東北に繋がって
前号の通信を読んだ姉から手紙が届いた。
「母はセツルメントのことは深く心にあったようで、よく話していました。
生保内(おぼない)は寒い所で、家の中まで雪が降り込むような状況の中、子供達は元気だった事。羽仁もと子先生に報告の為に上京したら『すぐ生保内に帰りなさい』と言われて、実家の玄関まで帰り、お母さんの顔だけをみて生保内に帰ったこと、『ちょっと涙が出るくらい大変だった』と言ってましたが、羽仁もと子先生の偉大さも感じていたのではないかと思いました」とあった。
3月11日。三宮から伊丹に向う空港バスで同じく仙台へ向う山口一史さん(ひょうご・まちくらし研究所)と一緒になる。山口さんは作業所を回るという。
私は、仙台の川内萩ホール(東北大学百周年記念会館)での「竹下景子 詩の朗読と音楽の夕べ」を聴き、「アーツエイド東北」の理事会に出席するためでした。
この日のために全国から集まった総勢115名のZIPANGU「絆」マンドリンオーケストラとアコースティックユニット《マリオネット》が音楽を担当しました。
神戸では出来ないほどの大規模なものを、やり遂げた「アーツエイド東北」の皆さんに敬意を捧げます。と共に、この会が、本当の意味で「東北の皆さんの手で、東北の皆さんのために」という意味を獲得するのは次回からかもしれません。
福島へ入るのを断念し、腰をいたわりながら、東京への移動を含めてずっと本を読んでいました。旅の友は三浦しおん「舟を編む」(光文社)と赤坂憲雄対談集「交響する声の記録」(国書刊行会)です。前者は大部の国語辞典を編集するという地味な舞台で小川洋子さんの『博士の愛した数式』を思わせるユーモアのうちに言葉への愛に魅せられた人々の物語です。いっそう言葉を大切に扱わねばと思いました。 赤坂さんの本は6冊目です。もっとも「境界の発生」は立ち往生していますが。
赤坂さんとの出会いは毎日新聞2011/08/09朝刊でした。
頭の中の実験だけでも、日本国から独立して自分の国を作れるぞということを留保しておかないと、東北はいつまでも、米や部品や出稼ぎ者を貢物として差し出す「植民地」であり続けることだろう。みちのくよ、いまこそ独立せよ。
この過激な発言の根底には民俗学者としての「多様な日本」という研究があります。それは日本人のアイデンティティーを問い直すことでもあり、「絆」「復興」を超えるラディカルな提案で、惹かれるものがあります。
3月13日(火) 東京国立博物館・平成館で文化芸術による復興推進コンソーシアム設立記念シンポジウム
「文化芸術を復興の力に」に招かれ、登壇いたしました。
司会:本杉省三(日本大学教授)パネリスト:紺野美佐子(朗読座) 赤坂 憲雄(学習院大学教授・福島県立博物館館長・東日本復興構想会議委員)
大澤隆夫(仙台フィルハーモニー管弦楽団専務理事)近藤誠一(文化庁長官)
それと私でした。
私としては控え室での懇談がとても有意義でした。赤坂さんには7月に神戸にお越し頂くことになりました。