30年目
ギャラリーが誕生して30年目を迎えます。1978年の9月頃に日曜大工で設営した海文堂ギャラリーがスタートしました。 今年1月から12月までの1年間はすべてゆかりのある作家による記念展です。 2007年は、「彫刻庭園プロジェクト」に取り組むなど、全てが順調で充実した年でした。29年にしてはじめて、今の方向でいいのだという確信が芽生えたようにも感じました。しかし、この数ヶ月を振り返れば不思議な感懐にとりつかれます。旅に出て見知らぬ土地を彷徨っているような、既視感があるのに現実感がなく、小船で漂っているのに舵も櫂もなく、雲ひとつない空に夕星が浮かんでゆっくりと帷(とばり)が降りてくるような静寂。 今ある時間がまったく未知のものであるという当たり前のことに驚き、いとおしく感じています。そこで選び取った次の時間は、恐れと新鮮な慄きのうちに流れ去り、また未知の領域へと踏み出すのです。何か大切なこと、今まで経験したことのない感覚があり、けっして辛いとかしんどいと嘆くわけではなく慈しみながら日々を過ごしています。 漂流する小船が支流に入りこみ狭まっていく川幅、迫ってくる岸辺と覆うような木々。 視界がさえぎられながら、でもこれでいいと心は穏やかなのです。
新しい年
大きな仕事に取り組んでいる充足感と30周年準備の日々の中、新しい年は、そうした思いと静かな昂りがない交ぜになって迎えます。いま向かい合っている時間を強い意欲をもって、ときどきに最善の選択を間違えずに歩みたいのです。 振り返れば、様々な挫折、衝突、対立がありました。小説顔負けのドラマもあり、熱く燃えた日々を懐かしく思い出します。憎悪に近い感情まで抱いた人たちもいまは、私を鍛え、足元を見つめさせてくれたと思へます。正しいと信じた私の言葉が人を傷つけたことも数知れずあります。その方々がいつか真意を分かって許して下さることを祈るだけです。 こうした感じは私の価値観の優先順位が変わったというか、変えざるをえなかったことから始まっています。物事を見る視点が変わったことによって見える風景も違ってみえる、したがって感じ方も違うという当たり前のことなのです。ぼくが新鮮に見える情景は、見える人には見慣れたものなのでしょう。今までは鑑賞者・批評者であったのが演者・当事者になってしまったとも言えます。こころのありようとしては、そのように動いているのですが、震災直後のユーフォリアに似た透明に未来が見える感覚は、また硝子細工のように危険な脆さを秘めていて自分でも制御不能なのです。
後期の仕事
年間のスケジュールは全て決まりました。ここに登場願わなかったから、主要作家でないと言うわけではありません。回り合わせということもあり作家のご都合ということもあります。基本的には「新作展」というよりもギャラリー島田という空間と文化を踏まえながら「作家の世界」を自由に構成して頂くことになります。 前にも書きましたがエドワード・サイードの言う「後期の仕事(レイーター・ワーク)」の年代に差し掛かっていることを強く思います。この言葉に私なりにふさわしい内容にしたいと願っています。30年目の仕事を見とどけていただきたいと思います。
●記念誌 30年目の透視図
30周年記念誌「30年目の透視図」を作りました。過去の記録というよりは「30年目の現在地に立って、今までの軌跡を振り返る」という意味で「30年目の透視図」と名づけました。アート・サポートセンター神戸の会員様、通信をお送りしているお客様には差し上げたいと思います。
同封の引換券で2008年2月末までにギャラリーでお受け取り下さい。
その他の方は¥1500(税込み)で販売いたします。
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