンカー代表)さんによる「神戸の文化を語る」で、神戸ビエンナーレについても語られたと聞きました。
私の意図
協力的なところと、そうでないところを恣意的に扱う。それに対する質問には答えない。それが国税、市税を投入した行政主導の催しで行われる。「ともに考えよう」という呼びかけには「批判的な集まりには出るな」。
こうしたことは、ごく日常的に行われていることです。その効果は、多くの市民をはじめアーティストという人々においても「自己規制」させる絶大な力になっています。
そして、こうした行政の姿勢は「秘密保護法」が制定されれば、たちどころに理由開示無く「秘密指定」され、問うことも出来ず、「100人」の集会は禁止され、呼びかけ人は「治安を乱す意図」によって拘束されるかもしれません。私は扇動者として逮捕されるでしょう。
これは冗談ではありません。歴史に学び民主化されていない国では権力を持つ側はその誘惑に駆られ、そのように振る舞います。成熟した民主国家であるはずの私たちの国でも今、その例に洩れない事態が進行しています。危惧しながらもそれを支えている人々は「経済の建て直し、成長に期待する」という幻想にすがって大事なことを見て見ぬふりをしているのです。これからの世代に、その子どもたちの、子どもたちにこそ、責任ある振る舞いをせねばなりません。書けば際限なく続いていきそうです。
加川広重プロジェクトの意味するもの
忘れないで ではない
これを書いている1月7日は、まだオープニングの催しが終わったばかりです。年末年始の中断のために、ちゃんとスタートダッシュができるか、心配しましたが、予想を上回る多くの方にお見えいただきました。昨年3月の「雪に包まれる被災地」に続く二作品同時展示をこの時期に行うのも私が図ったことではありません。でも場所と期間が決まれば、ことの成り行きからいって私が関らぬわけにはいきません。加川さんが与えられた運命のようにこの絵を描いたように、私は仙台で導きのようにこの絵に出会い、神戸で展示したいと思い、これも奇跡的にデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)を発見したのでした。
勿論、それは「東北の震災を忘れないで下さい」というメッセージを伝えるためではありません。阪神大震災のあと「兵庫アートウィークin東京」という今回に匹敵するプロジェクトを主宰したとき、「忘れないで」ではなく、「あなた自身のこととして考えて下さい」というメッセージを発信しました。赤坂憲雄さんも「忘れないで」は「忘れません」というメッセージで終わってしまう」と言われています。このプロジェクトも「東北と神戸を繋ぐ」という想像力と創造的な行為へと移行するプロセスを重視しています。メディアとしてはどうしても話題のイベントとして取上げる傾向があり、いわば地味なトークや討論、多くの学生の参加などは取上げられていませんが、実は、そこにこそ意味があり苦労もしているのです。
実行組織のユニークさ 財政について
実行委員会を組織し、中心となりました。実質的な事務局はアート・サポート・センター神戸が担い、神戸市が共催として会場提供と絵画設置、撤収費用を負担、兵庫県は作品運搬経費の助成を行いました。そしてプログラム全体の経費についてはすべて実行委員会による企業からの協賛金と市民からの賛同金によっています。大切なことは県、市ともに名義ではなく実質負担をしながら全体を支えているのです。企画としては市民が担い、それを行政が尊重しながら実質的な共催を担う。これは「震災」と「芸術文化」がそうした「境界」を超えていく力を持っていることです。そして一口¥5000の賛同を募って100口を目標としましたが162口(1月7日現在)の協力をいただきました。それは内容に共感性が高く、賛同することによってプロジェクトに参加するという意識を持っていただくことを主眼としたからです。
組織を動かす人
実質運営を担っている人は30代~40代の女性が中心です。実行委員会そのものは1回限りで、任意のミーティングと、あとは猛烈な勢いのメールのやりとりが深夜まで続いていました。それに連動してHPの頻繁な更新、印刷物の作成、現場への往復など、プロジェクトに惚れ込まないと出来ない作業をこなしています。私はアート・マネージメントを大学で講じてきましたが、それはスピリットを教えることだけであり、今回、優秀なスタッフから現場のことを様々に教えていただきました。円滑に順次進めていく手法は素晴らしいスキルなのですね。本プロジェクト実行委員長である藤野一夫さんの元で学んだ人材が、またつながって大きなチームを形成し、情報を共有しながら機能してゆく姿に感銘を受けました。今回のプロジェクトの水準は、私の想定を超えるものになっており、それは関って下さる皆さんのレベルの高さです。この担い手たちもまた、大きな体験をして成長していくことでしょう。また「若者たちが語り合う」「若者によるダンスパフォーマンス」「若者による企画」などを取り上げ、ボランティアに応じて下さった方は60名(一日毎にカウントしています)に及びます。会期中、デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)の会場を使って企画される方を公募し、会場の提供、広報の協力などを約束し、7つの企画を採用しました。一つ一つ内容を検討し、意図を説明し、納得の上で参加していただきました。皆の力を合わせて「東北と神戸を繋ぐ」ということが、ここでも形になっています。
新しいモデルを目指して
本プロジェクトは昨年3月の発展型なのですが、その内容と取り組み方は飛躍的に違います。市民と行政と経済界との連携の仕組み、新しいアートマネージメントの仕組み、学生から専門家にいたる共同の仕組みなど、新しいモデルに挑戦しています。それを可能にしているのが「巨大絵画」の芸術力であり、「東北への思い」です。人を純粋にさせる動機の存在が、否応なく人を動かしているのです。参加する人々(聴衆も含めて)がこの場が発する「気」によって、無償の行為でありながら深いものを惹きだされ、充たされ、記憶に刻まれた体験となるのだと思います。全体の規模としては小さなものとも言えますが、ここに込められた様々な要素は、未来への設計モデルとして有効であると思います。
メディアは今のところ地元紙を除き、このプロジェクトの本質をほとんど理解することなく話題のイベントとしての範疇でしか捉えていないと思えるのが残念です。