「ベートーヴェンに近づいてきた」
と言ったら、知人は「ベートーヴェンに失礼だよ」と笑った。もちろん、尊敬する大作曲家の境地に近づいたなどとは口が裂けても言わない。
「耳」のことである。
ずっと前から頭のなかで高いC音が鳴っている。それがだんだんひどくなってきた。
数年前から、会議で遠くの人のしゃべっているのが聴き取りにくくなってきた。
元町の細見耳鼻咽喉科で2度検査を受けた。老先生ははっきり指摘しなかったが、今回の若先生ははっきり「中程度の難聴です」と言った。
さて、なんで難聴になったのだろう。
(1)加齢
(2)音楽を集中して聴きすぎた経年疲労
(3)嫌なことは聞きたくないという心理的なもの
(4)ワインの飲みすぎ
ベートーヴェンは20代後半から難聴になり40代半ばからは、ほとんど聞こえなかったらしい。第9交響曲は53才の時に作曲され56才で亡くなった。
自分の弾くピアノの音は聞こえていたらしい。「我が祖国」を作曲した時のスメタナも聴覚を失っていた。私の大好きな西村功先生も3才から聴覚を失っていた。
ベートーヴェンは(4)だったらしい。当時のワインには甘味料として鉛を含んだものが入っていたとのことだが、本当だろうか?
私が嘆いていると家人は、難聴なんてなんでもない、「補聴器」がある。
眼が悪い人には眼鏡がある。でも自分の頭の悪いのは直らない。「補頭器」が欲しいと、おもろいことを言う。 確かにそうだ、私も「加藤周一モデル補頭器」があれば1千万円でも買うぞ。
まあ、私の場合は遺伝的なものと(3)との組み合わせだろう。あまりにも聴きたくないことが多いから。
もう一つ「耳の形」である。若い頃はずっと指揮者をしていたから、耳が音を拾い易いように前に出ていたという証言がある。指揮を引退し、嫌なことは聞きたくないと思うようになって、私の耳は後ろへ引っ込んだという。肉体も心理的に改造されるのである。
自分の頭の中の雑音と仲良くして、世間の雑音に耳を傾けないようにしよう。
そんなことで、一層の無愛想を「耳」に免じてお赦しを。