「みんなこんなにアートが好きだったの?」
世の中、アートイベントのまっさかりである。「ビエンナーレ」「トリエンナーレ」「アートフェスティバル」「国際芸術祭」「アートウィーク」など枚挙にいとまがない。そうした機会を求めて多くの人がアートに触れ合う。瀬戸内国際芸術祭は新しい芸術祭の試みでしたが、最初の予想、30万人をはるかに超えて90万人ともきく。船やバスや徒歩や、さらには泊まったりと、広い島巡りで大変なのに。新しい施設を作るのではなく、自然の環境や歴史的建造物や廃校、廃屋、住宅、などを利用しながら、地域の人を巻き込み、お客の参加を求め、その土地が刻んだ時間、営み、風土、即ち地霊(ゲニウス・ロキ)との対話を重視した作品を提示するなど、新しいアートの役割が見直されてきたように思います。
①観光 ②街づくり ③芸術振興 ④経済効果 ⑤国際交流などを目的として、所有するから体験へ。残るものから消えるものへ。出会い、つながり、発見することの媒介として生活の中でのアートの変質が加速されています。
アートを歩く
「別府混浴温泉世界」の報告会をうちのサロンで行い、地元からは「丹波篠山まちなみアート・フェスティバル」「船坂ビエンナーレ」「有馬路地裏アート」の関係者に来ていただいて報告と意見の交換を行った。これらの三つのイベントを丁寧に見させて頂いた。ぼくは車は運転しませんし、誰にも気を使わせないよう、徒歩、電車、バスを駆使して、そっと行って、自由に見るのが好みです。 「丹波篠山まちなみアート」は(公)亀井純子文化基金の助成事業です。 ここは国重要伝統的建築物保存地区「河原町妻入商家群」を中心とした民家を展示に使っています。地域にゆかりのある作家36名と2名のゲスト作家、様々な関連企画が、ちょうど秋の観光シーズンの入口である9月中旬に設定されています。知り合いの作家は5名。この地区の中に丹波の街づくりと、このフェスティバルのリーダーである中西薫さんの丹波古陶館があり、地区そのものが文化財で、見やすく、歩きやすく、安定感があります。美しい町屋と響きあう作品を作家は用意することになります。ただ、その安定感が今後の課題になる気がします。それは地域ゆかりの作家の他に、もう少し外部のゲストを増やして、響きあわない、すなわち不協和音を発することによって、かえって伝統文化を意識させるなどの破調を期待したいと思いました。別の一日を船坂、有馬へ遊びました。阪急・夙川からバスで船坂橋まで、そこから今春、137年の歴史を閉じた船坂小学校の校舎を使ったビエンナーレ総合案内所と展示室を見て、湯山古道コースへ。一心庵で昼食。そのあと棚田エリアをゆっくり。知り合いの作家は4名。バスで近づいていくときに茅葺屋根の古民家に派手な布団が干してあるなと奇異に思ったのが西村正徳(来年ギャラリー島田で個展予定)の「BAN-SOKO HOUSE~再生~」でした。船坂は有馬までバスでわずか10分。有馬温泉の湯船をこしらえたので「舟」。林業、養蚕、農業の小さな村落で、穏やかな田畑が広がり船坂川と大多田川という小さな川に挟まれています。いたるところに「へびにご注意」の看板。地の人には不要、よそ者への配慮。
このビエンナーレの特徴といえば、住民の発意ということです。その手作り感が心地よい。観光とか経済とかいう前の、あたりまえのことの大切さ「つながる」(Relationship)がテーマ。3時間ほど逍遥しましたが、気候も良し、天気も良し、小ぶりな作品が船坂という居場所を得てやすらいでいる。小学校の校舎の懐かしい記憶。昔、軒先に吊り下がって回っていた風鈴を思わせる不規則に回る作品、乳白の中で浮かびあがってきた何かを語っている顔。閉じられた教室から聞こえてくる子供たちの歌声と窓に映る影。空き地に立ち上がった土の塔。
地はどこにでもあり、同じ地はない。/ 地は立ち、「地」から「土」になる。
船坂の土が、船坂に立つ。ここに。 黛真美子「存在―立つ」に寄せられた言葉。
ススキとセイタカアワダチソウの群生する野に掘られた大きな穴。きれいに刈り取られて足を踏み入れるのも憚られる田畑。隣の畑仕事をする人に「入っていいのですか?」と聞いた。帽子からのぞいた優しい笑顔は若い人のもので「いいですよ」。そこに穴居住宅。入って寝転んだ。秋の爽やかな風と、ゆったりと流れる時間。道端に置かれている何気ないもの、ビニールシートに覆われたものまで作品かなと見つめてしまいます。これでもかというフルコースの満腹料理をめざすアートイベントとは違う、かと言って素材だけを売り物にした郷土料理でもない、上等なコンソメスープの一品だけを味わった気持ち。
有馬へ
一時間に一本だけのバスを待って、有馬の「有馬路地裏アート」へ。こちらは観光客で賑わっている。案内所で「有馬路地裏アート」のマップをもらう。こちらは3月頃から続いている。有馬観光協会が主催しているのだけど、終了時期が書かれていない。残念ながら賞味期限はとっくに過ぎていますね。自然のままに風化し、朽ちるのも良しですが、それは作家の意図とも思えません。作品が気の毒、それを見て歩く人(地図片手の3人に出会いました)は、もっと気の毒ですよ。メインテナンスしていただくか、撤収した方がいい時期ですね。長い、一日の締めくくりは「太閤湯」での一風呂。暮れていく市街地を見下ろすように走る直通高速バス(新神戸行)を一人貸しきりで帰ったのです。
社会風習と個人概念の対立
これがコンサートのタイトルだから驚きます。ぼくの信条にぴったりですね。
尊敬する友人のS氏に誘われてシンフォニーホールでの大阪交響楽団(大阪シンフォニカ)の第150回定期演奏会に行ってきました。久しぶりに感動しました。この日の指揮者、キンボー・イシイ=エトウがS氏の親友なのです。
プログラムも玄人好みというか地味というか、意欲的なものでした。
ボーン・ウィリアムスの小品“夕暮れ”。バルトークのバイオリン協奏曲No2と、ニールセンの交響曲第5番。どれもヨーロッパが第一次大戦で、混乱し疲れ切った時代、そして瞬く間に、第二次世界大戦に突入する世の中の空気に敏感に反応した曲です。
カール・ニールセン(1865~1931)はデンマークを代表する作曲家でシベリウスと同世代です。キンボーにこの曲を教えたのは、サイモン・ラトル(ベルリン・フィル指揮者)。
「人類が決して避けることの出来ない葛藤、対立、そしてそれらの摩擦による悲鳴!!
人間は狂ってしまわないと、戦争には至らないんだ。そのメッセージは、この軍隊用の小太鼓の使用自体よりも、同部分の和音構成のなかに盛り込まれているんだ。聴こえてくるだろう、ここの部分」と1ページずつ熱く語ったそうです。
シュスタコーヴィチを先取りしたような緊迫した和音と旋律を突如、打ち破る小太鼓の連打が客席なかほどの出入り口付近で打ち鳴らされる。時代の不安と戦争への予感。魂が入った、知的でありながら燃えるような名演でした。拍手鳴り止まず。
キンボーのお母さんをS氏が紹介してくれました。ウィーン在住の日本人。「奇蹟の画家」を良く読んでおられて、私のことを良く知って下さっているのに驚きました。キンボー氏は、今年の齋藤秀雄メモリアル基金賞の指揮部門の賞を受賞。
昨年も選ばれながら辞退し受賞者なし。今年、再び推されて受けたのですが、その賞金500万円を、青少年オーケストラのためにポンと寄付されたことをS氏から聞きました。