「居場所」ということ
画廊を30年続けてきた意味が、ようやく分かってきました。 重松あゆみさんが「30年目の透視図」に「人の居場所とは何だろう。心や精神のすみかはどこだろう。時間が流れ、風景が変わっていくことだけは普遍なのだが・・・・」と書かれています。
私がやりたいことは「作家の居場所」「作品の居場所」を探すことだと思い至ったのです。 作家にとって、良く売る画廊、いいお客をもっている画商がありがたいのは当然です。しかし、ギャラリー島田は販売力が欠けていて、それを期待する作家は失望して去って行きます。私が見ているのは作家の背骨。創作に向かう姿勢です。そこに信頼がおければ、多少スランプがあっても、結局いい仕事につながっていきます。そして「待てば海路の日和あり」とギャラリー島田を「居場所」として付き合ってくれる作家には、本当に日和があるのです。
「人生の通奏低音」
作家と向かい合う。長い時間の流れのなかでお互いが成長していく。そこでは真剣勝負です。随分と厳しいことを言ってきました。そこを乗り越えての信頼なのです。
作家は孤独なものです。何のために、誰のために描いているのか、何者なのか?という根源的な問いかけを忘れてしまった作家、組織の中や、社会的評価に安住しようとする作家にはまったく興味が持てません。
創造に命をかけて向かいあう孤独な営為に共感をし、評価し、力になりたいと思っています。
私の人生の通奏低音と化してしまった、ゴッホがテオに宛てて書き投函されなかった最後の手紙の一節。
死んだ芸術家の絵を扱う画商と生存中の芸術家の絵を扱う画商とのあいだになぜこんな理不尽な違いがあるのか。だが、ともかく、ぼくの絵、そのためにぼくは自分の生命を危険にさらし、理性まで半ば壊れてしまった ――それでもいい ――だが、きみはぼくが知るかぎり、そんじょそこらの画商とは違う。いまでもきみは自分の信念を曲げず、人間性を失わずに生きていけるとぼくは思う。だが、きみは何を望んでいるのか?
結局、フィンセントにはテオしか「居場所」がなかった。テオの結婚でその居場所も失われようとしていた。それは希望を失うことであった。 ギャラリー島田が真剣に生きる作家の、重松さんの言葉にある「心や精神のすみか」としての「居場所」と思っていただければうれしい。その作家が生きていくための糧を得る「居住地」は別であってもいいのです。
「作品の居場所」
評価の定まった作家や物故作家の作品が、とんでもない価格で売買されるのを見ると、それが市場というものだと分かっていても、気分が引けてしまいます。そこで大儲けをすれば「お金は淋しがり屋」だから雪だるまで集まってくるのかもしれませんが、そのことで大切なことが見えなくなるのを恐れます。
作家が作品を誰かに、どこかに手渡していく。それを媒介するのが私たちの仕事です。「私にとって、かけがえのない作品です」と大切にしていただける方に渡れば、その作品は居場所をえる。でもビジネスと割り切れば作品は「放浪」の旅に出る。作家の大作を美術館や公的な場所に寄贈・寄贈仲介を続けているのも「作品の居場所」を探しているともいえます。
私は、家人が病を得て以来、ほとんどのお付き合いや外出を控えています。「そこまでしなくとも」と訝る方もいます。昔から多くの方の相談にのってきましたが「たまには私の相談にものってよ」と言われ続けてきました。いまこそ、家人が「居場所」をしっかりと確かめることが出来なければ、自分がやってきたことの全てが嘘になるような気がするのです。