2013.12 加川広重巨大絵画 二作品を同時展示します

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加川広重の巨大絵画は、東日本大震災からインスピレーションを得て描かれた、類例のない大きな作品(5.4m×16.4m)です。この作品には、宮城生まれの加川自身が被災者として震災に出合い、そこからしか生み出しえない根源的な力があり、あらゆる人に震災がもたらしたものを、時間と場所を越えて、一瞬にフラッシュバックさせるのです。

今年3月にデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)で展示された「雪に包まれる被災地」と、そこで繰り拡げられた様々な催しは大きな反響を呼びましたが、2014年1月には、第2作目である「南三陸の黄金」を同じ会場に展示し、さらに充実した内容を準備しています。単なる芸術作品の鑑賞から行動へと、今、あなたは何をすべきなのかを、人々に問いかけ、駆り立てていく、重要な意味を持っています。同時に、東日本大震災にとって福島原発は容易に解決できない課題であり、現福島県立博物館館長である赤坂憲雄氏と高村薫さんを迎え、この巨大絵画のある空間で、原発が抱える課題や福島の復興、そこから見えてくる日本の課題を、多くの人々とともに考えていくための機会も創出します。
「芸術文化による復興コンソーシアム」(文化庁)で加川広重さんと私が報告をし、このプロジェクトが日本全国に向けて、また世界に向けて発信してゆく可能性が出てきました。
それにしても、このプロジェクトを呼びかけた反応の手ごたえの凄さには驚いてしまいます。今回は被災地東北からはもちろん、広く県外からも出演され、話題となった前回を遥かに凌ぐ規模となります。

【企画の主な内容】

日時:2014年1月5日(日)〜17日(金)
会場:デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)

5日
○「オープニング・チェロ・コンサート」
(国際チェロアンサンブル協会有志60人程度)仙台フィルからも参加予定

11日
○フォーラム「3.11から1.17へ 〜若者が語り合う震災と未来〜」
(神戸大学 関西学院大学 神戸学院大学などの若者たち)
コーディネート:ロニー・アレキサンダー 村井雅清 西垣千春 杉浦健

○ダンス・パフォーマンス関典子演出「春の祭典」(神戸大学の学生20名による)

12日
○シンポジウム「東北の復興、福島の復興と日本の明日」
講演:赤坂憲雄  対談:赤坂憲雄と高村薫  徹底討論

○ダンス・パフォーマンス(藤田佳代舞踊研究所メンバーによるモダンダンス)

13日
○コンサート プーランク「人間の顔」ほか(ザ・タローシンガーズ)

○ダンス・パフォーマンス(岩下徹×立花玲子×文)

17日
○「震災メモリアル・コンサート」
高橋侑子(仙台在住)の作曲による福島の詩人和合亮一「邂逅より」ほか
作曲者によるピアノ 松岡万希の歌

○「アーツエイド東北」の協力によりピアニスト松坂優希(仙台在住)の演奏

期間中毎日
釜石・大槌地域復興写真展「復興カメラ」

(11月15日現在)

【加川広重巨大絵画プロジェクトNo.2への賛同者を募集しています。】

前回と同じように本プロジェクトは様々な充実したプログラム自体への財政の裏づけはゼロから出発しています。再びのお願いで恐縮ですが、下記要領でのご賛同をお願いいたします。
5000円(一口)から  アート・サポート・センター神戸の口座に振り込むかギャラリー島田の窓口にお持ち下さい。後日、実行委員会から領収書をお届けいたします。また、お名前をパンフレット及び会場に掲示しますので、お手数ですがお振込みと同時にメールまたはFaxでお名前、ご住所、お電話などをお知らせ下さい。

>>>>>口座:みなと銀行 北野坂支店(普) 1511086 アートサポートセンター神戸


三木谷良一先生の思い出

三木谷良一先生がお亡くなりになられました。国際的経済学者で、「楽天」の三木谷浩史さんのお父上です。83歳と11ヵ月でした。
9月5日にお二人の共著「競争力」の出版記念パーティーに招かれ、車椅子で心配しましたが、様々な経緯があり節子夫人から慶應病院に入院されたことを聞き「東北楽天優勝」のお祝をお伝えしたときの応答に心が騒ぎ、11月6日に、なにか呼ばれているような気がしてお見舞いに上がり、お別れを覚悟しました。9日に訃報。10日、お通夜、11日、告別式でした。
もっとも尊敬する方でしたので、この現実を受け入れることを身体が拒否しました。
先生とは20年前の神戸大学OBの勉強会「神戸クラブ」からのご縁で、何か通ずるものがあったのか「君は終生の友だ」と言っていただくお付き合いになりました。そこまでの絆は「神戸への思い」によって強く縒(よ)られたものに違いありませんが、その先に「人」への限りなき関心があり様々な現代の課題などについて「君はどうおもう」といつも聞かれました。お二人の共著「競争力」は、浩史さんと世界全体に関わることについて語られた先生が私たちに残した遺言となりました。先生がこの世の舞台から退場していくための最上の花道を浩史さんが整えられたのでした。
剛直かつ公正で、相手がだれであろうと同じ目線で対する稀有の方で、 学んだことを一言でいえば「恥じなきように生きよ」ということです。もっともっと深くお付き合いをしておきたかったと悔やまれます。


神戸への思い

生まれ育った神戸の街が輝きを失いはじめて長い年月がたちました。それは単に経済的要因だけではない根深い要因があります。表層的な借り物文化で良しとする内向きな村社会。三木谷先生もそれを打破したいという「神戸への強い思い」を秘めておられました。国際的な見識と人脈を持ち直言を辞さないために行政からは遠ざけられていました。
また神戸芸術文化会議の名議長といわれた服部正(大阪府立社会事業短大学長)から「芸文」を成立時の市長への応援組織から自立して創造性をもつ団体へと改革して欲しいと頼まれて常任委員として2年がかりで民主的な組織への改革を行ないました。その改革を病床で報告した服部先生は1999年10月25日に亡くなられ、辞世と称して綴った私家版詩文集「座礁船」(2000年)に海文堂ギャラリーから刊行しました。私が改革に立ち会った「芸文」を退会したのは、選挙応援隊からの自立を目指した改革が、いとも簡単に破られ、語るも憚られる場面に立ち会ってしまったからです。
神戸への強い思いを託された方は、佐本進さん(シアターポシェット館長)や多田智満子さん(詩人・作家)などの故人がいらっしゃいます。


神戸ビエンナーレへの公開質問書

託された先輩たちの「神戸を変えなければ」という強い思いが私の背中を押したのです。いまここで、公開質問書のことを詳しく書く紙面がありません。この経緯については是非、ギャラリー島田HP、トップページ左下にあるpdfから、お読み下さい。とりわけ最後の「私たちがなすべきこと」の項をお読みいただければうれしいです。