2013.5
「雪に包まれる被災地」が繋いだもの
3月11日が巡ってきました。被災地といっても斑模様、復興もまたしかりです。経済全体が停滞するなかで、成長、インフレ、国土強靭、防衛、原発再稼動などの、どこ風ふくの風潮は、私はとても眼をつぶってやりすごすことは出来ません。縮小、平等、国土柔軟、協調、脱原発など、豊かさを問い直すことが大切なことに違いありませんし、それを私たちが日常のものとしていきたいと思います。
昨年8月13日~17日まで私どもの財団が関わったプロジェクトを見がてら五度目の東北入りをしました。東北を肌で、五感で感じた上で、心を添わせたいと思っています。せんだい演劇工房10-BOXを訪ね、石巻での新台湾壁画隊の壁画制作に立ち会った。そして南相馬や飯舘村へ足を伸ばし、最後に仙台メディアテークで加川広重さんの「雪に包まれる被災地」と出合いました。震災は、この作家を選び、天命としてこの作品を生んだのだと思いました。この場、この時、この人、まさに一期一会の作品なのです。
この記念碑的な作品を、神戸で展示したいと思いました。ほかの何処よりもまず神戸で。東北に心を寄せて支援を続けている多くの人に、また心を残しながら足を踏み入れることが出来ない人々のために。この絵と出会い、新しい繋がりや、新しい視点を持てるために。
この巨大絵画は、単に圧倒される、凄い、感動したということに終わることなく、そこで何かが生まれ、何かが変らねばならなく、それはそれぞれのわが事であるに違いありません。それが「繋ぐ」ということなのです。
KIITOという場を得、まさに奇蹟のように絵が納まりました。
会場が決まったのが一ヶ月前。メールと電話だけで、協力を要請し、スケジュールで都合がつかなかった一人を除き、快諾を得ました。共催の神戸市、デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)からは会場提供をはじめ、大きな協力を頂きましたが、資金の目処がまったくありませんでした。市から「すべて島田さんのほうで」と言われた時から、どれだけかかるのか雲を掴むようでしたが、アート・サポート・センター神戸と自己負担と腹を決めました。1万円の賛同金のアイデアは、お金というよりも、一緒にプロジェクトへ参加して下さる同志を募る気持ちでした。チラシを作る段階での21名で終わりだと思い、それでも助かったと思いましたが、最終的には62名のご賛同を頂きました。遠方から来られる方は交通費、宿泊費のみ、お払いしましたが、それをまた寄付される方もおられ、参加される皆さんの静かな、しかし真摯な思いこそがこのプロジェクトに深い意味を与えたのでした。300万円規模のプロジェクトを85万程度で行い、黒字になり「アーツエイド東北」への志縁¥273,909と、財団への寄付¥50,000まで生み出したのですから魔術のようでした。11日間の観覧者数は4,865名だったそうです。(KIITOのカウントです。)すべての期間を通して交代で務めて下さったボランティアの皆さんも、プログラムに名を上げたみなさんも、それぞれに加川さんの絵画から、多くのことを感じ、また見にきて下さる方とも心を繋がれたのでした。ギャラリーのスタッフの献身にも感謝。
点描
- DanceBoxからは大谷燠さんがダンサー5名と参加して下さいました。それぞれ展示作業から立ち会われたり、しっかりと作りこまれ、リハーサルでも、本番でも時に立ち上がって見つめる大谷さんの姿にDanceに対する愛情と場に対する敬意を感じました。
- 板橋文夫(ジャズピアノ)さんもソロライブだけではなく大学生のバンドとの共演を申し出られ、事前に十分の準備をされて見事なセッションをされました。季村敏夫(詩人)さんとのセッションも季村さんの「災厄と身体 破局と破局のあいだ」を読み込まれて、ここをやりたいと指定。季村さんも何度もKIITOへ運ばれ、この絵、この場、板橋のピアノ、これは厳しいと、何度も呟きながら「島田の誘いは必ず受ける」と、全力で向かわれたのです。即興的につけるといったものではなく、確信に満ちた音楽を奏でていました。それと切り結ぶ季村さんの言葉・・・
- 最後は田中泯さんの「場踊り」 田中泯さんも前日、あくる日のライブ開始時間の18:00頃、板橋さんのライブの只中に来られました。ゆっくりと絵を、会場を見られ、後半のライブを、ゆったりと聴かれていました。私は、左後方でその姿を見ていました。そして当日、まだ、黄昏の光の気配が残る場の電気をすべて消し、ゆっくりゆっくりと暗闇へと進み、幽かな嘆声が漏れ、絵に溶け入り一つとなったのです。後は蝋燭の灯り一つが・・・深い思いを伝えながら。加川広重の「雪に包まれる被災地」は泯さんによって完成されたと感じました。それは加川さんを謗(そし)ることではなく、作品とは他者と交感することでもう一つの生命を得るのです。