2012.10 「大切はものはここに」

大切はものはここに

伊津野は風土によって穿たれ魂を鑿で造形する。 美しき森、花々、野菜畑、鳥や虫の声、街より早く鮮やかに訪れる季節の便り、長い沈黙との対話。「こうしたささいな日常こそが奇蹟であり、 芸術は人々の日常の日々より貴重なはずはない」、伊津野の言葉である。その女性像が優しさと厳しさを湛えた「人」としての魂を宿し、 凜としてあるのは作家の日常の証であり、佇まいであり、それが稀有なのである。

島田 誠

伊津野雄二さんと出会って、いつも励まされてきた。気品にみちた作品、詩的な言葉、日常の佇まい、夫妻の何気なくも行き届いた心遣い。

いつの時代もそうであったように、悲しみを美しさにかえ、そのなかに希望の種子をうめこんでゆく・・・それが美術という仕事なのだと思っています。

伊津野さんの女性像は優しさの中に強靭な強さを内に秘め、性を超えた「人」の美しさが木霊となって音楽を奏でている。それは伊津野夫妻の化身といってもいい。

どんな時代にあっても、音楽や美術、ことばの美しさは、直接的な力の行使はなく、でも、時空をこえて、重要なSymbolでありKeyでもありうるという考えを捨てることは出来ません。

木へと切り込む鑿は厳しく情感を削ぎ落とし「海神(わたつみ)の翼もて」を生じる。その魂は船を操り海を往き、やがて空へと飛翔する。選び取られた「大切なもの」は微細な傷跡のように降り積もる刻に晒しきった私たちの純なるものの美しき残影。

岡崎(愛知県)の村の森の入口にあるお宅。手入れの行き届いた花壇や野菜畑、積み上げられた薪などの佇まい。街より早く、鮮やかに訪れる季節の便り。長い沈黙との対話、手が施すのを待っている木との交感。その日常の佇まいこそを大切にし、感性を解き放つ。芸術とはこの日常と等価のもの、それ以上でも以下でもない。その刻々が余剰なものを流し、美しくも厳しいフォルムと言葉を削り出してくる。

ちいさな風をつかまえにゆくのが仕事なのに
蜉蝣(かげろう)の羽音を聴きわけられねばならぬのに
粗暴な風が吹き
大切なものを吹きとばしてしまう
心せよ大切なものはここに
すべていつもどおりの箱柳(aspen)の木もれ日のなかに
野薊(wild thistle)の葉うらに

伊津野の彫刻が語りかけてくるものは、そのままに、私の望みであり「見ることのないあした」への一歩を踏み出す励ましである。

見ることのない あしたのために  風はたねをはこび
見ることのない あしたのために  雨は大地をうるおす
さあ 友よ 手をかしておくれ
ぼくたちも  また  このちいさな庭をたがやし
たねをまこう    それは美しい午後のために
そして 見ることのない あしたのために