昨年末から忙しく旅をした。「忙中旅」が「旅中仕事あり」になってしまった。その最初NYへの旅です。
「いざ、NYへ・・・」
12月28日(昨年末)、朝4時半に起床。タクシーで三宮、そして空港バスで伊丹へ。成田経由でNYへ旅立ちました。関空からNYへの直行便がなく、前回はダラス経由で危うく乗り継ぎに失敗するところだったので今回は直行便にしたのです。入国審査にもなれて朝10時に迎えに来てくれた剛(長男)と響子(4歳半)と1年ぶりの対面。時差を解消するには、ともかく現地時間に合わせて行動すること中途半端に寝ないこと。7月に生まれた英里夏とは初対面。ともかく機嫌のいい子で、よく笑うし、外出・外食にも連れ出すが全く手がかからないのに驚いた。響子は、すっかりおしゃまになってバレーを習うといっては踊って見せる。誰の血筋か、そうとうに目立ちたがりだ。ギャラリーや美術館にはずっと付いて来るし、オペラ「魔笛」の筋は良く知っていて「夜の女王のアリア」は口ずさむことが出来る。
昼から早速、マンハッタンのギャラリー散歩。各フロアーに画廊が入居しているビルが数棟あり、どれもが良質な現代美術系。5番街の一階のスペースには観光客向けのギャラリーもあるのですが、欧米では日本のようにアマチュアが画廊を占拠していることはないのです。あっても、それはアジア系のオーナによるアジアのアーティストのものが多いようです。
今年のNYは昨年と打って変わって暖冬、変です。
名倉誠人君と会う
29日、午前中はMoMa(NY近代美術館)へ。12時半にマリンバの名倉誠人君とお母様の北村さんとロビーで落ち合って、我々と6名とで昼食。中華。名倉君とは話し足りないので3時にホテルのカフェで再会。名倉誠人君は若い演奏家を世に送り出すことで知られるプロの組織、アメリカのヤング・コンサート・アーティスツに、史上初めてマリンバ奏者として見出された。若手作曲家の音楽に深く傾倒し、これまでに、彼のために多くの作品が書かれ、重要なレパートリーとして蓄積されてきている。マリンバという楽器の先駆者なのです。今もロックフェラー財団の助成を受けてCarlos Sanchezがマリンバとピアノとオーケストラのためのコンチェルトを作曲中で、明日カルロスと会うと言っていました。いつも彼と話し合うのは「現代」と向き合って創造することの困難さ、とりわけ日本でのことです。名倉君と神戸で、そうした保守性を打破する面白い企画を是非とも実現したいと相談したのです。現代美術と現代音楽との生き生きとしたコラボレーションが出来ないだろうか。名倉君には「デ・クーニングに捧ぐ」という曲もあるし。
僕たちはまた落ち合ってメトロポリタン美術館へ。
19世紀末から20世紀前半に活躍したフランスの画商Ambroise Vollard(1866-1939)に焦点をあてた特別展がとても良かった。なかでもセザンヌ。セザンヌにも凡庸に見える作品がありますがこの作品群を見て「説明なしの美しさ」を感じました。過去、ヴォラールが世に出したセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、マチス、ピカソなど、その慧眼ぶりには改めて脱帽です。
ボストン美術館にある自殺を決意したゴーギャンの「我々は何処からきたのか、何処にいるのか、我々は何処へ行くのか?」という作品も初めて見ました。そして晩年のルノワールがリュウマチで手の自由が利かなくなった右手に絵筆を縛りつけて描いている短い映像が流れていたのですが、その執念に何度も見入ってしまいました。名倉君との話にも関連するのですが、ヴォラールが世に出した画家たちも当時においての「現代美術」に他ならないのです。
30日はSOHOをぶらついて5時に川島猛先生のお宅へ。昨年に続いての訪問です。NYで久しぶりに個展をされ、これが好評でNYタイムズのトップページにカラーで大きく紹介され、今日届いたばかりのアート・マガジンにもカラーで評が掲載され、先生も喜んでおられました。先生は79才のはずですが、全く変わらない元気さに驚いてしまいます。昨年と同じチャイナタウンの美味しい中華で孫も交えて食事です。ここは池田満寿夫さんと良く来られたそうです。来年の30周年に個展をお願いしてきました。
イサム・ノグチ美術館
31日、ロングアイランドにあるイサム・ノグチ美術館へ。
独創性に溢れた作品をじっくり見て、今、私が取り組もうとしているプロジェクトのことをずっと考えていました。彼と私が大好きな建築家、谷口吉生の父、谷口吉郎氏が深く関わった慶應義塾の建築「新萬来舎」の写真展も興味を引きました。名称のごとく「千客萬来、来る者はこばまず、去る者は追わず、今の言葉で一言えば、広く識見を求めようとする対話の場所」として二人が力を注いだ名作です。
イサム・ノグチのミステリアスな人生は劇的なもので、それが氏の独創性に火をつけたことも確かです。18年前の12月30日にここで亡くなっています。享年84歳。札幌にあるモエレ沼公園は氏の構想が死後17年で実現したものです。是非、観てみたいですね。夜はカウントダウンへ。今年は暖かく、盛り上がっていました。
2007年の幕開けは「魔笛」
1月1日、お餅で朝食。17時に名倉君とイタリアンでディナー。歩いて5分のメトロポリタン・オペラ(メト)へ。
今回の「魔笛」は一寸変っていて、ミュージカル「ライオン・キング」で有名なジュリー・ティモアによる非常にカラフルな演出。鳥が空を舞い熊が踊り夜の女王が星に包まれる幻想的で美しい舞台でした。でも楽しみにしていた指揮者のジェームス・レバインは病気と怪我でスコット・ベルゲソンが振りました。レバインが駄目かもしれないというのは佐渡裕(兵庫県芸文センター指揮者)さんから聞いていました。この「魔笛」のミュージカル化はメトの財政難、聴衆の高齢化と関わる商業主義の結果で、この公演が世界中の劇場で映像を通じてオペラを見ることが出来たのです。でも、そのことで「魔笛」の精髄、とりわけ後半のフリーメーソン的世界観へと深まってゆくところが、希薄になってしまいました。
1月2日、剛と響子は昨日に続いて「魔笛」。メト初のホリディ・ファミリー・オペラとして詩人マッククラッチィ新訳によるもので休憩なし、100分間のコンパクトに改変された英語バージョンで、初心者や子供向けにも、分かり易く、一挙にオペラを楽しめたそうです。
チェルシーにて
チェルシーのギャラリーを散歩。Gagosian,Mary Boonenなどの大手は昨年に続き休み。でもこの時期でも結構、見ることができました。全体的な心象は「具象回帰」です。海外では日本と違って貸し画廊はほとんど無いのですが、これだけの良質な画廊がどのようにして存在しうるのか、ギャラリー島田が存在しているのと同じく謎です。
Galeria Ramis Barquetに入った時、ずらっと並んだ大作に「いいな」と感じたのですが、バルセロナのJoan Hernandez Pijuan(ピュハン)の展覧会でした。10数年前にバルセロナで個展を見て、気に入って小品を買い、その時、画家と一緒に写真*を撮ったのでした。
今回のは大作ですが1000万円から1500万円もしてました。
夜は再びオペラ。ベルカント・オペラの最高峰といわれ、曲の美しさで世に名高いベッリーニの傑作「清教徒」です。超絶的な技巧、演技が求められることから、顔ぶれがそろわないとなかなか上演されない演目です。 今回はその美貌と歌唱力で評判のアンナ・ネトレプコが、ヒロイン・エルヴィラを歌うのが大きな話題。演出:サンドロ・セキ、出演:アンナ・ネトレプコ(エルヴィラ)、エリック・カトラー(アルトゥーロ)、フランコ・バッサルロ(リッカルド)など。 ベッリーニといえば「狂乱の場」なのですがネトレプコはさすがに見せて聞かせます。最初の最高音をちょっとミスしましたが、往年のカラスやテバルディのカリスマはまだ足りないにしても聴衆をおおいに沸かせました。彼女が出るものはチケットが完売だと聞きました。
4日、帰国の途へ。日本へは5日朝帰着。
不都合な真実
多分、NYでの仕事を終えた息子家族がいなくなれば、もうNYへ行く事はないでしょう。アートシーンは刺激的であっても、余りにも何もかもが過剰で、地球的文明の破壊ロケットの弾頭に座っているような居心地の悪い熱狂への違和感を短期であっても感じてしまいます。ゴアの「不都合な真実」が話題になり、環境問題が一挙にクローズアップされてきました。でも、遅きに失しているでしょう。焼け石に水とはいえ自分に出来ることをやりきることです。ギャラリーの空調を省エネタイプに変え、今年中に車を使うことを止めます。
予定通り北野に家が建てばですが…….
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