~神戸新聞随想
Vol.7「自らの人生においてヒーロー」
今、私は東北にいます。アートの力で復旧、復興のために共に力を合わせるネットワークを作るためです。こうした時にこそアートの力が試されます。私のギャラリーには無名だけど静かに湧き出る地下水のように現代という荒野を潤している作家たちがいます。49歳まで発表すらしたことがなかった石井一男さんは、清貧な生活と、そこから生み出される心深く届く作品が、乾いた現代人の心を潤すものとして後藤正治さん(ノンフィクション作家)の「奇蹟の画家」で取り上げられ、話題になりました。石井さん自身が世間に背を向けて自分の生き方を貫き、その主張として絵を描いているのではなく、孤独に呟いた結晶としての作品が、現代において極めて新鮮なのです。我がギャラリーにはなぜか、正統からはずれ、普通ではない生き方を選ぶ画家たちが集まってきます。それは私が、そのような作家を好むからか、類は友を呼ぶ、のたとえ通り、私自身がそのような存在なのだからでしょうか。自らの生きている証(あか)しとしての作品を紡ぎだしている彼らは、時流に乗った浮き草の如き作品が氾濫する中、おいしい仕事を断る画家、貧しさと癌と闘いながら誰にも描けない都市曼荼羅を描く色鉛筆画家、襲いかかる災厄を直視して独特の人物画を描く現代の絵師、志(こころざし)半ばで無念に逝った画家たちや、将来を表現にかけようと真摯に挑む若い作家たち。こうした自分の生を主役として生きる者たちは、苦に追いやられているのではなく、苦を選び取って生きているのです。彼らは自らの人生においてヒーローであり、真摯に生き立ち上がろうとする被災された無数の人々にも重ります。そうしたみなさんとの長い旅路がはじまります。
Vol.6「アート・エイド・東北」
我が家にも東京から孫たちが避難してきました。私は寝室を明け渡しリビングに布団を敷いて寝ていて、大きな窓から明け暮れに空を仰ぐ。照る日、曇る日、雨の日。この空も、この地も被災地に繋がり、困難に直面している多くの人々のことを思います。いてもたってもおれない気持ちを抱えながら16年前の当事者であった私たちは、その経験を生かした支援を届けようとNPOのネットワークを作り情報を共有し行動を始めました。今、私はアートの力で出来ることを探しています。「アート・エイド・神戸」という運動を始めたのは震災の一ヶ月後でした。被災された方たちをアートの力で癒し、立ち上がっていく運動を担う人々を探し、共に活動をして行きたい。そんな思いをギャラリー島田で明日(5日)18:30から語り合います。どなたでも参加できます。幸い、4月1日に「神戸文化支援基金」が公益財団法人として認可されました。寄付された方が税の還付を受けることが出来る市民メセナとしては画期的なことです。財団として被災地を文化的に支援するための募金を始め,文化支援プログラムに助成をいたします。私たちの経験から学んだ知恵を現地と共有し、被災された方たち自身が文化的に立ち上がっていく「アート・エイド・東北」という運動に繋がっていくことを願っています。寄り添い“分かち合う”という気持ちをもって持続的に「支援」をしたいものです。愛する人や住いや町や仕事すら失った多くの人々と寄り添うということは、私たちも悲しみも経済的な損失も資源も分かち合い、成長や競争から離れ、新しい調和を目指すということでしょう。財団が掲げる「公益」とは、市民がそういう責務を担うということに他なりません。
Vol.5「人が人を殺してはならない」
3月11日に寝入ってずっと悪夢を見ていたとなって欲しい。でも私たちはこの厳しすぎる現実に向かい合っているのです。16年前には私たちが当事者でした。その体験をはるかにこえる人命や都市の損壊、さらに直面しつつある危機に言葉を紡ぐことすら憚られます。阪神大震災の一ヶ月後にアートの力で復興に立ち上がろうという「アート・エイド・神戸」という運動を起こしました。出版した記録集の冒頭に「近代技術への無条件の安全神話は、自然に対する驕りや、人間の油断にちがいない」と書きました。その体験から、自然とともに謙虚に生きようと肝に銘じたのではないでしょうか。しかし“喉もと過ぎれば熱さ忘れる”の喩え通り、成長、経済効果、活力といった言葉が氾濫しより競争的な社会へと戻ってしまいました。私が関わっているアートの世界の役割は、それに加担しないで、しなやかに、柔らかに、豊かに生きることを伝えることです。伊達直人が登場し、困難な立場にある人に手を差し伸べる明るい年明の話題が暗転し未曾有の災害に見舞われました。いま、国境を超え、人種を超えた人々が被災地へ心をよせてくれています。それが人としての自然な振る舞いです。全ての命は有限であり自然の威力の前に人は無力で、死は私たちの隣人です。でも、人が人を殺してはならないということは私たちに託された責務です。この後に続く復旧・復興の長い過程における「危機」は希望を失うことです。困難に直面する人たちの心に「すべての地に新しい陽は昇る!」というメッセージが届くまで、それぞれが出来ることを「Do Something」です。まずは募金、そして私たちはアートの力で出来ることを探します。相身互いの恩返しです。
Vol.4「あなたはどの階に住んでいますか?」
だれでも楽をして豊かに暮らしたいと思うでしょう。でも幸せの感じ方は様々です。人生「四階建ての家」論は新宮秀夫さん(元・京大エネルギー研究所教授)から教わりました。一階には本能的快楽を求める人、二階には快楽の永続を願う人、三階には苦痛を乗り越えた時の喜びを知る人、四階には苦痛にこそ幸せを感じる人が住むという。今の時代は一階に住むことを願う人で床が抜けそうです。消費経済はこの住人がターゲットです。楽しさを長続きさせるためには、それなりの努力が必要であると二階に上がってくる人もいます。様々な試練に耐えながら、本当の喜びを求めるべートーヴェンのような人は三階に住む。四階には狂気を抱えゴッホのように時代を切り拓く人が住む。もちろん上に行くほど少数です。あなたはどの階に住んでいるのかな? 年間三万人を超える自殺者は居場所を見つけられなかったのでしょう。一階だけでは「ゆで蛙=いい湯だなと思っているうちに死んでしまう」、一、二階だけではのっぺらぼうで、奥行きある社会にはなりません。均質化を目指しすぎず、違いを認め合う包容力が大切です。社会を構成している行政、企業、市民のバランスの中で、これからは市民力が高まることが大切です。でも「市民力」と聞いただけで顔をしかめる人もいます。みんな市民なのに。市民活動=異議申し立てをする人とイメージするのでしょう。「いちゃもんの益川」と呼ばれたのは’08年ノーベル物理学賞受賞の益川敏英さん。いちゃもん精神こそ創造的な活動を生み出すエンジンです。では、お前はどこにいると問われれば三階か四階と答えます。マゾ的に打たれ強い。即ち、同じ蛙でも「蛙の面に小便」です。
Vol.3「お金の品格」
寄付とは楽しいものです。人の喜びを自分の喜びとする。子どもや孫の笑顔がうれしいのは当然ですが、その喜びを遠くにまで広げませんか。親からもらった立派な頭脳と体をもちながら、どことなく元気がないこの国。それは末端まできれいな血が通っていないからです。「文化の話かと思ったらお金の話ばかりか!低級だな」と叱られそうです。お金に人格はないのに。使い方に品格が現れるだけです。私はお金を血液にたとえましたが、故・西 正興( 元兵庫県洋菓子協会会長)さんの多彩な趣味の一つは献血でした。素晴らしいですね。善き行いは「陰徳=陰でやるもの」と教えられてきました。でも社会への貢献を「義務」や「匿名の美談」からそろそろ解放しませんか。絵を描いたり、文を書いたり、歌ったり踊ったり、ボランティアしたり、寄付したり。すべて自己の表現なのだと捉えませんか?出来ることは楽しみ、出来ないことは人に託す。バングラディシュの女性たちが作る石鹸をフェアトレードで買うとセックスワーカーにならざるを得なかった彼女たちを救うことが出来る。私たちは海外の災害地に行けないからNGOに託する。困難な立場にある人たちを支援するNPOに託する。ホームレスの自立のための雑誌「ビッグイシュー」を買い、世界の現実を知るためにフォートジャーナリズムの雑誌を買う。世間という荒波を小舟で渡る様々な活動団体の会員になるのはクルーになるのではなく、航海の安全を祈る小さな灯火を掲げることです。暗闇の灯ほどクルーを勇気づけるものはありません。これらは、ほとんど珈琲一杯、外食一回と同じ感覚で始めることが出来ます。「善行」ではなく、今を生きる貴方の表現なのです。
Vol.2「楽しく寄付を」
阪神・淡路大震災では「ボランティア元年」と呼ばれ、今年は「新しい公共」の理念のもとで「寄付元年」だそうです。年の初めに伊達直人がマスコミを賑わしています。私たちは長い間、行政サービスの受け手として、また企業の経済活動を支える消費者として位置づけられてきました。その私たちが「受け手」から「担い手」に変わるのです。「官」「企業」「市民」が一体となって社会を支えるバランスが大切です。お金の話は低く見られますが、体に例えれば血液の話です。新しい寄付の文化とは毛細血管まで血流を良くすることです。私が播いた種の「基金」」や「財団」は極めてシンプルです。寄付をいただき、若い芸術家たちが芸術のユートピアを目指し、翼を未来へと拡げる活動を応援します。資金の出入りの骨格に「資金助成」という「装置=エンジン」だけを搭載しています。車にたとえれば車体も座席も内装もアクセサリーもなにもないシンプルなものです。私が提唱したファンドレイジングの試み「ぼたんの会」も、そうした「装置」の一つです。神戸で震災後に生まれたNPO/NGOが協働して「夜会・ぼたんの会」や「竹下景子・詩の朗読とコンサート」などの大きな事業に取り組み、各団体が販売したチケット数に応じての50%を活動資金として受け取ります。7年間続けて、確かな成果を得ました。だれでも使える有効な「装置」です。見渡せば、あまりにも多くの組織があり、それがまた組織化されてメタボリックなのです。今は健康ブームです。食事であれ運動であれ、体にいいことであれば何でもやろうという時代です。寄付元年は社会にいいことは何でもやろうという気持ちで、楽しく寄付を、楽しい社会貢献を。次回はそのコツを。
(2011年1月28日)
Vol.1「純な志つないで」
海文堂書店を継いだのが31才。本好きの人に大切にしてもらう本屋であることを理念とし、もう一つの柱として画廊を作った。その画廊は10年前に北野ハンター坂に移り33年目を迎えた。有名無名に拘らず、恵まれないけどいい仕事をしている作家を応援しています。それは美術の分野に限りません。1990年に40才で亡くなられた亀井純子さんから寄せられた1千万円を基に公益信託「亀井純子基金」を設立し、18年間で亀井さんからの元本はそのままで18百万円の活動助成を行った。すなわち、普通の市民の寄付が活動を支えてきたのです。一昨年10月に13百万円を基金とした一般財団法人「神戸文化支援基金」を設立し、昨年6月に亡くなられた西川千鶴子さんから1千万円の遺贈を受けました。 宮城まり子さん(「ねむの木学園」園長)が日経新聞の「私の履歴書」に、学園を設立してその資金に窮していた時、突然、ホテルを訪ねてこられた作業着姿のおじさんが、家内と娘と相談してと出された封筒に15百万円の小切手が入っていた。「昔の神様と違って、現代の神様は作業着を着てこの世に出ていらっしゃるのだな、そう思いながら後ろ姿を見送りました」と書かれていた。約40年前のことです。亀井純子、西川千鶴子さんだけでなく、多くの純粋な志をもった神様たちが神戸の文化を支えています。まもなく、二つの基金が合体して33百万円の基金となり、意欲的で挑戦的な事業に対し年間2百万円の活動助成を行います。申請の締め切りが今月末に迫っています。次の段階は公益財団となることです。文化は行政や企業だけが支えるのものではない。市民が支えてこそ「わが街」と呼べる。そうした試みを紹介していきたい。
(2011年1月13日)