「ゴッホの墓参り」
野口さんの便りに触発されて、ぼくの墓参りを思い出しています。
1992年1月のことでした。サン・ラザール駅(印象派のモネの絵を思い出しますね)を12時40分に出発。田園地帯を走ること小一時間でポントワースへ着く。ローカル線の乗り継ぎが不便でタクシーで目的地オーヴェール・シュー・オワーズへ。10分も走れば写真で見慣れたゴッホが死を迎えたラブー亭の前。
陰鬱な冬空の下、ゴッホ最後の宿であることを示す銘板があるだけの廃屋(当時)。かって、この2階に佐伯祐三は里見勝蔵と泊まって蚤に食われながらヴラマンクに「このアカデミック!!」と一喝されたことなどにうなされながら、まんじりとも出来なかった。ふりむくとこれもゴッホの絵でおなじみの市役所。だらだらと坂を登ると「教会」が見えてくる。さらに坂を上がると左側に麦畑が広がっている。真冬。黄金色ではないのが一層侘しさを際立たせていました。いま、まざまざとその風景が眼前にあります。白い馬が一頭ぽつんといて、遊んでくれとよってくるのです。その孤独がゴッホに見えて、鼻面を優しくいつまでも撫でてやりました。墓所に入るとお婆さんが「あんたの捜しているゴッホの墓はあそこだよ」「メルシー」。壁沿いに寄り添うように立つ兄弟の墓石は、周りに比べても極めて質素なもので花も添えられず、名も知らない潅木に2メートル四方を囲まれているだけで、とても好ましいものでした。ぼくにとって衝撃だったのは伝記や書簡集で想像していたよりパリとオーヴェールの意外な近さでした。せいぜい神戸と姫路くらい。パリから遠く離れてひとりぽっちの可愛そうなフィンセントと想像していました。70点の傑作を生んだ、亡くなる前の2ヶ月のオーヴェール時代。でもこの時、テオのいるパリとは、二度と越えられない深淵を挟んでいるように遠く感じられたのだろう。ぼくを呪縛しているのはテオと母の魂だ。