蝙蝠日記番外編 〔「神戸新聞随想」〕

~神戸新聞随想

Vol.7「自らの人生においてヒーロー」

今、私は東北にいます。アートの力で復旧、復興のために共に力を合わせるネットワークを作るためです。こうした時にこそアートの力が試されます。私のギャラリーには無名だけど静かに湧き出る地下水のように現代という荒野を潤している作家たちがいます。49歳まで発表すらしたことがなかった石井一男さんは、清貧な生活と、そこから生み出される心深く届く作品が、乾いた現代人の心を潤すものとして後藤正治さん(ノンフィクション作家)の「奇蹟の画家」で取り上げられ、話題になりました。石井さん自身が世間に背を向けて自分の生き方を貫き、その主張として絵を描いているのではなく、孤独に呟いた結晶としての作品が、現代において極めて新鮮なのです。我がギャラリーにはなぜか、正統からはずれ、普通ではない生き方を選ぶ画家たちが集まってきます。それは私が、そのような作家を好むからか、類は友を呼ぶ、のたとえ通り、私自身がそのような存在なのだからでしょうか。自らの生きている証(あか)しとしての作品を紡ぎだしている彼らは、時流に乗った浮き草の如き作品が氾濫する中、おいしい仕事を断る画家、貧しさと癌と闘いながら誰にも描けない都市曼荼羅を描く色鉛筆画家、襲いかかる災厄を直視して独特の人物画を描く現代の絵師、志(こころざし)半ばで無念に逝った画家たちや、将来を表現にかけようと真摯に挑む若い作家たち。こうした自分の生を主役として生きる者たちは、苦に追いやられているのではなく、苦を選び取って生きているのです。彼らは自らの人生においてヒーローであり、真摯に生き立ち上がろうとする被災された無数の人々にも重ります。そうしたみなさんとの長い旅路がはじまります。
Vol.6「アート・エイド・東北」

我が家にも東京から孫たちが避難してきました。私は寝室を明け渡しリビングに布団を敷いて寝ていて、大きな窓から明け暮れに空を仰ぐ。照る日、曇る日、雨の日。この空も、この地も被災地に繋がり、困難に直面している多くの人々のことを思います。いてもたってもおれない気持ちを抱えながら16年前の当事者であった私たちは、その経験を生かした支援を届けようとNPOのネットワークを作り情報を共有し行動を始めました。今、私はアートの力で出来ることを探しています。「アート・エイド・神戸」という運動を始めたのは震災の一ヶ月後でした。被災された方たちをアートの力で癒し、立ち上がっていく運動を担う人々を探し、共に活動をして行きたい。そんな思いをギャラリー島田で明日(5日)18:30から語り合います。どなたでも参加できます。幸い、4月1日に「神戸文化支援基金」が公益財団法人として認可されました。寄付された方が税の還付を受けることが出来る市民メセナとしては画期的なことです。財団として被災地を文化的に支援するための募金を始め,文化支援プログラムに助成をいたします。私たちの経験から学んだ知恵を現地と共有し、被災された方たち自身が文化的に立ち上がっていく「アート・エイド・東北」という運動に繋がっていくことを願っています。寄り添い“分かち合う”という気持ちをもって持続的に「支援」をしたいものです。愛する人や住いや町や仕事すら失った多くの人々と寄り添うということは、私たちも悲しみも経済的な損失も資源も分かち合い、成長や競争から離れ、新しい調和を目指すということでしょう。財団が掲げる「公益」とは、市民がそういう責務を担うということに他なりません。
Vol.5「人が人を殺してはならない」

3月11日に寝入ってずっと悪夢を見ていたとなって欲しい。でも私たちはこの厳しすぎる現実に向かい合っているのです。16年前には私たちが当事者でした。その体験をはるかにこえる人命や都市の損壊、さらに直面しつつある危機に言葉を紡ぐことすら憚られます。阪神大震災の一ヶ月後にアートの力で復興に立ち上がろうという「アート・エイド・神戸」という運動を起こしました。出版した記録集の冒頭に「近代技術への無条件の安全神話は、自然に対する驕りや、人間の油断にちがいない」と書きました。その体験から、自然とともに謙虚に生きようと肝に銘じたのではないでしょうか。しかし“喉もと過ぎれば熱さ忘れる”の喩え通り、成長、経済効果、活力といった言葉が氾濫しより競争的な社会へと戻ってしまいました。私が関わっているアートの世界の役割は、それに加担しないで、しなやかに、柔らかに、豊かに生きることを伝えることです。伊達直人が登場し、困難な立場にある人に手を差し伸べる明るい年明の話題が暗転し未曾有の災害に見舞われました。いま、国境を超え、人種を超えた人々が被災地へ心をよせてくれています。それが人としての自然な振る舞いです。全ての命は有限であり自然の威力の前に人は無力で、死は私たちの隣人です。でも、人が人を殺してはならないということは私たちに託された責務です。この後に続く復旧・復興の長い過程における「危機」は希望を失うことです。困難に直面する人たちの心に「すべての地に新しい陽は昇る!」というメッセージが届くまで、それぞれが出来ることを「Do Something」です。まずは募金、そして私たちはアートの力で出来ることを探します。相身互いの恩返しです。
Vol.4「あなたはどの階に住んでいますか?」

だれでも楽をして豊かに暮らしたいと思うでしょう。でも幸せの感じ方は様々です。人生「四階建ての家」論は新宮秀夫さん(元・京大エネルギー研究所教授)から教わりました。一階には本能的快楽を求める人、二階には快楽の永続を願う人、三階には苦痛を乗り越えた時の喜びを知る人、四階には苦痛にこそ幸せを感じる人が住むという。今の時代は一階に住むことを願う人で床が抜けそうです。消費経済はこの住人がターゲットです。楽しさを長続きさせるためには、それなりの努力が必要であると二階に上がってくる人もいます。様々な試練に耐えながら、本当の喜びを求めるべートーヴェンのような人は三階に住む。四階には狂気を抱えゴッホのように時代を切り拓く人が住む。もちろん上に行くほど少数です。あなたはどの階に住んでいるのかな? 年間三万人を超える自殺者は居場所を見つけられなかったのでしょう。一階だけでは「ゆで蛙=いい湯だなと思っているうちに死んでしまう」、一、二階だけではのっぺらぼうで、奥行きある社会にはなりません。均質化を目指しすぎず、違いを認め合う包容力が大切です。社会を構成している行政、企業、市民のバランスの中で、これからは市民力が高まることが大切です。でも「市民力」と聞いただけで顔をしかめる人もいます。みんな市民なのに。市民活動=異議申し立てをする人とイメージするのでしょう。「いちゃもんの益川」と呼ばれたのは’08年ノーベル物理学賞受賞の益川敏英さん。いちゃもん精神こそ創造的な活動を生み出すエンジンです。では、お前はどこにいると問われれば三階か四階と答えます。マゾ的に打たれ強い。即ち、同じ蛙でも「蛙の面に小便」です。
Vol.3「お金の品格」

寄付とは楽しいものです。人の喜びを自分の喜びとする。子どもや孫の笑顔がうれしいのは当然ですが、その喜びを遠くにまで広げませんか。親からもらった立派な頭脳と体をもちながら、どことなく元気がないこの国。それは末端まできれいな血が通っていないからです。「文化の話かと思ったらお金の話ばかりか!低級だな」と叱られそうです。お金に人格はないのに。使い方に品格が現れるだけです。私はお金を血液にたとえましたが、故・西 正興( 元兵庫県洋菓子協会会長)さんの多彩な趣味の一つは献血でした。素晴らしいですね。善き行いは「陰徳=陰でやるもの」と教えられてきました。でも社会への貢献を「義務」や「匿名の美談」からそろそろ解放しませんか。絵を描いたり、文を書いたり、歌ったり踊ったり、ボランティアしたり、寄付したり。すべて自己の表現なのだと捉えませんか?出来ることは楽しみ、出来ないことは人に託す。バングラディシュの女性たちが作る石鹸をフェアトレードで買うとセックスワーカーにならざるを得なかった彼女たちを救うことが出来る。私たちは海外の災害地に行けないからNGOに託する。困難な立場にある人たちを支援するNPOに託する。ホームレスの自立のための雑誌「ビッグイシュー」を買い、世界の現実を知るためにフォートジャーナリズムの雑誌を買う。世間という荒波を小舟で渡る様々な活動団体の会員になるのはクルーになるのではなく、航海の安全を祈る小さな灯火を掲げることです。暗闇の灯ほどクルーを勇気づけるものはありません。これらは、ほとんど珈琲一杯、外食一回と同じ感覚で始めることが出来ます。「善行」ではなく、今を生きる貴方の表現なのです。
Vol.2「楽しく寄付を」

阪神・淡路大震災では「ボランティア元年」と呼ばれ、今年は「新しい公共」の理念のもとで「寄付元年」だそうです。年の初めに伊達直人がマスコミを賑わしています。私たちは長い間、行政サービスの受け手として、また企業の経済活動を支える消費者として位置づけられてきました。その私たちが「受け手」から「担い手」に変わるのです。「官」「企業」「市民」が一体となって社会を支えるバランスが大切です。お金の話は低く見られますが、体に例えれば血液の話です。新しい寄付の文化とは毛細血管まで血流を良くすることです。私が播いた種の「基金」」や「財団」は極めてシンプルです。寄付をいただき、若い芸術家たちが芸術のユートピアを目指し、翼を未来へと拡げる活動を応援します。資金の出入りの骨格に「資金助成」という「装置=エンジン」だけを搭載しています。車にたとえれば車体も座席も内装もアクセサリーもなにもないシンプルなものです。私が提唱したファンドレイジングの試み「ぼたんの会」も、そうした「装置」の一つです。神戸で震災後に生まれたNPO/NGOが協働して「夜会・ぼたんの会」や「竹下景子・詩の朗読とコンサート」などの大きな事業に取り組み、各団体が販売したチケット数に応じての50%を活動資金として受け取ります。7年間続けて、確かな成果を得ました。だれでも使える有効な「装置」です。見渡せば、あまりにも多くの組織があり、それがまた組織化されてメタボリックなのです。今は健康ブームです。食事であれ運動であれ、体にいいことであれば何でもやろうという時代です。寄付元年は社会にいいことは何でもやろうという気持ちで、楽しく寄付を、楽しい社会貢献を。次回はそのコツを。
(2011年1月28日)

Vol.1「純な志つないで」

海文堂書店を継いだのが31才。本好きの人に大切にしてもらう本屋であることを理念とし、もう一つの柱として画廊を作った。その画廊は10年前に北野ハンター坂に移り33年目を迎えた。有名無名に拘らず、恵まれないけどいい仕事をしている作家を応援しています。それは美術の分野に限りません。1990年に40才で亡くなられた亀井純子さんから寄せられた1千万円を基に公益信託「亀井純子基金」を設立し、18年間で亀井さんからの元本はそのままで18百万円の活動助成を行った。すなわち、普通の市民の寄付が活動を支えてきたのです。一昨年10月に13百万円を基金とした一般財団法人「神戸文化支援基金」を設立し、昨年6月に亡くなられた西川千鶴子さんから1千万円の遺贈を受けました。 宮城まり子さん(「ねむの木学園」園長)が日経新聞の「私の履歴書」に、学園を設立してその資金に窮していた時、突然、ホテルを訪ねてこられた作業着姿のおじさんが、家内と娘と相談してと出された封筒に15百万円の小切手が入っていた。「昔の神様と違って、現代の神様は作業着を着てこの世に出ていらっしゃるのだな、そう思いながら後ろ姿を見送りました」と書かれていた。約40年前のことです。亀井純子、西川千鶴子さんだけでなく、多くの純粋な志をもった神様たちが神戸の文化を支えています。まもなく、二つの基金が合体して33百万円の基金となり、意欲的で挑戦的な事業に対し年間2百万円の活動助成を行います。申請の締め切りが今月末に迫っています。次の段階は公益財団となることです。文化は行政や企業だけが支えるのものではない。市民が支えてこそ「わが街」と呼べる。そうした試みを紹介していきたい。
(2011年1月13日)

2011.12 下した荷物と摘んだ荷物と

下した荷物と摘んだ荷物と

なにか体調がすぐれない日が続いている。 時はどんな人にも等しく秒を刻む。しかし物理的時間を越えた濃淡や強弱がある。 時間を追い越すように生きてきて、休止も余白もない常動曲のような日々。昂ぶった神経にうっすらと皮膜が取り付き硬化した疲れが取れない。
宮城県山元町の粉雪舞う浜辺で立ちすくみ、寄せては散る白い波頭が寸刻も同じ姿を止めず、じっと見ていると身に沁みて無常を感じさせられ、取り憑いて離れることがない。

「芸術文化における復興支援策」(災害対策全書)の執筆にはじまり、「1・17」「3・11」「アーツエイド東北」の立ち上げ、そして日本ではじめての市民メセナによる公益財団法人「神戸文化支援基金」の設立。「絵に生きる 絵を生きる」の出版と、息をつく暇もない日々だった。
 でもまもなくその一年も終わる。
皆さんの見守りと励ましと変わらぬ志縁によって、なんとかここまで来ることができました。そして、まだ見ぬ明日へと共に一歩を記したい。

68年の日々を振り返れば、様々に寄航した航跡が見える。下ろした荷物と積んだ荷物。その荷物の重さに老朽船の喫水線は危険域にあり、エンジンは喘いでいるが漂流したり、座礁するわけにはいかない。

2012・1・17は竹下景子さんの朗読とコンサートが神戸での最終回となる。竹下さんの1・17に取り組む姿勢から多くのことを学んだ。女優としてではなく、一人の人間としての佇まいの美しさを。それに応えようとしてきたが、ふり返ってどうだったのか。 この最後の1・17はホールを埋め尽くして感謝を伝えるとともに、困難な闘いの中におられれる東北の皆様へと思いを馳せ、3・11にこの会を「アーツエイド東北」へと繋いで行きたい。みなさんとご一緒に。

11月26日、27日には「こどもから考えるケアとアート 大震災を経て アートミーツケア学会2011」(京都造形芸術大学)でのクロストークに登壇する。ぼくには難しいテーマだが「こどもから学ぶ=純な志もとめて」といった話しが出来ればと思う。

12月3日(土)ラジオ深夜便の早朝4:00から45分間「明日へのことば」で話します。 西橋正泰アナウンサーとの対話、「震災とアート」と「絵に生きる 絵を生きる」の本についてです。

人と防災未来センターの企画展『3・11の声 1・17からの手紙』にビデオ出演しています。 12月20日(火)~2012年4月15日(日)(予定)人と防災未来センター西館2Fです。 聞き手は岡愛子さんです。

2011.11 芸術の秋に

芸術の秋に

夏が振り返り立ち止まり、その都度、大雨を降らしたり、地を揺らしたりしながら、ためらいがちに去っていく。昨日は蒸した。今朝は窓の微風が柔らかに肌に触れて秋の気配を伝える。メディアは震災・原発を伝え、米国・欧州の経済危機を伝え、世界に伝播していくデモを伝える一方で、世界は馬鹿騒ぎと能天気で成り立っていることも正確に伝えている。自らもその成員であることを証明しながら。
 各地で一斉にアートの花が咲く。これを百花繚乱という。皆が一斉に同じ方向に咲くから盛大な向日葵畑にも見える。だれも疑わないので百家争鳴にはならなく「みなさまごいっしょに」が、いささか気味がよくない。

馬車も通れば、電車も通る。   まことに人生、花嫁御寮。
まぶしく、美しく、はた俯いて、 話をさせたら、でもうんざりか?
それでも心をポーッとさせる、  まことに、人生、花嫁御寮。

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、    テムポ正しく、握手をしませう。
つまり、我等に欠けてるものは、 実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テムポ正しく、握手をしませう。

中原中也の「春日幻想」の後半部分から

成功例に学ぶ、トレンドを読む。みなさんご一緒に。

燎原(野原を焼く)のごとく津々浦々にアートイベントがひろがる。
夜空を飾る星々のごとく無数にコンサートや劇やダンスや映画や。
焼き尽くせば残らず、明るすぎれば星も消える。

木内博一さん(農業界のトップランナー「和郷園」代表理事)が語る
「農業にも構造改革が必要。激しい価格競争で、補助金の恩恵を受けているのは
結局は消費者だけです」(朝日新聞10月15日フロントランナーから)

アートを謳った燎原の火は、私たちにアートの力を体験させているのだろうか。
それを担う、アーティストたちは報いられているのだろうか。

松尾芭蕉が「奥の細道」で体得した「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」の不易流行は良く知られている。「ご一緒に」が苦手なわたしは「どうぞご勝手に」と「不易」に留まる。しかし現世的には「不易」は「不利益」につながりがちで世を挙げて「流行」へ向う。危うきかな。

尊敬してやまない加藤周一さんが最後に到達した「日本文化における時間と空間」で触れているのは、日本人は「今」を尊重する。「彼岸」を考えずに「此岸」を考える。即ち、現世利益。「集団内部の大勢」として現れ、「大勢順応主義」という日本人の社会的行動様式が導き出され、かくして「全会一致」が理想となり「村八分」がその理想を保障する。これはなにも伝統的な村落共同体に見られた現象ではなく、今日のビジネス社会にも見られる現象だろう。

加藤さんの、この洞察は日本の戦争責任と知識人の役割を考え続け、人間とは、日本人とはを問い続けた結論である。それは泡沫経済を生み、無用な公共施設を生み、無防備な原発を生んだ。原子力村、“やらせ”は日常の風景である。
ドイツでは反原発の巨大デモがあり、マドリッド(スペイン)で「反貧困」の巨大集会がある。いずれも数十万である。同じ日に日本では、さまざまなイベントを数十万人が楽しむ。

2011.10 等身大

等身大

後藤正治さんが私の本を評したなかに「不思議な感じを受けた。等身大で書いている」という言葉があった。画廊主が作家を書くのに「褒め上げる」「見下ろす」といった感じがなく、「誇る」「卑下する」といったこともない。長い付き合いだけど「友達として書いているわけでもない」視線が同じというか、自然体というか、等身大。これはうれしい評でした。
永六輔さんのこんな言葉にも出会いました。
ぼくは下町の少年というか等身大のままでいたいとずっと思ってた。ラジオは言葉の調べ。耳に馴染んだ声が、日常の中で今日も変わらぬ安心感を伝える。自分を大きくも小さくも見せない 等身大のメディアだからこそ出来ること。ラジオは言葉で生きる ラジオは日常ですよ。ご飯食べたり寝たりと変わらない位置でラジオをやってますから。
私にとってもアートや、アート・サポートや社会に関わることは、特別なことではなく食事のときに「いただきます」「ごちそうさま」ですという感覚でやっています。

捨て身のヒリヒリ

尊敬する季村敏夫さんが第29回 現代詩花椿賞を受賞されました。「ノミトビヒヨシマルの独言」によるものですが、うちのサロンでも朗読会があり、今年の1・17で竹下景子さんが一編を朗読されました。季村敏夫さんは神戸の文化風土の中では異端(私と同じ)に属しますが、山本健吉文学賞(2005年)小野十三郎賞特別賞(2010年)に続く受賞となりました。
受賞の言葉です。
いま、遠野を拠点として震災復興に向う岩手県をまわっている。受賞の知らせは、遠野を疾駆する銀河鉄道と並走しているとき届けられた。何と呼べばよいのか。喜び、むろんそうなのだが、遠野の闇の向こうの声を感じていた。京都の染織家にいざなわれ、岩手県大槌町の共同作業所、わらび学園など数箇所をまわる試み。野染めや編み物教室に参加していたときだった。
 ことばと身振りで、何ごとかを伝え、そのことを通じ、大切な何かをいただいた。こんな思いを抱きしめていた矢先の知らせ。作業所を出るとき、ひとことも発することの出来ないひとが、両目に涙を一杯ためていた。一瞬の出会いと別れを体験したあとの、受賞の知らせだった。
 ポエジーということ、詩の行為ということをもう一度総点検、再出発し、遠い向こうまで行こうとふるいたつ旅先だった。
季村さんは、私に受賞を伝える電話では「ひとことも発することの出来ないひとが、両目に涙を一杯ためていた」その女性の姿に号泣したと語り、私たちがいかに汚れた存在であるかを痛感したと続けました。「総点検、再出発」という言葉には根源から言葉を発するという「捨て身のヒリヒリ」を感じました。「捨て身のヒリヒリ」とは南輝子(歌人・画家)さんが私の本を評した言葉でもあります。

遺書を書くように

本の中で卯港さんに私が伝えた言葉です。そして「絵に生きる」は私にとってそのようなものでした。多くの感想が寄せられました。「一気に読んだ」「楽しかった」という反面「何度も本を措いた」「息苦しいまでの切迫感を感じた」と、様々です。
「魂のこもった文」「美しいものを求める血みどろの戦い」「命を削って書くという言葉が印象的。それは『そうでない作家を評価しない』ということでもあり、極めて厳しい」「美術に関わる人間としての原点にいまいちど気づかされた思いがしている」
「合わせて六人の方々の生き様、絵というものの存在意味を考えさせられた。六者六様の歩みが、この本の中で一つになり混沌としている」「仕事そっちのけで読み通してしまいました。島田さんの独特の語り口で聞かせていただいている気がして、読み終わると、しばらく、ぼうっとしてしまいました」
「強烈な個性の画家とつきあう画商の懐の深さを堪能。表現はほんの一部、言葉を生みだすこころの方がはるかに大きい。この大きさが御本を生みだしたこと、そのことを知る喜びに包まれている」
「この本の卓越しているところは、作家を描くことを通して、『時代』とその時代が抱えていた問題や希望や匂いまでもが描かれており、私のようにその時代を知らない者が作家の奥にある『歴史』をうかがい知ることができることです。それと同時に、この歴史をふまえてこの先何を考え、何をすべきなのかの問いがそこかしこに埋め込まれていることです。フィンセントの『君はどうしようというのか?』という問いかけに応えようとする島田さんの姿勢が、この本の底を流れているように思います。だから、1人ではなく5人の作家のストーリーを必要としたのではないでしょうか」
「常に身を削って表現に命を燃焼させている作家、そんな昔風の芸術家たちが今もどこかで人知れず絵に生き、絵を生きていることを忘れてはならない」「島田さんの捨て身のヒリヒリ」

これらの感想は市立、県立、国立の美術館の館長、前館長、学芸員、歴史研究家、作家、歌人、コレクターなどから寄せられた言葉の一部です。私信ですので名前は伏せさせていただきます。

2011.9 CHAIN OF ART

CHAIN OF ART

昨日、ようやく「CHAIN OF ART」を終えた。3月11日に端を発し、ここへ至るすべてのことは、私に起因することであり、傍観者たりえない。そのことがずっと背中の重い荷物として感じている。
呼びかけに応じて多くの皆さんの協力をいただき、約200点の作品、170万円を販売した。会期中に「アーツエイド東北」の代表世話人の一人である小川直人さんも来られ、現況を聞かせていただいた。準備段階から法人化の入り口まで来ているとのこと。法人化が実現すれば今回の売り上げを含み、200万円を贈ることが出来ると思う。その段階では公益財団法人「神戸文化支援基金」からの東北志縁は600万円(助成を含む)に上ることになる。まったくの市民ベースでの話しで。

ローカル線で

夏休みは断続的でした。以前は海外へ行くことを予定して夏休みを計画してきた。このところは休みを決めて、さあどうしようと予定を埋めていく。前半は普段出来ない仕事と山陰への小さな旅。そして「CHAIN OF ART」が一週間割り込んできて、寸断された夏休みになりました。その間、五日間を東岡崎市の伊津野雄二さんのお宅にお寄りし、東京の孫たちのコンサート(ピアノとバイオリン)と5歳になった英里夏の誕生祝い、
次男の島田陽が出展している東北震災と関連した建築展(六本木)、慶応病院へ知人のお見舞いなどで忙しくしたあと、お盆で込み合う中、東北新幹線で仙台入りし、そのまま仙石線で塩竃へ行き、そこから船で松島へ渡りました。石巻まではまだ不通のため代替バスで「矢本」へ、そこから石巻線で石巻へ入りました。バスで女川まで往復したあと、泊まるところがなく困りました。最後の一人として古い旅館の一部屋。
なんとか気仙沼に入りたいと駅前のタクシーに交渉するけど2万円とのこと、断念して朝早くに石巻線で小牛田へ行き、JR陸羽東線に乗り換えて一関へ。 そこへ向う車中で、通路の向かい側に座った上品な老人が 「どこからこられましたか?」「どこへいかれますか?」と丁寧に聞くのです。「気仙沼へ向います」と答えると 「それは特別な目的をお持ちなんですね」と言われました。

  ぼくが「がんばろう東北」というTシャツを着ていたのと気仙沼は観光コースではないからでしょうか。
各駅で待ち時間を使って町を歩きました。そこから大船渡線で気仙沼に入りました。


行ったことのない気仙沼にどうしても行きたいと思ったのはTVで見た映像の印象もありますが、雑誌「SWITCH」の“世界を変えた三日間”という特集の鮮烈な衝撃がずっと心に巣くっていたからです。その中に気仙沼出身の二人のシンガーソングライターの言葉と詩の純粋さに撃たれたのです。熊谷育美さんと畠山美由紀さんです。

畠山美由紀さんのすばらしい長文の詩「わが美しき故郷よ」に心を奪われました。

畠山さんはインタビューの最後を次の言葉で締めくくっています。
「普段なかなか故郷に対して『愛してる』なんていわないし、しかし、みんなそうだと思うけど、こころの中ではやっぱりそういうことなんです。そこで生まれ育った人にとっては、他に行きたいところなんてきっとないんですよ。私は気仙沼のために、自分がやれることを全部やっていきたいと思います。私にとって故郷はあそこしかないのだから」

気仙沼では食事をする場所を探すのも苦労しましたが、駅から港まで歩き、そこから船で大島に渡りました。泊まるところを探すのも大変でしたが、こうした予定のないひとり旅をしたかったのです。病み付きになりそうです。旅先で話しをしたり、少し触れ合った東北の皆さんは質朴さと上品さを兼ね揃えた人々でした。私は「逝きし世の面影」(渡辺京二)に書かれている江戸時代に日本に来た外国人を驚かせた当事の日本人の姿が、この地にいまだ色濃く残っていることに感銘を受けました。気仙沼から仙台にはバスで戻り、お盆で込み合う列車にこれも際どく席をとって帰神しました。

「絵に生きる 絵を生きる」のこと

この本の構想はずっと頭の中にあったのですが、具体的に5人を選び、全体の構想を固めたのが2009年1月7日でした。家人の闘病の真っ只中でもありました。その2ヶ月ほど前に北野に住居を移し、新しい書斎を得たのも「文士気取り」の背を押したのかもしれません。ようやく、ペンを置くことにしたのは2年半後ということになります。最後はふらふらで、ゴールに倒れこんだような感じで、もう書けないと思いました。  選んだ五人は、ちょっと類がないほど個性的で、その足跡をたどるだけで書き応えがあるのですが、どうしても統一した文体では書けないのです。音楽にたとえれば松村光秀は民族音楽、山内雅夫はバッハ、高野卯港は演歌、武内ヒロクニはロック、石井一男はグレゴリア聖歌でしょうか。  原稿段階で、作家ないし作家夫人に読んでもらうわけですが、反応は微妙なものがあります。生身の人間を書くことの難しさを思い知らされる日々でした。
 この本は、講談社の学芸出版部が出版を検討して下さったのですが、こうした「列伝(オムニバス)」は販売が難しいのと、編集者の移動で先送りになったので、気心の知れた風来舎の伊原さんに御願いしたのです。おかげで満足できる仕上がりになりました。  いまは、一人でも多くの方に読んで頂きたいです。無名の画家を、無名な書き手が、無名な出版社から自費で出すのは「孤島から作品をビンに詰めて海に流すような心境」ですから。

窪島さんありがとう

8月28日 、風月堂サロン講座で窪島誠一郎さんが「神戸に生きた画家たち」の肖像という講演をされました。 窪島さんの話しは最近、円熟味を増してとてもいいのです。そして本題には入るまえに「今朝、信州から出発する前に一冊の本が届いた」といって取り出したのが私の新著だったのでドキドキしました。勿論、私は出席するとも言っていませんし、本は送っただけで一切話をしていないのですが。「とてもいい本です。島田君に電話して今日、少し持ってきたらと言おうと思ったけど、自分の本が売れなくなるからやめた」と笑わせながら、あとがきの一部を読み上げてくれたのです。
窪島さんが話そうとしたことと、私の思いが重なっていたということです。

「絵に生きる 絵を生きる」の作家たちの展覧会

■武内ヒロクニ 9月10日~21日   ギャラリー島田BF1

■高野卯港   9月24日~10月5日 ギャラリー島田BF1

■石井一男   11月5日~16日   ギャラリー島田BF1

■山内雅夫   12月17日~28日   ギャラリー島田BF1

□石井一男展 12月5日-14日 ギャラリー愚怜

以下は 銀座・ギャラリー枝香庵

□松村光秀   10月11日~18日

□高野卯港   11月30日~12月7日

□武内ヒロクニ 2012年2月7日~14日

2011.8 時に句読点を打つ

時に句読点を打つ

今年に入ってから、自分では制御できない大きな導きによって無意識のなかで毎日毎日を決算していくように、時に句読点を打ってきた。それらが連なったときに文体が現れ、表現をなしてきた。自分がなすべきことへの明確な意識と、名状し難い意識下の世界が会話しながら静かに私を導いている。
昨年末に「芸術文化による復興支援」について書いて震災のことは卒業したと思ったら「3・11」が起こった。年初から始まった神戸新聞の「随想」執筆は急遽、東北支援に書き換え、仙台に入った。財団は公益財団法人としての認定を受け、「アーツエイド東北」が誕生し、神戸の経験が東北で、さらに発展して出帆しようとしている。

帆 破れ
櫂 折れても
いざゆかん復活の海へ
海に生きる我は      伊津野雄二(彫刻家)

すべては私の小さな書斎の小さな机の前で、奔流のように押し寄せるイメージを呆然と眺めながら、全てを流れるに任せて、最後の確信が掌中に残るのを待って、ようやく動き出した。
「東北3・11」からちょうど4ヶ月目にあたる日にこれを書いている。

7月7日の「志縁パーティー」は、そうしたことの一つの節目でした。
雨男の本領を発揮してしまったが、170名が北野ガーデンに集まって下さった。単なる「お祝い」であってはいけないと思っていました。そこで、同じ時間を過ごす皆さんに、この財団が目指すものを、そしてそれが「アーツエイド東北」へと繋がっていることを体感していただきたいと願っていました。みなさんはどのように感じられたのでしょうか。

断崖に身をおどらす

津高和一先生の生誕100年展を開催中です(20日までです)
津高和一先生との出会いは1985年に遡ります。そのときの初個展に足立巻一さんが文を寄せて下さいました。(自筆原稿を展示中)

  原野を疾駆(はし)り
  鬱々樹木どもの静謐にあきたらず
  身をもって断崖に身をおどらす
  野獣がある      25才の津高和一の詩「火」より

津高和一は詩人であった。そこから転向した絵画においても一貫して 流れているのは純粋な初心の魂である。  足立巻一

以来、20回に及ぶ津高和一展を開催してきました。
「身をもって断崖に身をおどらす野獣」。どこにも属さず、前衛という陣営にも属さず孤高たる前衛であった津高和一先生の初心の魂は四半世紀にも及ぶ先生の作品とのお付き合いによって私の魂を染め上げたのかもしれない。

絵を生きる

一つの峠を越えてやれやれと眺むれば、少しの下りもなく、次の峰が見え、その向こうにも高峰が続く。
 8月中に書き下ろしの本を出さねばならない。ほんとうにいつまでかかっているのか。最初のタイトルは「私の愛する異端・反俗の画家たち」でしたが、あまりに俗なので、編集者の伊原秀夫さんから「絵に生きる 絵を生きるー5人の作家の力」(仮題)を提案されています。 松村光秀、山内雅夫、高野卯港、武内ヒロクニ、石井一男の五人の作家について、作品論を超えて、作品が生まれてくる背景、生き方、私との出会いや、確執に至るまで、絵と真剣勝負で生きる姿を描き、結果的に作家と濃密に関わりながら絵を生きる私を書くことに繋がりました。
 卯港さんは既に逝き、私も含めて明日を保証されている作家はいません。取り上げた作家たちは、いわば“うちの作家”と言ってもいい関わりの中で長い付き合いになりました。それが、私が書かねばならないと決意した理由です。生きている作家のことを書くのは、本当に難しいことです。書かれる方には必ず不満が残ります。一人ひとりの評伝を纏めるには私は力不測なのです。 疲労困憊の中で集中して詰めをやり切れるのか、楽しみでもあり不安でもあります。

2011.7 「時間を追い越すように・・・」

「時間を追い越すように・・・」

「1・17」「9・11」「3・11」は忘れることの出来ない数字だけど、うれしいにつけ、悲しいにつけ、人それぞれにメモリアルの日はある。生と死は親しい隣人である。私の年令になると近しい人との別れは日常のごとくあるといってもいいほどだ。 それにしても、「3・11」からの日々が起こした心のざわめきは哀切と虚脱が綯(な)い交ぜに交錯し、奔流のような思いが時間を追い越すように溢れ出し、昂ぶった神経の疲労が筋肉に浸み込んで取れない。書いている途中に季村敏夫さんから電話が入った。宮城から帰って、魂の深奥から揺さぶられ、睡眠も断続的だと語った。そして悲しみの只中にある人々がいかに崇高であるかとも。
自分自身の憂いはなにもなく、自分がやるべきことが一直線に見える明確な意識と、その緊張に悲鳴をあげる名状し難い意識下の世界とのせめぎあいに身体が悲鳴をあげている。これでは持たないと、硬直した体を宥めようと、朝5時には昇る朝日を遠く大阪に望み、肌に柔らかい風を感じながらゆっくりとヨガの深い呼吸を繰り返す。

昨年末からギヤラリーを改装し、新たな気持ちで、一つ一つ丁寧に取り組もうとしている。多くの新しい作家さんにも登場いただき、それぞれが「場」に挑むという、力のこもった展覧会が続いている。
二年がかりで書いてきた画家列伝も、いよいよゴールが見えてきた。伊原秀夫さんの「風来舎」から8月末には刊行すべく、最後の追い込みである。そこへ持ってきて、4月1日に 公益財団法人「神戸文化支援基金」が認可を受けて船出した。全国でも初めての市民メセナによる公益財団法人である。同封した7月7日(木)の「志縁」パーティーの準備。「アーツエイド東北」も仙台を拠点として準備が進んでいる。それらが怒涛のように押し寄せてきている。
そうした総てが、なにか大いなる意思に導かれているようで制御することが出来ない。その疲労感を倍化させているのが、どうしようもない、政治の混迷、原発が明らかにした科学技術信仰やジャナリズムーの虚実。
それらを黙認あるいは加担してきたわたしたち市民。そうしたことへの苛立ちが神経を磨耗させ続けている。

「アートエイド東北」の発会について

4月18~20日に仙台入りして、文化関係の皆様とお話をしてきました。それは、阪神大震災を経験した者としての考え方をお話しただけで、いわば小さな種を蒔いたのです。それが2ヶ月の間に、見事に芽を出し、しかも大木として育つ予感がするほど見事な取り組みです。うれしいの一言に尽きます。この通信が届くころ、6月22日(水)に仙台メディアテークで発起人会が公開トークを開催されます。私は前日に仙台入りし、この会の前半のみ参加し、神戸大学での講義のために空路、伊丹に戻ります。ほんとうにうれしいです。

「志縁パーティへのお誘い」

純な志が繋がった公益財団法人が誕生しました。
亀井純子さんの遺贈に端を発した「文化支援」の種が、多くの皆様のご協力で、多くの意欲的な活動を支え、さらに大きな基金として成長し、芸術文化活動の助成に特化した基金としては全国で初の公益財団法人として認可されました。
志縁=SHIEN=支援と思いを重ねながら、皆さんと共にお祝いの時を持ちましょう。
亀井純子さん、西川千鶴子さん、そして島田悦子をはじめ多くの亡くなられた方からもご寄付を頂きました。そうした方々とお出会いをする気持ちを込めて七夕の日を選びました。北野ガーデンの全面的なご協力で、素晴らしいお庭、美味しいお料理、おもてなしは若いジャズメンたちが演奏いたします。
今、準備が進んでいる「アーツエイド東北」からゲストとしてお招きし、ご報告、ご挨拶をしていただく予定です。是非、お誘いあわせのうえ、お楽しみ下さい。

●「志縁 SHIEN パーティ」
● 7月7日(木) 18:00 開場 18:30 開宴  会費¥5000
● チケット販売&ご予約は ギャラリー島田まで

2011.6 「東北へ行ってきました」

「東北へ行ってきました」

4月17日の夜行バスで仙台へ入り20日まで文化関係者とミーティングを重ね、二日間にわたり北は七ヶ浜町、南は福島県境の山元町までつぶさに案内してもらった。沿岸部から仙台東部高速道までの地帯は津波により破壊しつくされ、とりわけ福島県境に近い地帯は瓦礫の撤去も放置されたままで、おりしも霙(みぞれ)交じりの雨の中、破壊された堤防に土嚢が積まれ、道沿いのガードレールは吹き飛び少し離れた家に帯のように巻きつきその横の工場建屋は飴細工のように曲がった骨格だけを残して瓦礫だらけの地にうなだれていた。遥か沖に見える横一列の白波が津波の再訪のようにも見え、海沿いに見事に咲き誇る桜木は「鳥の海」という明媚な名前に相応しいが暗鬱な低い空のもとの黙示録的風景には足が竦(すく)んだ。東北は残された者と失った者とに引き裂かれています。昨年9月頃から「災害対策全書」(兵庫21世紀創造推進機構)に寄稿を求められ「芸術文化による復興支援策」を纏めた時には、勿論、予想もしなかった。有効であると信じて書いたからには、行動せねばならない。許可を得て、広報したら大きな反響があった。立ち上げたばかりの公益財団法人「神戸文化支援基金」を通じての支援を決め、4月5日にアート関係者の集まりをもち、仙台入りした報告会を5月3日にもちいずれも50人を超える参加があった。
アート・エイド・神戸(1995~2002)での経験を東北で生かす文化支援のカウンター・パートを探すこと。それは仕組みや事業のことではなく、考え方のこと。
「東北のことは東北の皆さんが決める」
亡くなられた方、行方不明の方合わせて2万5千人。途方もない数です。その親類縁者は10万人を下らず、知人友人を亡くした方まで数えれば気が遠くなります。哀しみが堆積してゆく。

わが美しき故郷よ・・・・
がまんつよく、しんぼうつよく・・・
恥ずかしがりやで
決して自分のことを多くは語らぬ人々よ
かならずひとのことを心配し、なぐさめを口にする人々よ

横山美由紀(シンガーソングライター・気仙沼)さんの詩の一節です。
被災地・被災された皆さんが文化の力で立ち上がってゆく。その旗をあげて下さい。そのことにお金でも知恵でもプロジェクトでも応援しますと心を込めてお伝えしました。すでに多くの文化支援活動が始まっています。私がやろうとしていることは屋上屋を重ねることにはならないのか、「支援の押し付け」「神戸方式の押し売り」あるいは単に「目立ちたがり」ではないのかと、とられかねない振る舞いです。他の支援とどこが違うのでしょう。
① 国や行政による震災復興基金による助成は長期にわたり制度的なもので人体になぞらえれば「骨格」。企業メセナ協議会ルートによるものは企業からの寄付でプログラム助成で「筋肉」、アートNPOリンクによるエイドはアーティストとその活動によるもので「動脈」にあたります。私の提唱する「アート・エイド・東北」(仮称)は緊急・短期のもので、多くの無名の市民や組織化されていないアーティストによる、現地のニーズに合わせてメリハリをつけて即断即決型で毛細血管に例えることが出来ます。
皆さんが文化の力で立ち上がってゆく姿が大切です
お会いしたキーパーソンの人々から「勇気」をもらったと言葉をいただきました。
ほどなくして「アーツエイド東北」(仮称)の準備が始まったことから考えて、その言葉をうれしく捕らえても間違いではないと思います。「アーツエイド東北」という「旗」が上がろうとしています。

旗」の語源は
旗のもとに人々が集い、歩くことだという。
ならば、まず旗をあげて出行する
旗のもとに集まる人々の声を聴く
途上にある者たちに地図を描く

新井敏記「SWITCH」編集長

県立美術館の「カンディンスキー展」のオープニングに行ったあとアトリエQ2での新井さんの写真展の最終日だったので足を伸ばした時、展示された写真の間に、新井敏記さん愛用の万年筆の文字で書かれたこの言葉に天啓のように出会いメモを取った。そこにおられた本人に聞くと白川静さんの言葉(最初の2行)を受け取っての新井さんの言葉だという。 「アート・エイド・東北」の思いがここに凝縮されている。兵庫・神戸からだけでない支援の流れが必ず出来ることを確信しています。
分かち合う心で
東北の皆さんこそ愛する美しい故郷のために出来るだけのことをしたいと、切に思っている。でも、アート関係者の皆さんも被災者であり、活動が出来ず、職や収入を失っている。 そこへ財政的な支援を届け、そのニーズに応えて行きたいと思っています。

自分がこの問題に「自分の気持ち」を納得させるためだけに
向き合おうとしていることに気づかされました。
後方支援するにしても、現地に行くにしても、向き合うべきは被災者の痛みです。
賀川督明(賀川記念館 会報「ボランティア Vol94」より)

何事も解決できない事態を目の当たりにしながら、ありきたりの言葉は発せられない。
もどかしさを胸に抱えて、自問することが「分かち合う」ということだと思います。
大切なことが生まれるには孵化と揺籃の時を持たねばなりません。今はその時です。

2011.4 「隣り合わせ」

「隣り合わせ」

3月11日に寝入ってずっと悪夢を見ていた、となって欲しい。
東北・関東地方に激震災害が発生しました。刻々と事態の深刻さを増しています、’95年の阪神淡路大震災の規模と比較にならぬほどの規模です。当時を思い起こしても、日に日に死者の数が積みあがっていくのに呆然としたものです。石油コンビナートの炎上、原子力発電所の被害拡大が憂慮されます。自然災害ですから、防ぎようがないこともありますが、やはり私たちの日々の営みに心を向けなければなりません。私たちの体験の日々、自然に対し、いかに人間は傲慢であったか、謙虚に生きようと肝に銘じたはずではなかったのか。
阪神大震災の一ヶ月後にアートの力で復興に立ち上がろうという「アート・エイド・神戸」という運動を起こしました。出版した記録集の冒頭に「近代技術への無条件の安全神話は、自然に対する驕りや、人間の油断にちがいない」と書きました。今また、安全神話が崩壊しました。もともと安全神話などあってはならないのです。(注)
今、私が68年の日々を歩んでいることも不思議といえば不思議です。47歳での頭部手術、53歳での大震災をくぐり、家内や、多くのかけがえのない、私より若い人々を見送りました。全ての命は有限であり自然の威力の前に人は無力で、死は私たちの隣人です。16年前には、私たち自身が当事者だったわけですが、今回は、TVや新聞報道で知る立場です。土曜日の三宮は賑わっていました。不思議な光景に思えました。この16年の間に、さんざん防災のことが語られ、教訓が言われました。しかし、自然の猛威は、それらをあざ笑うように圧倒的な破壊力を見せ付けています。
(注)「蝙蝠、赤信号をわたるーアート・エイド神戸の現場から」(神戸新聞総合出版センター)1997年刊。

人が人を殺してはいけない

震災で私達が感じた「ユウフォリア(至福感)」は、数ヶ月で現実には挫折、消滅したにしても、あのとき私たちが垣間見たビジョンは、「共同臨死体験」として私たちの歴史を確実に回転させるはずでした。それは、生きているだけでも幸せだ、自然とも人とも共に存在することを受け入れることです。しかし、実際には、“喉もと過ぎれば熱さ忘れる”の例えとおり、さらに競争・成長・欲望社会へと向かい、格差とストレスに溢れ返っています。 私が関わっているアートの世界とは、それに加担しないで、しなやかに、柔らかに、豊かに生きることを伝えることです。今、直面しているこうした危機に対し冷却水のような役割かもしれません。自然は人知を超えると識者はいいますが、それを学ばずして震災の教訓もないものです。さらに言えば、自然相手ではない現実社会だって今の人知は悪化させることはあっても、まともに変えることは出来ないのです。自然の前に脱帽して恥るのなら、この現実に対して恥じてこそ識者というものです。比喩的に言えば、無理を重ねた原子力発電で炉心溶解の危機に直面していますが、私たちの日常が炉心溶解を起こしていると思えてなりません。困難な立場にある皆さんを見殺しにしてはなりません。これからは、人が人を殺すことになるのです。これからは長丁場です。 日本全体が痛みを分かち合い、共に歩むことを誓わねばなりません。でも、一月もたたないうちに、またぞろ消費社会、欲望社会が復活します。日本人の正体が顕になるそこからが、何を学んだのかの本質が分るでしょう。 これからの被災地の復旧・復興にいたる長い過程での「危機」は希望を失うことです。困難に直面する人たちの心に「すべての地に新しい陽は昇る!」というメッセージが届くまで、それぞれが出来ることを「Do Something」しましょう。まずは募金、そして私たちはアートの力で出来ることを探し取り組みます。出番はもう少し先になります。相身互いの恩返しです。

柔らかに生きる

柔らかに生きる
「神の慮り」=神のおもんばかり
大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうと富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の称賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった
人生を楽しもうと
たくさんのものを求めたのに
むしろ人生を味わうようにと
シンプルな生活を与えられた
求めたものは何一つとして
与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられていた
私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ
(作者不詳)

石井一男さんのご縁で知りあった長瀬泰信さんからいただいた著書「清清しく、やさしく、丁寧に、力強く生きる」の表紙見返しに書かれていた言葉です。 私も勿論、書かれているような欲を人並みにもった生き方をしてきました。でも、多くの試練を経て、何かに導かれるように生かされているのだと思うのです。組織から離れ、自由を得た団塊の世代と、その上の私たちこそ、生かされてきたことに感謝してご恩を世間に返さねばならない責務があるのです。

2011.3 「神戸ビエンナーレ 再々」

「神戸ビエンナーレ 再々」

 前号で、神戸ビエンナーレの訳の分らない対応について書きましたが、当事者から、一応の妥当な決着をみたとの報告を聞きました。それは軟着陸といえると思います。私自身が当事者でないので、相変わらず奥歯にものが挟まった言い回しで申し訳ないのですが、お許し下さい。

雪化粧

 「ちいさく踊りながら、始まりの見えない上の方から空よりも雲よりも、もっとすぐそこで生まれたばかりのような雪の子どもたちが、ためらうように踊るようにじゃれるように降りてきます。裏山は雪化粧、緑の木々は雪帽子」とメルマガに書いたのが2月11日。その三日後。ぼくは久しぶりに休みで、暖炉の火を眺めながら本を読んだり、時間が許すときに少しずつ見ている加藤周一さんの「日本 その心とかたち」(DVD全5巻10集)を見たりして昼前にギャラリーに顔を出し、少し仕事をしました。その頃から雪が降り続き、じゃれるどころではなく、急ぎ足で、白い絵具をドバッと地上に重ねるように降り積もり始めました。 街に出てようかという思いを捨てて、ギャラリーに置いていたアウトドア靴に履き替えて我が家への急坂を踏みしめるように登ったのでした。なにしろ最後の数十mが北野きっての急坂難所ですから。久しぶりの外食も諦めてまた、おでんと讃岐うどんにとろろと卵をかけた夕食を済ませ炉辺読書に戻りました。みずのわ出版の柳原一徳さんが送ってくれた きれいな本を読み始めました。

もっと気楽にお願いします

 本のタイトルが「もっと気楽におねがいします」なのですが、この通信の読者から、私に言われているような気がします。はい。気楽にね。著者は秋野癸巨矢(きくし)さん。大好きな日本画家・秋野不矩(ふく)さんの長男で2008年11月7日に亡くなられたのですね。そのお名前で閃くことがあり、驚きました。乾千恵さんが最近出された絵本「たいようまで のぼったコンドル」(福音館「こどものとも」)の絵が秋野亥左牟(いさむ)という変った名前で記憶にあったのだけど、不矩さんの次男、即ち秋野癸巨矢さんの弟だったのです。乾千恵さんはギャラリー島田での2004年の坪谷令子さんの個展で紹介されて、乾さんの書(福音館「月・人・石」)の素晴らしさに心を打たれたのです。障害を持っておられて来ていただくことに躊躇するこの建物の構造のせいもあって、もっぱら文通なのですが、乾さんの未刊行のものも含めて読ませていただいているのです。10年がかりで完成したアンデス・インディオの少女とコンドルとの愛の物語をアンデスの子どもたちに読ませたい、絵本を贈りたいというプロジェクトに私も協力しているのです。そこに「もっと気楽におねがいします」の本が届いたのです。この標題は、病床にあった癸巨矢さんが看病疲れを心配して、友人に頼んで奥さんにメールした言葉に依っています。

初めてのギャラリーオークション

 ささやかな目標でしたが、おかげさまで順調に楽しんでいただき、目標を十分にクリアーできました。普段来られない方との出会いがうれしかったですね。最後の財団法人「神戸文化支援基金」ためのチャリティーオークションも目標、30万円のところ¥657,500の売り上げをいただきました。その全額を基金に寄付いたします。また会期中にお客様の中須穂積様からギャラリー島田を応援する意味でと、美術部門への指定寄付百万円を財団の口座に振り込んでいただきました。ありがたいことです。