2014.12「希望が起こす奇跡」

前回の通信でもお知らせしましたように三回目となる「加川広重巨大絵画が繋ぐ東北と神戸プロジェクト」は阪神大震災の20周年でもあり、とても大きな規模で行なうこととなりました。
2年前の8月17日に仙台メディアテークで加川さんの「雪に包まれる被災地」と出会い、ここまで来ました。巨大絵画と共に、本質的に震災を問う、私たちを問う、世界を問うというラディカルなものとして心に在ったのでした。幸い、何かに導かれるように場と出会い、人と出会い、事は育っていったのです。不思議が起こっていると感じます。
前回、このプロジェクトをご覧になった山田晃稔、迪子さん(画家夫妻で昨年12月にギャラリー島田で展覧会をされた)が、この加川プロジェクトをフランスで開催するために奔走され、なんと2016年にはオヌル県Orne、モルターニュオー・ぺルシュ市 Mortagne-au-PercheのCarre du Perche(市立ホール)で3月7日~13日まで開催されることが決まりました。これも私たちのプロジェクトと同じく山田さんがお住まいのレヴェイヨン村建造物保存会が実行委員会となり、私たちと同じように県、市が協力して市がホールを提供し、財政はゼロから出発しながら、企業や財団の助成、市民からの賛同を呼びかけ、作品や日本側の関係者を招いて下さるという信じがたいことが実現しつつあります。神戸のプロジェクトがだんだんと成長し、拡大深化してきたように、フランスもここをモデルとしてナント市NantesやパリParisへと国際文化交流が広がっていきそうな勢いです。

ありえねぇ
完結した高田郁(かおる)さんの「みおつくし料理帖」シリーズで「つる家」の主人、種市が「ありえねぇ」と呟く様子が描かれています。主人公の澪(みお)が絶品の料理を作ったときの驚きです。加川プロジェクトを奇蹟といえば大げさですが、「ありえねえ」ことが起こっていると感じています。関った人たちが、だんだんと熱を帯び、集中し、お互いを触媒として沸騰していく感があります。それは加川広重さんの作品の力に発し、私たちにとっては20年前の震災の記憶を抱き、東北の震災で再び呼び起こされ、私たちに「何をなすべきか」を問われている、それぞれの答えを、ここで表現しようとしているのかもしれません。それは希望なき時代の小さな希望かもしれません。それはたんに見えたことに止まらず、関る人たちの心に灯ったからこそ動きだし、時空を超え、拡がっていくのでしょう。
会期を通じて24の企画が並行するように行なわれ、会場もホール、2つのギャラリー、2階での映画、映像、「いいだてミュージアム」の展示が行なわれます。出演側だけでも100名、裏を支える側だけでも数十名という規模で毎日、メールが飛び交い、打ち合わせなど目の回る日々、そこにフランスとのやり取りが日々あります。前回のスタッフに加えて、学生さんを含め、多くのボランティアの皆さんが手を上げられて、ギャラリーは、ともかくてんやわんやです。
もともと助成ありきのものではありません。結果的に神戸市、兵庫県の協力をいただき、助成を受ける方向で進んでいますが、それでも60%は私たちで用意せねばなりません。私は、慣れぬお願いにも奔走しています。みなさんとともにこのプロジェクトを有意なものとすることを願っています。

天人について
11月9日の朝日新聞、神戸新聞の書評欄は、ともに後藤正治さんの「天人―深代惇郎と新聞の時代(講談社)」を取上げていました。後藤さんの近作といえば「奇蹟の画家」 「清冽―詩人茨木のり子の肖像」 「節義のために」 「探訪 名ノンフィクション」などがあり、後藤さんの主題の選び方から時代への意識がひしひしと伝わってきます。本書も深代惇郎を語りながらジャーナリズムの危機を問うもので、いつもよりさらに取材も周到を極めているように感じます。本書に登場する本田靖春は読売新聞で深代の交わるところがあった。「我、拗ね者として生涯を閉じず」は、題に自分を重ね、貪るように読んだものです。深代惇郎は人間として稀な品格を持ち、文品をもち、多くの人々に愛され、忘れえぬ記憶を刻みながらも急性骨髄性白血病のため46才で急逝されました。「天声人語」とは「民の声を天の声とせよ」との意味で略して「天人」なのですが、読み始めてすぐに深代惇郎という天から遣わされたような稀有の人材にモーツアルトを思いました。深代を惜しむ多くの方の言葉や振る舞いに何度も頁を繰る指が止まりました。読み進むと「深代のなかにもモーツアルトと同じツゥリステスが棲んでいたのかもしれない」という言葉に出会いました(P324)。有名な小林秀雄の「疾走するかなしみ(ツゥリステス)」を思いだしますが、後藤さんは「深代惇郎は、その内部に、詩的なもの、叙情的なもの、文学的なもの、あるいはツゥリステスと呼ばれるものを宿した人だった。それが文藻(ぶんそう)の源を成していた」と評しています。

「知の力というものが、集積した情報や知識によって解を見出すのではなく、問いを問いとして保持することを止めないことによりウェートがあるとするなら、そのことにおいて深代にもっとも知性的なものを感じるのである」 P215

途中でなにか既読感があるなと、立ち止まって考えて、はたと書棚を探しました。島田巽「ふだん着の英国」です。島田巽は叔父にあたり朝日新聞の論説副主幹まで務めました。深代さんがロンドン支局長であったころの支局(タイムズ社のビル)があったフリート街の息吹を伝えるところ(P224)が「ふだん着の英国」にも、タイムズの内外(P72)として出てくるのです。二人の間にはちょうど20年の開きがあります。直接の上下はなかったと思いますが、巽叔父も当然、深代さんを知っていたでしょう。叔父は、ちょうど20年前に亡くなりました。深代さんの話しを聞いてみたかったですね。「天人」の読後感は、心の深くに静かに満ちてくるものがあり、それが次第に瞼を濡らし、どこか洗われた思いに浸るのでした。

悲しいお知らせ
石井誠(書アーティスト)さんが、11月11日21時48分に亡くなられました。難病と闘いながら壮絶に創作に挑んでこられ、多くの方の心を揺さぶってこられました。今年のギャラリー島田での個展(2/22-3/5)では大作をずらりと並べ、石井さんの入院中(北海道)の病床とNetで結び、来られた皆さんと会話をされました。その後、大阪に戻られ、次の展開へ意欲を燃やされ、フランスでの「加川広重+ギャラリー島田」プロジェクトに石井さんも招待されることが決まり、「石井誠作品集」を風来舎の伊原さんと作ることも決めていました。それらの実現までは生きていて欲しかったと、訃報にじぶんでも意外に思うほど動揺しました。
石井さんが2014年2月の画廊通信に寄せた言葉の最後のフレーズです。

死にゆくことが運命ならば、豊かに「土」に還りたいと思うのである。そう、豊かに・・・
そのために私は日々、命を噛みしめながら「生」を書する。

2014.11「希望について」

私のどたばたぶりを見ていて、「忙しすぎるのでは?」と心配してくださる方、「ギャラリーの仕事をしていないのでは?」にひいては「美術のこと分かっているの?」と勘ぐられたりもする。分かっているのか分かっていないのか、そもそも自分でも分からない。ただ言えるのは「好きだ」ということで、その向こうには「人間(ひと)」がいます。人の生き方はそれぞれで「他人」のことどころか自分のこれからのことすら分からないものです。
ギャラリーの仕事を36年間、ともかくやってきて、わたしの体に微細な経験が降り積もり、心に次第に浸透してきたもの。それらがいつも私を押し、抱きしめさせ、その向こうにある「作品」を、その向こうにいる「作家」を愛しいと思わせるのです。
ご縁をいただいた作家さんとの対話を大切にしています。私もそういう齢(よわい)に達したということですし、伝えたいことがあるからに違いありません。

「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生みだし、練達は希望を生む。
そして希望は失望に終わることはない」 (ローマの信徒への手紙5:3-5)

この言葉は草地賢一さんから教えられた言葉です。(注1)
草地さんは若き日の大変な苦労を超えて牧師となり、YMCA,PHD協会を経て、阪神大震災の時に被災地NGO連絡会議を立ち上げられました。宗教を、国を、立場を超えて、未来を共に創ることを絶えず訴え、行動をされました。世界の災害地に足を運ばれてきましたが1999年12月パプア・ニューギニアから帰られてすぐマラリアを発症、翌1月2日急逝、58歳でした。

私が表現者の皆さんと対話をして伝えたいのは「私たちの希望」についてかもしれません。私が今あるのは何かの幸運、恩寵に違いありません。草地さんはクリスチャン、加藤周一さんも最後はカトリックに入信されたと聞きました。私も洗礼を受けていますが、教会へ足を運ぶことは稀で、どちらかと言えば、全てに感謝し、共にある「山川草木悉皆成仏」の方です。日々、出来るだけのことをして眠りに入る、その時に、そうした場に身を置いていることを自然に「ありがとうございます」という思いが胸を満たし、朝、目覚めるとまた、元気に、眼前の様々を思い浮かべながら「ありがたいことだ」と心から思うのです。感謝が私の原動力かもしれませんね。

世の中が悪い方向に変わりつつあるという「絶望」も深く感じていたが、それ以上に望ましい方向にも変わりうるという「希望」を信じ「希望」に賭けていた。加藤周一は見事なまでに「希望」を捨てなかった。「希望」を捨てないかぎり「敗北」はない。私たちが加藤から引き継ぐべきはまさに、この「希望の精神」に違いない。(注2)

前回の蝙蝠日記は「問いの答えを生きる」でした。その答えは「希望にむかって歩む」ということかもしれません。今、私達が全霊を込めて準備している二つの大きなプロジェクトも「問い」に対する「答え」を多くの皆さんの思いを力に変えて、比べるもののない社会的実験に挑戦しているのだと思うのです。それが「希望」なのです。

(注1)「阪神大震災と国際ボランティア論」-草地賢一が歩んだ道 P24から
(注2) 鷲巣力「加藤周一を読む」から

2014.10 問いの答えを生きる

作家にとって作品は自分が生きてきた証に違いありません。「40になったら顔に責任を持て」と昔から言われていますが、立ち振る舞いから口調にいたるまで「その人の写し」なのでしょう。表現者はもちろんそれを意識的に追求している人のことをいいます。私自身は経営を追求していないので「経営者」という意識は薄いですし、商いとしての画を追求していないので「画商」という意識も希薄です。しかし美術に関る者として表現者としての作家は作品はもちろんですが作家自身、その存在そのものまで理解したいと思っています。したがって一回限りの展覧会はほとんどありません。しかしご縁をいただいた多くの作家さんが召されてもいきました。西村功、元永定正、須田剋太、小西保文、嶋本昭三、東山嘉事、浮田要三、津高和一、元川賀津美、遠藤泰弘、高野卯港、松村光秀、菅原洸人、岩島雅彦、奥田善巳。そして先日、知念正文さんの訃報を聞きました。

ギャラリーの歴史36年。多くのデビューをここでされた作家の皆さんの誠実な「問い」への「回答」としての成長、成熟をともに出来ることほど冥利に尽きることはありません。

「問い」続けて

私は文化に関るものとして、文化人の役割を問い続けています。学術研究者 マスメディア 文化芸術に関わる人 自分は文化人だと思っている人たちのことです。しかしこの役割が歪められ、あるいはよりよき社会は、あるべき未来、人としてあるべき姿を害していると思うことも多いのです。日本中を覆い尽くす奔流のごときアートの流れを支えているのもまた購買から形を変えた「誘導された感動」という「消費」であり「観光」であり、そこでカウントされるのが「集客」であり最も大切にされるのが「経済効果」です。その評価基準を絶対としながら、数限りないイベントが重ねられ報じられています。流行のみがマーケッティング、広報手段の発達とともに重視されますが、当然のことですが、流行は流行によって乗り越えられていきます。人間の本質はそう変らないとすれば「不易」にこそ根源として、絶えず戻るべき地平はあるはずです。

アートはお墨付きをもらった価値観ではありません。しかし、人間の真実や、時代がはらんでいる問題を鋭敏に表現しようとする行  為です。商売にならないどころか、排除される危機にも瀕してしまう。アートの垣根をなくして、多くの現代人に新たな感覚を体験  して欲しいと願っています。ビジネスという枠組みからではなく、惹かれるもの、必要なものという視点から出発する仕事。そこに  挑み続けて生きたい
姫野希美(赤々舎代表取締役)

意欲的な写真集を出し続ける出版社「赤々舎」の姫野さんの言葉です。
私もギャラリー島田で個展をされる作家さんの作品とじっくり対面し、作家とも話しをするようにしています。売れる売れないを超えて、そのことが一番、お互いに意味があることかもしれません。

境界領域(マージナル)とはなにか

社会の枠組みを維持する力は常に中心領域に集まるが、社会が孕んでいる問題の本質は中心を外れた境界領域で認識され、その認識に基づいて新たな枠組みづくりにむけての大きなエネルギーの渦が起こるのです。私は注意深く中心領域に吸引されないように自分の立ち位置を決めています。それは境界領域の周縁、それも少し外側ということです。そこが最も自由であり、広い視野を持つことが出来るように思います。

権力の批判者のいない民主主義というものがあり得るだろうか、またあるいは批判精神のない知識人というものがあり得るだろうか。
加藤周一

私は「農夫の仕事」あるいは「木を植える人」でありたいと思っています。
私は馬年なので、馬に喩えれば駿馬、サラブレッドではなく農耕馬、もっといえば挽曳馬(ばんえいば)です。やたらと重い橇(そり)を曳く北海道の競馬馬です。今、加川広重プロジェクトのフランス開催が確実なものとして視野に入ってきて、連日、メールの遣り取りをしているのですが、開催予定地であるモルターニュ・オー・ぺルシュは馬の産地で北海道にも輸出しているそうで、私の血にも流れているのかもしれません。そういえば昔、渡邊幹夫さんとブルターニュを旅していたときに私が馬と話しをしたことを蝙蝠日記に書いたことがあります。あの馬は親戚だったのか。

2014.9 1000回の・・・

1000回のメルマガ
ギャラリー島田のメールマガジンが1000号に達し、読者から励ましの感想文を沢山いただいた。海外をふくめ、遠方からの方が多いのは、日常的でないぶん、それだけメルマガ情報を新鮮に受け止めて下さるからだろうか。
 1000回という区切りについて「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす。」
と五輪書にあることを教えてくださったのは岩崎ナギさん。
 1000回も尋常ならざる勢いで書くのを「誰に向けて書いているのか」「内なる島田誠に対して書いているのだろう」
と指摘した中島淳さん。確かに書くテーマによって明確に相手を意識していることも多い。私のもの言いは、そうした相手を刺激したり挑発したりいているから。そんなことを考えていたらガンジーの言葉に出会った。

  あなたがすることはほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
  そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」 (ガンジー)
「永続敗戦論」(白井聡)P201から

1000回の繰り返しの無意味さは「世界によって自分が変えられないようにするためである」
という言葉に深く共感する。
白井聡さんは「永続敗戦論」の最後を

  「侮辱の中に生きる」ことに順応することは、「世界によって自分が変えられる」ことにほかならない。
  私はそのような「変革」を断固として拒絶する。私が本書を読む人々になにかを求めることが許されるとすれば、
  それは、このような「拒絶」を共にすることへの誘いを投げ掛けることであるに違いない。(P202)

と結んでいる。同じ思いを私も抱いている。

『あと1000回の晩飯』
いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う。
72歳になる私が、漠然とそう感じているだけである。病徴というより老徴というべきか、
だからうまいものを食べたいとも思わない。確実なのは遠からず逝くということです。
1000回の晩飯を食べることは残りの日をカレンダーから消していくことです。やたらと
日々を大切に生きたいと思い、時をしっかりと刻みたがるのは「残りの晩飯」を考えているせいでしょうか。

1000日の修行

ついでに言えば、今の私は「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」の修行中のように感じないでもありません。
荒行中の荒行とされている比叡山廷暦寺の「千日回峰行」は、千日といっても連続して3年間という意味ではなく、7年間をかけて通算1000日の間、行なわれるそうです。
常坐三昧は私はPCの前にひたすら常坐
常行三昧は私は寄り道することなくひたすらギャラリーと自宅を常行
時に絶食、私はハンストストリレー
毎日の生活そのものが修行のようなもので、出会う人々すべての仏性を礼拝
山川草木ことごとくに仏性を見いだし、いとおしく感じます。

秋の季節に向かって

夏が異変です。全世界的な規模の破局的な異常気象 異常が常態になる 振り返り立ち止まり、その都度、大雨を降らしたり、地を揺らしたりしながら、大きな被害を残す。早くためらいがちでも去って行って欲しい。
異常なのは自然現象だけではないですね。私たちが多くの経験や智恵で学んで積み重ね築き上げてきたのがあらゆる議論を超えた「まかせなさい、悪いようにはしません」とばかりに手続きを省略してみせる。きわめて危険な領域へ突入してしまった。
加藤周一さんは最後に到達した「日本文化における時間と空間」で、

  日本人は「今」を尊重する。「彼岸」を考えずに「此岸」を考える。即ち、現世利益。「集団内部の大勢」として現れ、
  「大勢順応主義」という日本人の社会的行動様式が導き出され、かくして「全会一致」が理想となり「村八分」がその理  想を保障する。これはなにも伝統的な村落共同体に見られた現象ではなく、今日のビジネス社会にも見られる現象だろう。

と書かれているが、いまは「全会一致」どころではなく「権力一点集中」です。
 私たちは芸術文化に関るものとして、その力を信じ、国境を越え、人種を越え、人が人としてあることが出来る社会を目指さねばなりません。私たちが取り組む「「加川広重巨大絵画プロジェクト」は、全体としてその希望を伝えるための挑戦です。今夏、私たちメンバーが東北を歩き、出会い、語ったことは確かなる希望を伝えています。そしてこの通信のコラム「美の散歩道」に2回に分けて書いていただくゴトウ千香子さんの「世の中一寸先は闇というが」は「戦争レクイエム」を作曲したベンジャミン・ブリテン(イギリス)の「平和」を目指す壮大な仕事と、そこに関っていったゴトウ千香子さん(由布院在住、ギャラリー島田で個展3回)がなした奇蹟のごとき物語です。ここにも芸術の豊かな可能性と希望が語られています。

新しい作家たち
夏季休廊を終え、年末まで、多くの初登場の作家さんがたをお迎えします。
北海道、東京、名古屋、京都、大阪などから。内藤伸彦、岩井博石、貝塚理佐、杉本たけ子、増田寿志、山本ミノ、市英昭さんたち。
また、10年ぶり、5年ぶりなど、満を持しての登場も。楽しみです。

2014.8 問い続けるということ

多くの展覧会が次々と押し寄せてきます。それぞれをできるだけ丁寧に取り組もうとしています。ここを発表の場とする作家さんにとって、なにか意味を見出せるものであって欲しいと思います。丁寧ということは時間がかかることです。時間は等しく与えられたもので、足りないから人から譲ってもらうものではありません。余分なことを削り落す以外に方法はないようです。
ながくながく、飽きるほど続けてきて、いまもそうありたいと願っていることは「自分の生きかたを絶えず問い直し、その答えを書くように生きる」ということかもしれません。

「海文堂まつり」で一箱古本市が大変好評で私も「床間堂」を出店し、沢山の本を出しました。満杯の書棚を空けたのですが、それと同じだけの本を買いました。その多くが山田風太郎の本で、これからの楽しみが増えて、たいへん得をした気分です。なんせ100円/冊でしたから。ちなみに「床間堂」とはマコトを反対に読んだだけです。

いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う。
といって、別にいまこれといった致命的な病気の宣告を受けたわけではない。72歳になる私が、漠然とそう感じているだけである。病徴というより老徴というべきか。

「つひにゆく道とはかねてききしかどきのふけふとはおもはざりしを」

という古歌を知っている人は多かろう。この「つひにゆく」を「つひにくる」と言いかえて老いと解釈すれば、人生はまさにその通りだ。
『あと千回の晩飯』山田風太郎(朝日新聞社、1997)

『人間臨終図巻(上)(下)』(徳間書店1986年)も無類に面白いけれど、72才を迎える風太郎さんが晩飯があと1000回と書いているのは、75歳くらいが「ついにくる道」と感じていたことになり、私自身の感懐とちょうど重なります。
風太郎さんが「風々院風々風々居士」(戒名)となるのは79歳(2001年7月28日)でした。どちらにしても私にとって右顧左眄(きょろきょろ)している時間はないようです。
『風々院風々風々居士―山田風太郎に聞く』(筑摩書房)は森まゆみさんの聞き書きですが。

たんたんと ゆうゆうと ほがらかに いったひと そのひとのかぜがふく

装丁が南伸坊さん。上の言葉は南さんが帯に寄せた言葉で戒名と響き合っています。

いつ伺っても風太郎さんは仙人のように「もう忘れたよ」とおっしゃりつつ記憶は多く甦り、また現在の社会にたいしても痛烈であった。国家権力、犯罪、倫理、大義と暴力、女性観、人物像すべてにすぐれた的確な見通しをもっていらした。発言も現生の人のようではなかった。それは戦時の酸鼻をこの目で見、多くの友を失って、確立した達観がいわしめる言葉であった。 (森まゆみ)

「うん、女はエラい。鹿鳴館時代からずっと女の方がエラい」もフェミニストというより、すべてを見てきた風太郎さんの本音であり、私の同感でもあります。今、いたるところで行なわれている女性の権利の擁護は、ほとんどが今の仕組みを補強するための便宜利用だと感じます。この国のこれからは、そのエラい女性を敬意をもって遇さないときわめて危ういです。

様々なことが危機的な状況にあります。
都議会での野次 自分にまかせておけという総理、ナチスに倣えという副総理、風俗を使えという市長、記者会見で意味不明に号泣する県会議員 など、品格の欠片もない男たちにうんざりします。しかし事はうんざりではすまないです。
すべてのことは私たちの日常にあり、振る舞いにあります。私たちを取り巻くあらゆることに自分なりの判断を選び取っていかねばなりません、その結果が社会を作っているので、私たちはそれに対する責めを負うています。
あらゆる表現活動は「問い続けてきたことにたいする答え」であると思います。
ひとり美術のみが曖昧な概念にうちに閉じこもって自足していてはいけないと思うのです。

「加川広重 巨大絵画プロジェクト2015 ―フクシマ」

阪神・淡路大震災から20年にあたる2015年に、三度目となるデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)での「加川広重巨大絵画プロジェクト」を加川さんの第三作目の「フクシマ」を展示し開催することとなりました。
芸術文化の力で東北と神戸を繋ぐ、さまざまな試みに取り組んできた私たちにとって、いわば集大成として取り組まねばならないと思っています。
振り返れば、2年前の8月15日に加川広重さんの「雪に包まれる被災地」と運命的に出会い、それからは、何かに導かれるように2013年3月にKIITOでの展示が実現し、今年1月に「南三陸の黄金」と「雪に包まれる被災地」を同時展示し19のイベントを開催し6000名の方をお迎えいたしました。
そして次回は「フクシマ」を2015年1月10日(土)から1月18日(日)まで展示し、深い内容を抱いた、様々なプロジェクトを展開したいと思っています。
実行委員会のチームが8月16日~19日まで東北入りし、仙台メディアテークでの「フクシマ」初公開に立会い、シンポジウムにも出席し、様々な検討を重ねてきます。私にとっては10回目の東北入りとなります。志縁の根が深く張り、何かを生み出す源となりつつあることを肌身で感じています。
このプロジェクトは絵画、音楽、詩、舞踊、建築、対話、交流、映像などを通じて芸術がなしうる可能性を示しています。また市民が中心となり事を起こし、それを市、県、企業が支えるという仕組みを、今後、波及していくモデルとして提示したいと思っています。皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

2014.7 今を生きることとアート

 ギャラリーをやっていれば画商だろう、ギャラリストだろうと言われてもピンと来ない。

年間に50をこえる展覧会を開き200名近い作家が登場する。できるだけ丁寧に見、心を込めて接したいという思いは、年を追って強くなってきています。
年に20回近いサロンにしても同じことで、それぞれにしっかりした意味をもたせ、深いサロンでありたいと願っているのですが、そのことによってギャラリー島田そのものが「場」であることを超えて創造的発信装置になるようにしたい。それは作家さんや足を運ばれる皆さんとともにある、ともに生きていることを共感したいと願っています。
皆さんからみれば、私は美術のことよりも社会的な発言に偏っていると思われるかもしれません。しかし表現に関るものが、現代が抱えるさまざまな課題にどのように向き合っているのか、そしてどのように生きているのかは、とても大切なことだと思っています。

心の根底にある理想に近いイメージは、その人の心の深さであり、何ものにもかえられない。
このイメージに対してさらに心を動かし、何らかの形に表現するのが芸術である。
理想とするイメージを如何に妥協せず純粋に視覚化するか。
現在、人間社会は、効率や利便性の為、機械文明と情報に追われとどまるところを知らない。
芸術に出来ることは、心の根底にある理想を失わないことである。

松谷武判さんが今年の新年賀状に書かれていた言葉です。

心の根底にある理想がその人の質を定め、それは作品と等価なのです。そのために不断に努力し、思索し、かつ自分のものとして語り、そして行動にまで至らねばなりません。
真摯に努力し、歩む。私たちは、そのようでありたいと思います。そうした作家たちと共にあることはうれしいことです。

伊津野雄二展は作品集出版記念として東京、名古屋に続いて開催されましたが、その反響も結果も素晴らしいものでした。日常を大切に積み上げてきたことの揺るぎなさを感じました。
ギャラリー島田のメモリアルブックに書いてくださった、伊津野雄二さんによる「画廊主」の定義

絵かきの気づかない
絵のなかの たからものを
釣れるひと

そこまで、ユーモラスな挿絵ともに書かれていますが実は書かれていない続きがあります。

ただし、古来 成功例はまれ
多くは徒労に終わることが多い

はい。その通りですね。

海文堂生誕100年まつり「99+1」
大変な盛況のうちに終わりました。閉店の衝撃が社会的事件といった趣であっただけに、まだ余震が続いていました。このことが教える深い意味について考え続けています。
閉店を発表してからの二ヶ月間、最後まで、淡々と平静をたもって、日常の仕事を守り続けた福岡泰宏店長(当時)をはじめとする書店員のみなさんの姿勢には感動しました。そして小林良宣前店長も挨拶で「私たちは普通のことをやってきただけです」と言っていましたが、本を愛し、本を愛する人を愛するという普通のことが、普通ではないことなのです。小林さんは一言「普通でない人が一人いましたが」と笑いながらこちらを見たのでした。

万巻の書を読むに非(あら)ざるよりは、寧(いづく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得ん。
一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。

たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。
自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない。

このことは本に限ることではありません。広く文化に関り、生き方を問い続けること、それを体現したいと願い、皆さんと歩みます。

《ご報告》 会期中の来場者は約800名。記念ポストカードも約1700枚を販売しました。「海文堂の本」(平野義昌著)刊行のための美術作品の販売は、皆さまの協力のおかげで目標50万円の倍額100万円を達成、来春の刊行を目指します。

2014年前半を振り返れば
1月の「加川広重巨大絵画プロジェクト2014」が、その集大成というべき創造の場となりました。
「奥田善巳展」「木下佳通代展」はパートナーであった物故作家の展覧会でしたが、兵庫県立美術館での奥田善巳展と連動し、和歌山県立近代美術館へ大作や貴重な作品20数点が収蔵され、木下佳通代記念ギャラリー(*)が開設されました。
大作を集めた現代書家「石井誠展」(2月)は札幌の病院とネット中継で繋がり時空を超えた新しい感覚で作家と交流しました。
「没後10年岡野耕三展」「又木啓子展」もスペインのクエンカ長く暮らしていたパートナーによる展覧会、須飼秀和原画展も二つのフロアーを使っての展覧会でした。
植松永次(陶)さんの「泥」と毛利そよ香さんの「根」、?忠之さんの「造化自然」の写真は饗演し珠寶さんのお花が全てを繋ぎました。海外からは藤崎孝敏(フランス)、渡邊幹夫(フランス)、木村章子(フランス)、辻井潤子(シンガポール)さんをお招きしました。

2014.6 大切なものはここに

人は等しく彼岸へと海原を往くこの船の乗客である。無数の細かな偶然が降り積もって私たちはここに「大切なもの」を抱いて生かされて在ることを伊津野の彫刻が、言葉が語りかけてくる。それは「心のなかのかたちが、今も生きるための力を与えるものであることを切にねがう」と若き友への手紙で書いたことの証しであり、それは、そのままに、私たちの望みであり「見ることのないあした」への一歩を踏み出す励ましである。(「伊津野雄二作品集 ―光の井戸」に寄せた文から)
伊津野雄二さんと4年前に出会い、私の日常ともっとも隔たった暮らしでありながら心の基層における同質性を感し、東岡崎一色町の森の入り口にある趣のあるお宅をしばしば訪ねた。

その身を惜しみなくあたえ
いつくしみ そだてた者たちに傷つき
たおれる その時もなお
汝は 微笑むか
凍てつく 灼熱の
この三叉路にたち
されど なお 汝は微笑むか  伊津野雄二「三叉路」

私たちの願いとかけ離れて時代は混沌を深める。絶えざる岐路にたち、私たち自らが問われ、明日への一歩を選び取っていかねばならない。痛みを引き受けてなお微笑むかと。


伊賀・丸柱の里山にある植松さんのお宅を訪ねた。
細い道をくねくねと上がる。木々をぬけると森の入り口のような庭があり、右手に趣のあるお宅。その奥に簡素な工房がある。ここには人間の忘れかけた時間や空気が、まだいっぱい残っている。それはこうした山や森の中だけにあるのでなく、私たちの住む街にも、日々の生活のなかにも、ゆっくり物を見たり、耳を澄ませばあると植松さんは言う。

何を考えるでもなく、
森の中の風景に身を置きひとり佇む。
微かな音や、小さな物の動き、変化を体で感じて、
しばらく、じーと、空を眺め、水を見る。
そしてゆっくりと体を動かす。
泥に足跡を残して。        植松永次

植松さんの仕事は、その地の泥の中に咲いた花なのです。


このところ堀尾貞治さんの「あたりまえのこと」の凄さを思い知らされています。
ギャラリー島田のほとんどの展覧会は見ていただいていますし、展覧会もパフォーマンスもしていただいています。でも最近の磁力は、いまやブラックホールのごとく全てを吸い寄せ、全身美術家として屹立しています。

40年生きてきたら40年がそのままある コピーと同じである
お金も時間も場所もなにも無い条件の中で耀く仕事がある
自分の生まれ育ったところから離れると、生まれた所で起こった事がよく分かる
美術館、画廊、美術書、海外等、いろいろ見たり聞いたりなどしたが、
ほんとうに物が見えるのは、じっとしていて見える時だ
2007年2月10日  堀尾貞治

5月18日(日)8:00に三宮で会い、21:30に三宮で別れるまでびっしり同行しました。
宮崎県立美術館での「生誕100年、没後3年 坂本正直展」で堀尾さんはパフォーマンス、
私は昨年ギャラリー島田での記録映像に続いて、坂本正直を語りながら庄野英二、香月泰男の戦争体験と、その作品化、そして坂本さんの作品の今後、について話をしました。
堀尾貞治さんの「あたりまえのこと」は普通には「あたりまえでないこと」なのですが、
その哲学と行為が、ただならぬ勢いで、世界を巻き込んでいくのは「おおいなる希望」でもあります。「真実は勝つ」(堀尾さんの言葉)という信念のシャワーを全身で浴びた長い一日でした。


海文堂生誕まつり「99+1」

6月1日で100周年を迎えるはずだった海文堂書店が昨年9月末をもって閉じました。そのことは大きな衝撃をもって受け止められました。リアル書店が次々に消えていくなかで、これほどその存在が惜しまれるとは、驚きでした。
私自身は1974年から海文堂書店社長に就任、2000年 海文堂を辞すまで27年間、経営に携わりました。完全に海文堂を離れていたため、閉店に至る経緯は存じません。でも、福岡店長(当時)をはじめとする書店員の皆様は尊敬に値する素晴らしい仕事を重ねてこられたことを知っています。
その足跡を残すことは大切なことで大きな意味をもっていると思います。
今回の海文堂生誕まつり「99+1」は、そうした話の中で自然に生まれたのもです。
福岡宏泰(元・店長)さん、平野義昌(元・店員)さんや、海文堂を惜しむみなさんが実行委員会を重ねられ、私が惜しまず協力しています。
記念展では、海文堂書店に心を寄せてくださった方々に、ゆかりの画家さんの作品と海文堂の歩みの数々をご覧いただきますが、作品は作家さんの協力をいただき、お求めいただきやすい価格設定とします。販売作品には記念展のロゴマーク入りのシールを付けます。これらの収益全額を“海文堂書店の本”(編集:著:平野義昌)の刊行費用に充当します。

2014.5 小津安二郎の福音

含羞

伊良子序(いらこはじめ)さんの「小津安二郎への旅」(河出書房新社)に触発されて、小津安二郎の「東京物語」を見ました。
私は映画の世界はとんと疎いのですが、この本には深いところまで届くものがあり、多くの付箋をつけながら夢中で読みました。当時の日本の時代に寄り添いながら、小津と映画への想いは陰影に富み、舞い散る桜花のような愛惜に包まれて時に文字が滲みました。
2012年8月、英国のブリティシュ・フィルム・インスティテュート(英国映画協会)の機関紙「サイト・アンド・サウンド」が10年ごとに発表する世界名作ランキングで、世界の映画監督たち358人の投票でこれまでの指定席だった「市民ケーン」を押さえて「東京物語」がトップに選ばれました。
「全部みせたらお終いだ。隠せ、隠せ」(小津)の言葉通りに隠されたもの、余白にあるもの、音も動きも無いシーン(情景)。
そこから読み取るものは、見る者に問われていて、それが「いつまでも古びない新しさ」、すなわち普遍に通じているのだと思いました。
そして小津をめぐる旅を重ねながら映画の世界を語り、おのずと伊良子さん自身を語り、時代を俯瞰します。選び抜かれた言葉は膨大な下書きの積み重ねから美しく彫琢され、祖父、伊良子清白の唯一の幻のごとき詩集「孔雀船」のように清らかです。
淡々と家族の会話が重ねられ、小津のローアングルで、その表情が追われ、何事もない室内や風景が写されるのに、なぜ私たちは深く惹きつけられるのでしょうか。
伊良子さんは小津の理想の日本像を探す旅に出ます。そして残念ながら小津が描いた「良き人」の類型は今の社会から極端に減っていて、その旅は現代社会への小津の「福音」を知る作業でもあると伝えます。
サイレント時代の小津は結構、社会の不条理を追った作品が多かったそうです。そしてその後、しっかりと表象を見つめながら、どんなに表象が変化しても、決して変らない真理を求める「不易流行」を根底に置くようになり、そのブレない姿勢が高い評価へと導いたのだと思います。

「宗方姉妹」の姉、節子(田中絹代)が言います

「私、そんなに古い?あんたの新しいって、どういうこと?
去年はやった長いスカートが今年は短くなったというくらいのことじゃないの。
私はいつまでも古くならないことが新しいことだと思うの」

小津映画の何気ない言葉に隠された含羞は、また伊良子序さんの含羞でもあります。
私がアートマネージメントを学ぶ若者に必ず言ってきたことが二つあります。「アートはマネージメントするものではない。
リスペクトするものだ」「トレンドを追うものは、必ずトレンドに追い越される」です。これは逆説的に言っているのですが、私の根底にあることです。

余白

「余白」といえば津高和一さんを思い起こします。

言わぬは、言うに勝る。ということ、それは寡黙と饒舌のことに似ていた。百万語喋ったからといっても真意は伝達されるものではない。また、黙っていても、内包内在させているものが溢れんばかりに自ずからの充実と緊迫をもたらした。たとえそれが一個の微細なたたずまいであってもであった。
このことは私の造形芸術に対処する原点のようなものだったのである。(略)

 津高さんの瀟洒な詩画集「余白 津高和一・作品とエッセイ」の冒頭の詩から引いた。勿論、津高造形は余白による表現です。(注)
この文はグレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」を聴きながら書いています。グールドは漱石への徹底した傾倒があります。オタワのグールドコレクションには『吾輩は猫である』『三四郎』『こころ』『それから』『道草』『行人』が収められています。
けれどもやはり『草枕』が最も好きで最後まで『草枕』を手元に置き、書きこみをしていたそうです。
100年前の4月20日に『こころ』の連載が朝日新聞で始まったのですね。「漱石の描いた『時代の病』は、日本だけでなく、近代化や高度成長の後で誰もが通らなければならない。今後さらに世界的になるだろう」姜 尚中さんの言葉です。
生誕100年での小津安二郎への海外での評価、グールドと漱石。小栗康平の『泥の河』や『眠る男』なども思い出します。
「映画は終わりが実は始まりなんだよ」という小津の言葉が様々に思いを拡げてくれます。

(注)2015年は阪神大震災から20年になります。ということは津高和一没後20年でもあります。その頃に展覧会を予定しています。

2014.4 ―思えば遠くへ来たもんだ―

ギャラリー創設36年を過ごしていることになります。

いままでの画廊とはちがうなあ、枠を外れている、社会的な発言ばかりしている、売れているように見えないけど売れてるの?よくわからない画廊というイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか。なんせいろんなことをしていますから。
ここまで来ることが出来たのは多くの作家やお客様や支援下さる皆様の援けがあってこそのことです。
へんこ

東京新聞・中日新聞で「店のない本屋」が出版ジャーナリスト、石橋毅史さんの連載で始まっていて、「海文堂の遺産」が3/4-3/10まで5回掲載されました。島田を軸に書いているのですが、各回の見出しが愉快です。

① 祈りの場所 ―― 2014年1月17日 KIITOでの加川広重プロジェクトではじまる
② 異色の経営者 ―― 書店経営、画廊経営にとどまらない関心
③ 怒りのパワー ―― 行政の施策への反対運動
④ 「へんこ」がすむ町 ―― WAKKUNやトンカ書店など変り種が町の文化
⑤ 衝突を乗り越え ―― 行政との協働。再びKIITOにて。

とあります。

「へんこ」とは偏屈のことですが、私自身を知らない読者は、さぞかし「怖い人」と思ったことでしょうね。こんなに優しいのに。とはいえ、前回のサロン「加川プロジェクトの問い直し」の時にスタッフが「暴走老人」と発言して、みんな笑って同意していましたから、へんこで暴走する老人というイメージが定着しそうです。

その海文堂ですが今年の6月1日で100年を迎えるところでした。そこで、ギャラリー島田Deuxで「海文堂生誕まつり99+1 記念展」を、へべれけ伝説店長、福岡宏泰さんを中心にトンカ書店の頓花恵さん「下町レトロに首っ丈の会」の山下香さんなどによる実行委員会が大いに盛り上って計画しています。

海文堂書店に心を寄せてくださった方々に、ゆかりの画家さんの作品と海文堂の歩みの数々をご覧いただく他、日替わり店長、いろいろトーク、サイン会、100円均一本、記念ポストカード、カフェなど、楽しい企画を満載する予定です。

これらの売り上げ(一部は収益)は、「海文堂の本(題名は未定)」(平野義昌著・編)の刊行に充てる予定です。

海文堂書店といえば時代小説のスーパースター高田郁さんの「みおつくし料理帖」シリーズの新刊「美雪晴れ」に次の会話があります。

「坂村堂よ、もう海文堂のことで何時までもそうくよくよ悩むな」「そう仰いますが、海文堂は実に良い店だったのですよ。清右衛門先生の本も、随分と沢山商ってくれていましたのに、あんなことになって。私はもう、無念で無念で・・・今日、店の前を通りかかったら、既に薬種問屋に様変わりしていました」P233

「私には懇意にしていた物之本屋を助けられなかった悔いがあり・・・」P289

高田郁さんの人気シリーズの9巻目にあたります。累計200万部という大ベストセラーのなかに海文堂を惜しむメッセージが入っています。高田さんが海文堂の棚卸しに参加されたり熱いファンだったことは存じ上げていましたが、ここまでとは。最後までやり抜いた書店員の皆さんへのこの上なき餞(はなむけ)であり愛惜です。

「ほんまに」NO.15(くとうてん)の特集「海文堂書店閉店に思う」に高田さんは「まぼろしの花とサンバ~我が愛しの海文堂書店~」と題し、100周年には盛大に花束を贈り、サンバを踊るつもりだったとに書かれています。さて、今回のイベントで踊って下さるのかな?サンバのコスチュームでサイン会かな?

それにしても閉店して半年が過ぎますけれど、まだ余震が続いているその存在は何だったのでしょう。  ここに結果的に敗れ去るにしてもみなさんの記憶の中に生き続けることへの鍵があるように思います。 平野さんが書く予定の海文堂書店の本は、たんに一書店の歴史や愛惜の記録にとどまらない意味をもつものであることを確信しています。

さてギャラリーへ話をもどしましょう。

島田という異端、偏固(へんこ)暴走老人は優しいのか怖いのか、ここで発表する作家や、来られるお客様にとって、ここはどんな意味をもっているのだろうか。最近、ギャラリーの仕事を手伝って下さっている野崎ターラーさんに聞きました。どうして「ギャラリー島田」か?しばらくして手紙が届きました。「美術館や他のアートシーンにある、見る、見られるアートではなくて、活動するアートだから。アートは 人・時間・空間をつなげることが出来る。そういう意味でのアートを扱っているのがギャラリー島田だった。――からです。」

展覧会をされた作家の皆さんからもお便りを頂きます。私たちは作家にとって最上の場でありたいと全力で準備をしています。売れることは三の次のことです。そこから生まれるものは売上とは限りません。もっと大切なものや人や事と出会うことです。

2014.3 ポンピドゥー・センター・コレクション展に想う

私はポンピドゥー・センターを偏愛していた時期があります。(最近は行っていないので)
なぜ、私がフランスの3大美術館のうちポンピドゥーに最も惹かれるのだろうか。私たちは現代に生きている。20世紀の歴史についてはある程度理解しているし、私たちが抱えている文明的課題についても、ある程度共通の認識を持っている。それは現代芸術が提起する課題でもある。だから何の予備知識を持たなくても、率直に作品と向かい合うことで、理解不能という感じはしない。(現実には現代美術を理解不能と思っている人が多いが) だから、ここで20世紀の美術の歴史をたどりながら、20世紀を生きてきた自分の位置を確認し、大きなパースペクティブ(遠景・透視)のなかで作品を客観視することが出来る。だから、何度来ても、見飽きることなく興奮するのです。

 

美術館は生命を燃焼させるところだ

ポンピドゥーセンターは、これまでエリートが独占する芸術や文化の枠を破り、社会すべての人々に開かれた場を創造することが理念として謳われた。 初代館長はスェーデン・ストックホルム近代美術館館長から引き抜かれたポンテュス・フルテン。彼の素敵な言葉を紹介しておく。
美術館は生命を燃焼させるところだ。
そこは生き生きとした空間であり、墓場のモニュマンとしてはならない。
美術館は近代都市において、最後にたどりつく人間的な場所であり、
そこは同時に視覚的に大きく凝縮したところである。
私たちは68年5月革命の本質的な状況、すなわち(街路の状況)のような、 そこにすべての人々が、
階級や文化や教養 の差を越えて、誰一人拒否されたと感じる必要なくいられる空間を作ることが出来ないかと思っていた。
1968年、突如として発生した 「5月革命」は、大学生たちの反抗、反乱の型になって表われた。5月10日、パリの学生街カルチェ・ラタンの道路上には、バリケードが築かれて、警官と学生、労働者との間で、乱闘がくりかえされた。ドーゴール体制に対する異議申し立てであったが、この事件が日大全共闘の学園紛争に繋がり、世界的に学生たちの抵抗運動に発展していった。しかし考えてみれば、当時の首相がポンピドゥーであって、事態収拾に苦労した当事者である、彼の名を冠したセンターが、あの時のコミューンを再現するというのだから、面白い。

 

ポンピドゥー・センター物語

また岡部あおみさんの「ポンピドゥー・センター物語」は興奮し愛読しました。フルテンの言葉を受けた岡部さんを含む学芸員たちが、理想に燃えながら開館へと向かっていく、やけどしそうに熱い物語です。
さて、このFruits de la Passionに熱を与え、躍動させ、若い人や子ども達が訪れ、新しいアートに触れる大切な場として活かしていくのは私たちの出番です。
ポンピドゥー・センター理事長 アラン・セパン氏 ご挨拶から
今回の展示にあたっては、今日のアートシーンにおける作品群を、戦後美術の巨匠たちと対話させるという構成をとり   ました。このように興味深い筋書きが与えられたことで、本コレクションが現代美術の新たな世界的視座の中に位置づ   けられ、その普遍的な意味が浮かびあがりました。日本での開催は、明らかに事件と呼びうる出来事です。その「対話」も「事件」も読み取るのは私たちです。ともかく行ってみましょう。それと、このコレクションがポンピドゥー・センター独特のやりかたで蒐集されていることも知っておいたほうがいいですね。
*「ポンピドゥ―・センター・コレクション  フルーツ・オブ・パッション」展
兵庫県立美術館にて開催中 3月23日(日)まで

 

川西英 生誕120年

川西英(1894-1965)の生誕120年を記念した展覧会がデュオこうべ(3月6日―11日)とKIITO(デザイン・クリエイティブセンター神戸:3月14日―23日)神戸市広報課の主催で開催されます。今回の展覧会は川西さんのDesign Worksに焦点を当てた展覧会で、デザイン都市と標榜する神戸の原点を考える意味でもKIITOで開催し、カタログを刊行することの意義は大きいと思います。私も文を寄せることになり、クリエイティブ・デザインについて考えています。2008年に刊行された「画集・神戸百景―川西英が愛した風景」(シーズ・プランニング刊)にも「神戸百景の時代と縁(えにし)」を書かせていただきました。川西さんの時代と現在の神戸を比較しながら書いてみたいと思います。詳細は同封のチラシをご覧下さい。
カタログは会場でもギャラリー島田でも販売されます。是非こちらもご覧下さい。

 

加川広重巨大絵画その後

1月17日にプロジェクトを無事終了しました。しかし、それから10日間ほどは、毎日、このプロジェクトが夢に出てきて困りました。それは思い出しているのではなく、別の企画が行なわれていて、目覚める前に「おかしいな、終わっているのに」と冷静に分かっているのです。今はようやく導眠剤なしに眠れるようになりましたが。関ったメンバーを中心に「加川広重巨大絵画プロジェクトの読み解き」というサロンを開催します。 詳細は次頁をご覧ください。
「南三陸の黄金」は3月5日(水)には竹下景子さんの「かたりつぎ――朗読と音楽の夕べ」(東北大学川内萩ホール)での舞台背景として、3月11日には東京での震災関連の催しに飾られ、2015年には仙台で開催される国連防災世界会議―3月14日(土)~18日(水)にて、新作「福島」も交えての震災三部作同時展示の可能性も見えてきました。NYの国連ではありませんが被災地から世界への発信は、素晴らしいことだと思います。
さらにはギャラリー島田で個展をされた山田晃稔・迪子夫妻はKIITOでの展示をパリのギャラリー・ボン・プチ・ディアブルのご夫妻とご覧になられ、フランスでの展示の可能性について積極的に働きかけて下さっています。もはや私の手に負える規模ではありません。