己が長を語ることなかれ
ベッドの視線の向こうに隣接する「旧オーセン邸」の20mの大樹が見える。窓にはカーテンがなく目覚めれば季節と時刻の移ろいを感じる。時には半月が、時には星々が。時には穏やかな、時には激しい風の在り処を枝々が告げている。5時までは極力起き上がらぬように新しい日の始まりを水平思考する。やおら起き上がり書斎へ座る。体が目覚めるまで、書棚から詩集や、未読の本を取り出したり、目を通さねばならぬ書類を読む。耳を澄ますと、透明な時間が微かなサラサラという音をたて、ぼくの中にある滓(おり)が、少し+づつ流されていく。
このところ美術館通いが続いた。
逸翁美術館(池田市)で「芭蕉と蕪村」という展覧会を見た。 与謝蕪村については高野卯港さんの「春風曲」から、ずっと繋がってきた。毛馬の美しい堤も2度歩いた。卯港さんの画集「夢の道」にもおさめ、画集出版記念展とともに旅してきた。卯港さんが青年期を過ごした大阪、毛馬は与謝蕪村の古里である。蕪村は江戸中期に毛馬村に生れ、18才のころ江戸に出て再び古里に帰ることはなかったが、晩年に「春風や 堤長うして家遠し」を含む「春風馬堤曲」で古里を偲んだ。23才の時の日記に「いつか、きっとここが、ぼくの舞台、小説の舞台になるであろうと思った。なつかしい地、ぼくの心の里」と書き、59才で亡くなる直前に、この言葉どおりの作品を残した卯港さん。蕪村が遊んだ毛馬付近の淀川の高く長く美しい堤で卯港さんも遊び、複雑な生い立ちで、古里に戻ることのなかった蕪村に卯港さんは自分を重ねていたことは間違いない。蕪村の俳壇デビューが23歳、自由詩のごとき豊麗な叙情歌曲「春風馬堤曲」が生まれたのが蕪村62歳(1777年)。そして複雑な母への思い。卯港さんについて、しっかりと書きたいという思いが蕪村へとぼくを誘う。
逸翁美術館の入り口を入ると蕪村の「芭蕉翁立像図」が対で並んで迎えてくれた。
一つが俳諧師としての和服。もう一つが唐服を着ている。そのどちらにも、
人の短をいふことなかれ、己が長をとくことなかれ、
もの言えば唇寒し秋の風 松尾芭蕉という句が書かれていた。
恥ずかしながら、「もの言えば」は諺だとばかり思っていた。「人の短」「己が長」の諌めは耳が痛い。
しばしば、僕の書くことは「己が長」に傾いてないか。そのように言われたこともある。
芭蕉と蕪村の関係も興味が尽きない。俳諧の世界での両者の隔たりは約50年。「漂泊(旅)の詩人」(芭蕉)と「籠居(定住)の叙情詩人」(蕪村)を称されながら、実は、その逆であり、芭蕉の旅はいつも古里・伊賀で暖かく迎えられる旅であり、蕪村こそが永遠の故郷喪失者あることなど、まさに興味は尽きない。嵐山光三郎などは「悪党芭蕉」(新潮社)を書いて、聖人化に異を唱えている。
逸翁とは阪急電鉄・阪急東宝グループの創業者、小林一三のこと。そのコレクションも素晴らしい。
謎はどこに
春のある日は、大阪国立国際美術館で「ルノアール 伝統と革新」「荒川修作 死なないための葬送」を、そのあと、京都市立美術館で、飾りつけ中の「Ge展」(現代美術展)、そして没後400年「長谷川等伯展 生きることはかくも切なく、美しい」(京都国立博物館)を見た。「等伯展」も協力、逸翁美術館とあった。どこも人が溢れていて、かくも文化が大切にされているのかと、慶賀したいが・・・・・????
ルノアールにおける「革新」とは、印象派という当時の「前衛」から出発し、伝統へ回帰しながら、技法上の革新をへて「独自の美」へと歩んだということらしいが、それは新しい世代へ切り拓いて見せたという意味での「革新」ではないようで、いささか誇大広告だ。等伯展の「生きることはかくも切なく、美しい」も小説の帯のコピーだ。この頃、たっぷりと先入観を与えた上で、これでもか、これでもかと過剰に説明する。その商魂たるや、我々をはるかに凌駕するものがある。
片や、同じ大阪国立国際美術館の「荒川修作 死なないための葬送」を見に行くと、会場には20個の棺桶のような作品が壁に立てかけられていたり、床に置かれているだけ。説明書きもキャプションもなにもない。入り口にパンフレットがあり、それを読めば13点にはタイトルが付されていて作品の意味を暗示しているが、会場には何も無い。この作品の背景や意図については分かりようもない。ネットで丁寧に調べてみたが、「貴重」とか「迫力」とかの言葉はあるけど、踏み込んで書いている人は見当たらない。結局は、作家の意図は誰も分かっていないのだろうか。ならば、多くの人にとっては「理解不能」、その手がかりさえもないと言える。作品のタイトルは「惑星に乗ったトンボー氏」とか「抗生物質と子音に挟まれたアインシュタイン」とか面白い。作家が付けたタイトルを表示しないという意味が分からない。多くの人が、作品の前で「謎解き」に楽しんだだろうに。私は某美術館の評価書に、そのことを指摘した。「過剰」と「不足」。それは逆ではないのか。