忙中旅あり イタリア編(前)
7回目のイタリアです。子ども達が大学へ入って家を出て以来、毎年、家人との二人旅を続けてきました。
未熟な英語と「ボンジョルノ」「ボナセラ」だけの伊語での旅ですが、ほとんど困ったことはありません。今回の「忙中旅あり」は事情があって走り書きです。8月17日に出発、27日に帰国しました。
17日 12:45 関空発アリタリア航空 18:30ミラノ着 時差7時間ですから13時間のフライトでした。2時間待ってフィレンツェへ。1時間のフライトで21:35着。タクシーで中央駅近くのホテルへ。部屋からサン・ロレンツォ教会の天蓋が見えました。
フィレンツェ中心部は小さな街なので歩いて廻れるのです。
ミケランジェロのフィレンツェ
18日。ネットで予約したホテルなのですが、どこも朝食が充実していて、浅ましいことに、毎朝、食べ過ぎて昼食がおろそかになってしまいました。ともかくユーロが高くて(円が余りにも安い)、何でも高く感じてしまい、買い物もしませんでしたし、レストランも同じ値段帯の日本と比較してしまい、満足できないのです。
9:30にウッフィッツィ美術館を予約してあったので並ばずに入れました。便利ですね。
世界全体が不安に
テロへの警戒からセキュリティーがどこでも厳しくなりました。入口に機器が設置され人が配置されています。保険を含めて安全へのコストは莫大なものになるでしょう。今や飛行場へチェックインするのも美術館へ入場するのも変わりは無い有様です。そして入館料へはねかえっています。日本でもいつからこんなにガードマンが溢れかえるようになったのでしょう。
人間はどんどん無防備になって管理監督は専門家に委ねて、息苦しい社会になっていきます。
ウフィッツィ美術館にて
昔は足を棒にして、目を皿にして必死で見て廻ったものですが、今回も結局、美術館や寺院詣でになりまいた。しかし頑張りすぎず適当に目に付いたものをゆっくりと時間をかけて見るようにしました。ところでウッフィッツィ美術館とはofifces museumのことなのですね。フィレンツェ行政府の昔の事務所棟を美術館として使っているのです。14世紀から16世紀にかけてヨーロッパ各地で起こったルネッサンス。古典芸術と人間復興運動の中心がフィレンツェでメディチ家がリーダーでした。16年前にも来たのですが、この美術館の印象はほとんど変わっていませんでした。
ルネッサンスは「チチ」「チン」「チ」
「チチ」とは、おっぱい。乳房です。「チン」とは、おちんちんのことです。「チ」とは血です。ウッフィッツィ美術館をはじめフィレンツェで見たのは「チチチンチ」のオンパレードでした。もちろんキリスト教世界は磔刑と再生、迫害、殉教の歴史ですから、おびただしい血に彩られています。もう見たくないというほどの「血」に辟易し「チチチン」にも食傷しました。
ウッフィッツィ美術館でもっとも人気があるのはサンドロ・ボッティチェッリの部屋でしょう。「春」「ヴィーナスの誕生」が人間復興を謳っています。ただどこか異教的な雰囲気を湛え、思ったより暗めの発色ですね。とりわけ「春」は新プラトン主義の思想を読みとらねば、なんのことか分かりません。ぼくが今回、特に注目したのは第25室にあるミケランジェロの「聖家族」(1503年=28歳)です。彫刻、建築、絵画と様々なジャンルでまさに天才的な仕事を成し遂げたミケランジェロですが、この作品が唯一つの額縁に入ったタブロー(完成作品)だそうです。他は壁画かデッサン習作ということです。
駆け足で
フィレンツェで見たところを挙げておきます。
◆ サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
◆ メディチ・リッカルディ宮(ゴッツオーリ「ベツレヘムに向かう三王の旅」)
◆ サン・ジョバンニ洗礼堂(サン・ジョバンニとは洗礼者ヨハネのこと。ギベルティーの「青銅の扉」)
◆ メディチ家礼拝堂(ロレンツォ、ジュリアーノの墓にミケランジェロの「思索する人」「行動する人」「曙」「昼」「夕暮」「夜」)
◆ サン・ロレンツォ教会(ミケランジェロ未完のファサード)
◆ アカデミア美術館(ミケランジェロ「ダビデ像」未完の4体の「奴隷」など)
◆ 孤児養育院美術館(コジモ・メディチが作った元祖「赤ちゃんポスト」)
◆ サンタ・マリア・デル・カルミネ教会(マザチオ「楽園追放」)
◆ ジオットの鐘楼
ミケランジェロに魅せられて
「聖家族」を見て考えたことが、このあと、この旅行中にずっと頭の中について回りました。帰ったらもっとミケランジェロを知りたいと思いました。「聖家族」とは幼児キリスト、マリア、ヨゼフのことですが、この絵は伝統的な「イコン」とは異なり、ごく普通の家族に見えます。そういえば「ダビデ像」(1504年=29歳)サン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」(1500年=25歳)のマリア、これらは神格化され様式化された聖人のイメージからかけ離れて、いわば私たちと同じ血が流れている人間の理想の姿を描きだしていると感じました。
「ダビデ」は旧約聖書の英雄ではなくフィレンツェ共和国の自由と平和を守る市民の純化された思いがほとばしる神々しいまでの結晶に見えます。今、ヴェッキオ宮殿前にあるのはレプリカで実物はアカデミア美術館にあります。高さ434cm、台座に乗っていますからまさに仰ぎ見る高さです。ここではあらゆる角度、大きさでダビデを見ることが出来る装置があり、私は右手に握っているものが何なのか探しました。石でした。そして左手で手拭のようなものを肩にかけているように見えるのが背中を廻って右手に消えています。これは巨人ゴリアテを倒した投石具なのでした。無知でした。年老いたダヴィデを青年に、「ピエタ」ではマリアを美しい乙女とし青年ミケランジェロの理想を表現したのでしょう。
メディチ家礼拝堂は建物を含めてミケランジェロの作品ですが、この建設にまつわる経緯もすこぶる面白いのですが、豪華王ロレンツォと暗殺されたジュリアーノの像とそれぞれの前に対で置かれた男女、「曙」「黄昏」「夜」「昼」の寓意像。二人の像は本人に似ていないそうだけど、いずれも本人の本質を千年後まで伝えるものとしての「寓意」であると言う。「夜」と「曙」の女性像は滑らかで美しい肌。「黄昏」と「昼」の男性像は鑿跡のある荒削りのままである。近づいて鑿跡を見るとミケランジェロの息遣いが聴こえてくる気がします。アカデミア美術館では、荒々しい原石を突き破って抜け出そうと、もがくような未完の4体の奴隷像。理想に燃えた共和主義者で防衛軍の指揮官でもあったミケランジェロ。無数の裸体画で天上を埋め尽くした「最後の審判」。自由と平和と人間愛に燃えた彼を抱え込み制作させたのがメディチでありカトリック権威体制の頂点にいる法王であった皮肉。奴隷像こそ彼の自画像であったのではないか。ミケランジェロが設計したサン・ロレンツォ教会の粗い煉瓦積みの未完のファッサードはミケランジェロのデッサンを見ているように美しい。
カラバッジョとの再会
2年前の旅はカラバッジョを巡る旅でした。カラバッジョ(1571-1610)は本名をミケランジェロ・メリジという。巨匠ミケランジェロ・ブエラローティが亡くなって9年後にミラノから東へ40kmの田舎町カラバッジョに生まれた。カラバッジョ村のミケランジェロ・メリジ、すなわち本名はミケランジェロ・メリジ・ダ・カラバッジョ。薄暗い教会で彼の作品に出会うと、正に一隅に宗教画ではなく人間ドラマがあるという新鮮な驚きを感じました。
今回、ミケランジェロの数々の作品に接し、この巨匠の仕事がカラバッジョに与えた影響を感じずにおれませんでした。
イタリア編(後)は次号 ヴェネチア・ビエンナーレとミラノを書きます。