「隣り合わせ」
3月11日に寝入ってずっと悪夢を見ていた、となって欲しい。
東北・関東地方に激震災害が発生しました。刻々と事態の深刻さを増しています、’95年の阪神淡路大震災の規模と比較にならぬほどの規模です。当時を思い起こしても、日に日に死者の数が積みあがっていくのに呆然としたものです。石油コンビナートの炎上、原子力発電所の被害拡大が憂慮されます。自然災害ですから、防ぎようがないこともありますが、やはり私たちの日々の営みに心を向けなければなりません。私たちの体験の日々、自然に対し、いかに人間は傲慢であったか、謙虚に生きようと肝に銘じたはずではなかったのか。
阪神大震災の一ヶ月後にアートの力で復興に立ち上がろうという「アート・エイド・神戸」という運動を起こしました。出版した記録集の冒頭に「近代技術への無条件の安全神話は、自然に対する驕りや、人間の油断にちがいない」と書きました。今また、安全神話が崩壊しました。もともと安全神話などあってはならないのです。(注)
今、私が68年の日々を歩んでいることも不思議といえば不思議です。47歳での頭部手術、53歳での大震災をくぐり、家内や、多くのかけがえのない、私より若い人々を見送りました。全ての命は有限であり自然の威力の前に人は無力で、死は私たちの隣人です。16年前には、私たち自身が当事者だったわけですが、今回は、TVや新聞報道で知る立場です。土曜日の三宮は賑わっていました。不思議な光景に思えました。この16年の間に、さんざん防災のことが語られ、教訓が言われました。しかし、自然の猛威は、それらをあざ笑うように圧倒的な破壊力を見せ付けています。
(注)「蝙蝠、赤信号をわたるーアート・エイド神戸の現場から」(神戸新聞総合出版センター)1997年刊。
人が人を殺してはいけない
震災で私達が感じた「ユウフォリア(至福感)」は、数ヶ月で現実には挫折、消滅したにしても、あのとき私たちが垣間見たビジョンは、「共同臨死体験」として私たちの歴史を確実に回転させるはずでした。それは、生きているだけでも幸せだ、自然とも人とも共に存在することを受け入れることです。しかし、実際には、“喉もと過ぎれば熱さ忘れる”の例えとおり、さらに競争・成長・欲望社会へと向かい、格差とストレスに溢れ返っています。 私が関わっているアートの世界とは、それに加担しないで、しなやかに、柔らかに、豊かに生きることを伝えることです。今、直面しているこうした危機に対し冷却水のような役割かもしれません。自然は人知を超えると識者はいいますが、それを学ばずして震災の教訓もないものです。さらに言えば、自然相手ではない現実社会だって今の人知は悪化させることはあっても、まともに変えることは出来ないのです。自然の前に脱帽して恥るのなら、この現実に対して恥じてこそ識者というものです。比喩的に言えば、無理を重ねた原子力発電で炉心溶解の危機に直面していますが、私たちの日常が炉心溶解を起こしていると思えてなりません。困難な立場にある皆さんを見殺しにしてはなりません。これからは、人が人を殺すことになるのです。これからは長丁場です。 日本全体が痛みを分かち合い、共に歩むことを誓わねばなりません。でも、一月もたたないうちに、またぞろ消費社会、欲望社会が復活します。日本人の正体が顕になるそこからが、何を学んだのかの本質が分るでしょう。 これからの被災地の復旧・復興にいたる長い過程での「危機」は希望を失うことです。困難に直面する人たちの心に「すべての地に新しい陽は昇る!」というメッセージが届くまで、それぞれが出来ることを「Do Something」しましょう。まずは募金、そして私たちはアートの力で出来ることを探し取り組みます。出番はもう少し先になります。相身互いの恩返しです。
柔らかに生きる
柔らかに生きる
「神の慮り」=神のおもんばかり
大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうと富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の称賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった
人生を楽しもうと
たくさんのものを求めたのに
むしろ人生を味わうようにと
シンプルな生活を与えられた
求めたものは何一つとして
与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられていた
私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ
(作者不詳)
石井一男さんのご縁で知りあった長瀬泰信さんからいただいた著書「清清しく、やさしく、丁寧に、力強く生きる」の表紙見返しに書かれていた言葉です。 私も勿論、書かれているような欲を人並みにもった生き方をしてきました。でも、多くの試練を経て、何かに導かれるように生かされているのだと思うのです。組織から離れ、自由を得た団塊の世代と、その上の私たちこそ、生かされてきたことに感謝してご恩を世間に返さねばならない責務があるのです。