「新しい年を迎えて」
吉野山去年(こぞ)の枝折(しおり)の道かえてまだ見ぬ方の花をたずねむ 西行
中井久夫先生が神戸大学での最終講義の最後に紹介された歌で、白洲正子さんも「西行」の中で傑作と言っておられます。「こぞの枝折」とは「去年の道しるべ」のことです。73才で亡くなった西行のことを思えば、私もまた西行のこの歌の齢でしょう。「まだ見ぬ方」をたずね、自らの「後期の仕事(レイターワーク)」に取り組むことを新年にあたっての思いとします。
加藤周一先生や中井久夫先生との出会いと著作には「後期の仕事」としての強い意志を感じますし、山内雅夫先生のモニュメント、松村光秀先生の沖縄展、福島清さんの「男達の神話」出版、上前智祐先生の個展、計画中の石井一男さんの画集なども、それを意識した私の「後期の仕事」でもあります。若い、これからの作家を紹介し、彼らと共に歩むのも同じ意識の上にあります。
1978年に画廊を始めて29年目になります。さしたる理想があってのことではなく、さぐりながら考えて来た結果の今日です。歩んできた道は異端です。上前智祐先生の自伝ではないですが「孤立への道」です。扱っている作家も極めて偏っています。アカデミズムから遠く、画壇や栄華から遠く。岩盤を穿つようにコツコツと、蟻のように。
一口に「画廊」といっても内容は様々です。一般的に想像される美術品を販売する所という感覚が私の中で、どんどん薄れていく気がしてなりません。経営資源は「販売益」しかないのですが「場や仕組み」を用意する、「苗床」のような感じでしょうか。
否応ない加齢による体調変化を実感しながら、なおかつ仕事と直接関係のない様々な事に関わってしまうことは、もう直しようのない癖、ぼくの体臭ですらあります。評価は様々であることは知っています。驕(おご)ってはいけませんが、角を矯(た)めて牛(ギャラリー島田)が死んでは、なにもなりません。
2006年回顧
開催した展覧会が51。ASKサロンが149回(6年間)。メルマガが200号、読者が1240人。リニューアルしたHPのアクセスが26万を超えました。西村功展(西宮市大谷記念美術館)への協力、それに続くシスメックス西村功コレクション。川島猛・理化学研究所モニュメント(2作目)の完成。福島清「男たちの神話」(みずのわ出版)の刊行。山内雅夫・仁川学院モニュメントの決定。松村光秀展(沖縄・佐喜眞美術館)の実現。公的な場所への大作寄贈が6点(累計59点)など充実した仕事が出来ました。
それぞれの作家が次のステップへと歩を進めた年でもありました。ありがとうございました。
なんちゅうこっちゃ インドネシアで講演 それも英語で!
昨年5月の起こったジャワ地震の被災地ジョクジャカルタのガジャマダ大学で「震災とアートによる文化復興」の話をして欲しいと中川真さん(大阪市大教授)が突然、訪ねてこられた。アート・エイド神戸に関わり、CODE(海外災害救助市民センター)に関わっている私にとって無下に断れる話ではない。しかし、幸い日程が合わない。1月17日だという。竹下景子さんの朗読の日で、お断りした。なんと先方と話をして日程を変更したという。19日。英語が駄目だというと、通訳をつけるとおっしゃる。これでは断れない。一念発起して英語でしゃべり、質疑は通訳をつけることとなった。慌しく空路を調べるとこれが大変である。
結局、17日の竹下景子さんの朗読会の打ち上げに、ちょっと顔出しして深夜といっても18日午前1時過ぎ関空発のタイ航空でバンコクからジャカルタ、ジョクジャカルタと乗り継ぐこととなった。帰りはこの逆。22日朝、関空に帰ってきてギャラリーに直行、翌日23日は、昼は講演、夜はフォートジャーナリスト山本宗補さんのサロンをするのですから、かなりやばいスケジュールです。6千字の原稿を書き、映像を整理しパワーポイントをつくる。アート・エイド神戸の資料は大半を「人と未来の防災センター」の資料室へ提出しているので、そこへ2度通いました。英文への翻訳をNYにいる息子に頼んだら、忙しくて駄目。CODEのスタッフで今年2回ジョクジャカルタへ行っている横山葉子さんが手伝って下さるという。願ってもないことです。
年初からNY~沖縄~インドネシア~沖縄と、とんでもないスケジュールになってしまいました。嗚呼!