「穏やかな年明けでした」
早めに仕事を切り上げて、長い冬休みをと目論んでいたのですが、にわかにギャラリーの改装計画が現実化して、しかも資金に余裕がないので工務店に頼むだけでは済まなくなってしまいました。改装の目的は、
① 空間の緊張性を高める。
② 書類・資料の収納場所の確保
③ スタッフが働きやすい動線の変更
④ 倉庫スペースの整備
⑤ 応接スペースの新設
などです。
改装プランは島田容子(島田陽設計事務所)が担当、施工は林工務店でした。12月26日~29日までと、1月5、6日に工事をしたのですが、改装にともなう書類や書籍、作品の移動などは1月13日現在、まだ終わっていません。
◇年末年始のこと
29日の夕刻から、東京から長男の家族を迎えました。半同居人の次男夫妻と合わせて7人が集いました。次男は、ここに設計事務所を置いていて奥さんの容子さんも事務所で働いているので、ほぼ毎日、顔を合わせているのです。家人が元気だったころのお正月の過ごし方で、お節料理、お屠蘇、お雑煮,お年玉などもほぼ踏襲する形で過ごしました。私も料理に参加するつもりで買い物はしたのですが、家族みんな料理が上手なので、ほとんど出る幕がなかったです。初詣は北野天満宮へ。といっても徒歩3分です。30年以上前に息子たちが遊んだ手づくり歌留多(かるた)が出てきて私が読み上げ孫が遊ぶのに何度も付き合いました。寝室を明け渡し、私はリビングの床に布団を敷いて寝ました。昨年末から、長らく使っていなかった暖炉に火を入れるようになり、いかにも暖房効率が悪そうな吹き抜け空間の家ですが、睡眠に問題はありませんでした。寝た場所の南面は全面硝子で、神戸の街も夜空も一望なのですが、年末年始は荒れるという予報でしたが、薄い上弦の月と、寄り添うように輝く星が冴え冴えとした雲のない夜空にかかっていました。
◇山籠り
2日も関西は穏やかな天気に恵まれました。昼に東京へ戻っていく家族を見送りました。孫たちは、とても楽しかったらしく、あとから下の孫は泣きそうになっていたと聞きました。私は、この休みを、書きかけている原稿に集中したいと思っていたのですが、結局、空いた日が少なく、京都・嵐山、渡月橋から桂川を小舟でさかのぼる宿で丸二日間を文士気取りで書き物に集中したのです。幸い、TVもラジオもないところで、岸辺に所々に雪が残り、でも微かな春を含んだ光の中をカルガモの家族が泳ぎ、時にマガモや白鷺が水面すれすれに下流へと飛び去っていく姿が疲れた眼を休ませてくれます。書き澱(よど)んで、対岸の小倉山の山すそに眼を遊ばせているとなにやら動くものが。人が歩いているのかと思うと猿が二匹、遊んでいるのでした。いつも見る大学駅伝で、ひいきの早稲田大学が優勝したのを見ることが出来なかったのは残念ですが、TVがあれば、なんのために籠ったのか分からなくなるところでした。
◇文士気取り
そんなに気取って何を書いているのかといえば、ギャラリー島田の特異な作家たちについてです。まだタイトルは決まっていませんが、たとえば「我が愛する異端・反俗の画家たち」となるでしょうか。書いているのは松村光秀、高野卯港、武内ヒロクニ、石井一男、山内雅夫です。みんな偏屈といえば偏屈、頑固といえば頑固、貧といえば貧。ともかく絵を描くことだけに命を捧げる作家たちです。彼らの画業をたどりながら、描くこととは、生きることとは、家族とは何かを語りたいと思っています。そのことを書くことが私自身と仕事を書くことでもあります。もう2年間も書いたり消したりの日々です。初夏には出版したいと思っています。それと神戸新聞夕刊の「随想」の骨格を決めることです。大分、前に別のコラムを書いたことがあり、今、私が書く意味をどこに置くかを考えています。通信、メルマガ、本、新聞と、ともかく書くことに追われている感じです。
◇哀しいだけ
「人に好かれようとして仕事をするな。むしろ半分の人間に積極的に嫌われるように努力しないと、ちゃんとした仕事はできねえぞ」と言ったのは白洲次郎ですが、いい仕事かどうかは別にして、ともかく敵が多い私です。それは、神戸を愛するが故の批判なのですが、ともかく嫌がらせが執拗ですね。今年の秋に三回目の神戸ビエンナーレが開催されます。前回は、内容的にかなり改善されてビエンナーレらしくなりました。でも一つの汚点が「神戸ビエンナーレ事件」でした。「美術手帳特別号」の出版直前に掲載予定の「ギャラリー島田」の記事をビエンナーレ実行委員会が抹消・削除させたことです。もう終わったことで、忘れかかっていました。
しかし、今回また、信じられないことが進行しています。親しいアートスポットが神戸ビエンナーレに協力するために、私とも親しい二人の作家の展示を企画しました。とてもいいプランで、作家も同意したそうです。しかし、驚くべきことにそこがギャラリー島田と親しいという理由で神戸ビエンナーレ関連とは認めないと言われたそうです。近しい人にまで迷惑がかかるとは。こうした神戸の姿は哀しいだけです。こうしたことを書くことにもためらいがあります。体制的なものを批判すると、そこまでやられるのかという怖れを、読む人に与えてはいないかと危惧します。「薄紙を剥ぐように」という言葉は、状況が良くなっていくことを指しますが、私の場合は「薄紙を剥ぐように」一人一人と去っていくという感じすらしています。
南伸坊さんが「ブギの女王・笠置シズ子」の書評(神戸新聞2010年11月28日)で「悪口は、驚くほど速やかに信じられてしまう。そしてそれは、どんなに打ち消しても、容易に改まらないものだ」と書いていました。
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1月23日は神戸が誇る詩人・文学者、多田智満子さんの8回目の命日です。
多田さんの句 ”御政道批判すなわち打首の昔を今になすよしもがなー現代の権力者―”を思い出します。
季村敏夫さんたちが創刊した瀟洒な文芸誌「たまや」の冒頭に掲載された「人知れずこそ―ざれうた六首」のうちの一つです。
江戸時代ならば「市中引き回しの刑。家族は島流し」キリシタンの「踏み絵」戦前ならば「治安維持法違反」投獄。
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私自身が槍や飛礫を受けるのは仕方がないにしても、私と親しいことで、友人、作家が不利益を受けることは見逃すことはできませんね。この決定は不幸なことです。すみやかに取り消されることを願います。それでなければ、友人たち作家たちを私は守らねばなりません。そのようなことにならぬように判断して欲しいものです。
◇今年の展望
ギャラリー島田では初めての作家が20名を下らず、グループ展やミニアテュールへの初参加も加えると40名ほどが新しく登場する予定です。そして皆さんがギャラリー島田で個展をすることに全力で挑んでくれるのです。私の書き下ろし「我が愛する異端・反俗の画家たち」(仮題)の出版を準備していることは既に書きました。出版予定は6月ころでしょうか。石井一男さんは9月、10月にBBプラザ美術館での展覧会、11月、12月とギャラリー島田と東京のギャラリー愚怜での個展が決まっています。武内ヒロクニ、高野卯港さんはギャラリー枝香庵での展覧会が。6月には御子柴大三氏の企画で関東と関西の作家30名が参加する交流展「SUGAO」が新しい試みです。 ギャラリー島田コレクションオークションも新しい試みです。
(公)亀井純子文化基金が終了し、一般財団法人「神戸文化支援基金」に合併されます。そして3月には公益財団法人の認可を受けることが出来そうです。実現すれば画期的なことです。