2012.02 17回目の1月17日に。。

17回目の1月17日に。。

阪神淡路に重なる東北の被災の哀しみ苦しみが霧雨に微かに揺れる花弁のように止まることなく心に波動します。
願ってきたことは、「絶望のなかにも希望の種子を播く」(伊津野雄二)こと・・・
一人一人のうちにある思いが小さな吐息となって繋がって、希望なき時代に点る、ルミナリエの眩しい光でも広告の耀きでもない 闇に点る灯火。それが銀河系にように闇のなかで・・・人びとが寝静まった、あるいは人の棲まないところで漸く見えるような微かな星☆のような光。そのような光を灯し、またそうした光に見守られながら、寄る辺なき孤独な航海者に寄り添っていく日々でありたい。

■架空通信

1月17日は津高和一先生ご夫妻の、また先生を私に結びつけて下さった松田和久先生ご夫妻の命日でもあります。西宮と兵庫の違いはあれ、共に家屋の倒壊によるものでした。
津高は1911年、備前福山生まれ。昨年が生誕100年で西宮大谷記念美術館で「架空通信展―テント美術館とはなにか」が開催され、いま芦屋市立美術博物館で「猫が見た現代美術 津高和一」が開催されています。(2月19日まで)
 16歳から詩を書き始めますが、‘37年に「神戸詩人クラブ」が思想弾圧され、絵の世界に転じます。
「文章と違い、絵には形があり、線や色でヒューマンな面を書き込みたいと思った」
 しかしデッサンは上手でなかった。妹尾河童さんから「詩人は詩のような抽象画を描いたらええんちゃいますか?」などと揶揄されます。(「少年H」の最後に詳しい)
 1951年の行動展の「母子像」「鳥かご」で気鋭の評論家、今泉篤男さんに認められ、翌年の『埋葬』で完全な抽象へと入っていきます。

「引き算の人」

津高を一言で言えば、存在そのものが「詩」といえます。絵は勿論、文章、会話、立ち振る舞いに至るまで、詩魂を感じさせました。  別のことでいえば、「引き算の人」だと思います。
宇宙(Cosmos)から我にいたる無限の距離、時間を隔てるものを、すべて消去して、今此処にある自分の精神を表現したい。そこを繋ぐ一本の線。それが架空通信。津高はその縺れた長い糸の端を握っている。
 あらゆる事象をのみ込んで、無限に豊になっていくもの、それは突き詰めていくと、結局は1本の線になる。世のすべてのけん騒も、宇宙の大きな感動も、ぼく自身の人生も、一本の線の中に入ってしまう。単純になればなるほど、絵は一層、豊になる。
 作品形成の過程でなにが一番大切なものか、といえば、その作家の造形言語の基盤となり、底流しているはずの内部にある精神構造である。(津高の言葉から)作品は、その時その時の精神構造を裸のまま露呈するという覚悟は、厳しくも潔い。

予兆

引き算の津高は、自分の死から逆算して、自分の「今」を正確に予兆していた。天との「架空通信」において。
架空とは、「彼方、彼岸への問いかけ」「天の声 私のアンテナに思いがけなく降誕し、ヒラメクもの」です。その瞬間において想像(イマジネート)が創造(クリエート)に移行し、無心のうちに偶然から必然へと系譜がつながる。
津高和一の最初の抽象は「埋葬」(1952年)で最後の個展(海文堂ギヤラリー1994年)「線・面・点のポエジー」の案内状に使われている作品が「埋もれた世界」。
画面の上部は白。下部は黒、そして引っかいた線で家のような四角い形が簡素に描かれている。絶筆は、今までの作品に見られない、激しい揺れを思わせる線群でした。震災直前に山本忠勝さんが長いインタービューをした。その問いに答えて、僕と世界が出会う場所。それはつまり、いつの日か分れる場所でもあるんだけれど、だから極大の至福(=生と創造の喜び)としている、まさにこの場所でのことなのです。NYでもパリでもない、この場所で開かれる。(1994年12月25日神戸新聞掲載)すべてを予感しているように響きます。
そしてこの記事の二日後に私は夫人(雪子さん)からの電話で西宮高木西町のお宅を訪ねました。震災の年の5月に海文堂ギヤラリーで予定されていた個展の打ち合わせというわけでもなく、先生の方から呼ばれることはなかったので不思議に思ったのでした。 その時にご夫妻から勧められて購った「響」という作品、そして死を予兆した「埋もれた世界」もご覧いただきます。今回の津高展は1984年から今回で20回目となります。

斎藤真一『瞽女』の世界

私が海文堂書店を継いだ1973年に斎藤真一さんの『越後瞽女日記』(河出書房新社刊)が刊行され、大変な話題になった。「瞽女」とは、盲目の女旅芸人で、三味線を片手に瞽女唄(ごぜうた)と呼ばれる説話を独自の節回しで歌う。親方と数人の弟子で村々を回り、瞽女の来訪は、娯楽なき時代の村の年中行事の一つとなっていた。
私も雪原に沈みゆく鮮烈な赤、いや黒を内に孕んだ朱、斎藤さんの言葉でいえば赫の夕陽の不思議な荘厳に心を揺さぶられた。 しかし、私が本当の意味で瞽女と出会ったのは‘93年に鉛筆画の木下晋さんとのご縁です。
木下晋は20年以上、後に人間国宝となる小林ハルさんを描き続けていました。そして瞽女唄も耳にし、その世界へ深く入っていき、いま、東北大震災と関わりながら斎藤真一の世界を再訪しようとしている。
 木下晋も斎藤真一も、雪深き、懐かしくも美しき東北という辺境ロマン主義と盲目の旅芸人というシンパシーに寄り掛った作画では断じてない。瞽女と道行するがごとく同化して紡ぎだしていく。斎藤は、同じ荷物を担ぎ、同じ宿(農家)で同じ食事をとったという。
 今回の『瞽女』展で私たちは赤坂憲雄(東北学)の導きに縁りながら、出羽の山々に木魂する地の霊の底深い濁声を聞き届け、困難に中にある東北へと思いを馳せたい。

3・11仙台から

1月17日、神戸での最後となる「竹下景子 詩の朗読と音楽の夕べ」を終えました。
「アーツエイド東北」からも3人のメンバーをお迎えして、東北への引き継ぎを無事終えました。いい会だったと「ホットした」思いでいます。
東日本大震災から1年目を迎える2012年3月11日に、竹下景子さんが、仙台で全国から寄せられた想いをお届けします。音楽は、ポルトガルギターの湯淺隆とマンドリンの吉田剛士によるアコースティックデュオ・マリオネットと、日本中から集う「絆」マンドリンオーケストラです。
東北大学 川内萩ホール(宮城県仙台市青葉区川内40)開演14:00(開場は13:00から) 入場料:3000円(チャリティ支援金込。アーツエイド東北を通じて被災地の芸術文化活動のために使われます。)私も駆けつけます。