この国のこと
新しい年を迎えようとしています。どんな年になるのでしょう、いささか心配なこの頃です。
憲法や靖国を巡る議論が盛んです。避けて通れないことですから、しっかり考えた方がいいです。一方で、連日、報道される耳を疑う事件の続発を見ていると、この国から品格というものがなくなってしまった、土台から崩れていると思わざるをえません。 日本人としての誇り、国を愛することを教える前に、人間として、地球人としての誇り、人を愛することを教えるのが当たり前ですし、生きるということは、それを実践することです。子供たちに「人を信じるな」と教える国は不幸です。自衛隊を自衛軍とするなどの意見も前面に出てきました。日本社会がだらしなく、若者のモラルや教育水準の低下までナショナリズムや国防に結びつけて語られるのは何やらおかしいですね。もっと高い志をもって律している人も大勢います。「国防」を声高に言う人の胡散臭さはアメリカのネオコンと同じです。(ブッシュやネオコン人脈と「石油」「軍備」との利権癒着は凄い!)耳を疑う発言を繰り返したあげくの民主党の西村代議士の実像を見るにつけ、闘うべき相手は他国ではなくこの日本に蔓延している病原菌だと思わざるを得ません。
外国の脅威
野見山暁治さんの私の履歴書「いつも今日」を読んでいてハットしました。野見山さんはもうすぐ85才。野見山さんのお父さんも100才近くまで生きられたのですが「100才人生を縦に並べれば20世紀になる」。そこでのアクセクが歴史です。私などは、自分の先祖は?と考えれば、大陸系渡来人に間違いなく、50世代で朝鮮、100世代で中国、万世代でアフリカへ辿りつくかも知れません。人類皆兄弟と言うのは空スローガンではなく現実なのではないでしょうか?
「昨日の敵は今日の友」。対立する場合は利害だけですから。 外国の脅威として想定されている国々よりも、どうも同盟国を疑ったほうがいいようです。この国が滅びるとすれば他国のミサイルではなく、「お金でしか幸せは買えない」という価値観により刻々と進行しつつある自壊だと思います。 平和主義者は理想論を弄ぶ軟弱者であるように言われたりする。そうした一見、勇ましい議論を展開する人たちと無縁に、黙々と海外と交流し、途上国に出かけ、国や人種を超え、様々な障害や差別や貧困や、理解の壁を乗り越えて活動する人たちがいます。NGO/NPOの人たちだけでなく、アートやスポーツの世界、ある意味では企業人だってそうでしょう。危険に身を晒しながら、あるいは経済的に報われること少ないままに行動する人たちは、勇ましい言葉の好きな人に倣えば「地球防衛軍」の志願兵と言えます。 私の尊敬する、ピーター・ドラッカーは「NGO/NPOは人間変革装置だ」という名言を残しました。パプアニューギニアのマラリアで倒れた畏兄、草地賢一さん。息子がいる海外協力事業団でも途上国で多くの方が命を落としています。自らの癌と闘いながら『エイズと闘う』林達雄、海外災救助の村井雅清、神戸学生センターの飛田雄一、定住外国人支援センターの金宣吉、FMワイワイの日比野純一、こうした国際派だけでなく、様々な問題と日頃から取り組んでいる多くの人々を知っています。医療現場で、教育現場で、福祉現場で闘う人達も皆戦士でしょう。そうしたフィールドが充実して拡大していくことこそが戦争に対する最大の抑止力だと思います。ミーイズム*の矮小な世界に囚われることなく、「公」を担う気概をもった人々がもっともっと増えてこなければ、この国は危うい、危機ラインを既に超えているかも知れないのです。
*ミーイズム【meism】自己中心主義。1960年代のアメリカの社会活動世代に対し、70年代の風潮を背景に生まれた考え方。
靖国へ行く
友人のSさんに「一度、靖国神社は見ておいた方がいいよ」と言われて、画廊回りを兼ねて東京へ行ってきました。いつものホテルからタクシーに乗ったら僅か3分でした。朝9時というのに大勢の参拝客がいるのにいささか驚きました。250万の神霊が祀られているそうで独特の気が満ちている場所であることが分かります。そして「遊就館」。「零戦戦闘機」「大砲」「満鉄機関車」、「人間魚雷回天」、刀剣などの実物が展示されています。欧米でも武器博物館はありますし、ヴェネチアでは私も見ました。しかし歴史博物館という趣で、「遊就館」は歴史的精神を展示しているのです。天皇を敬い、過去の戦争の経緯と殉死された人々への敬意に満ちています。「神道」「靖国」の立場からは当然の展示かもしれません、が、その一方で「靖国=国を安らかに」という強い平和への希求というメッセージは感じられませんし、他国へ与えた痛みへの責任の言及も僅かにとどまります。何度も言いますが、日本という国も戦乱に明け暮れ、封建的な身分社会であった長い時代を経て、平和で民主的な国をつくってきました。各国も同じようなことです。軍人だけが国を守るのではない、現代にいたる歴史の道程の中で社会に貢献した有名、無名の武器なき戦士たち、そして今、まさに闘っている人たちへの畏敬をどこでどう表したらいいのでしょう。
今の日本の状況は「戦場」という言葉が似合います。実弾の飛んでこない戦場。モラルの崩壊、社会格差の増大、財政の破綻、その一方でバブルの再燃。
日本のために命をかけ武器をもって散った英霊たちに敬意を捧げるならば、今ある問題に武器を持たずに闘う多くの人たちこそを讃え、その仲間でありたいと思います。 今後、靖国に祀られる人を一人たりと増やさないことが大切です。 自問すれば答えは自明です。私たちの平和は与えられるものでなく、選び取り、闘い取るものであることを自覚して生きることを皆が判っていることが大切です。声高に言わずともそう思って行動している人は多いのです。
私自身はといえば軟弱で、体を鍛えたこともなく、リスクを負うこともなく、高齢を言い訳に「後方支援」、昔言葉でいえば「銃後の守り」に徹しております。
杉本博司とゲルハルト・リヒター
東京では杉本博司展 時間の終わり(森美術館・六本木ヒルズ)にも行ってきました。東京は別世界ですね。消費行動をDNAとして刷り込まれた人間が高度に洗練されて造り上げてきた都市という気がします。杉本展の評判は聞いていたのですが、スペース全体を作家本人がデザインしたというトータルな魅力にしびれました。代表的なシリーズが部屋毎に展示されていて、その意図が明瞭に感じられるので、思わず足が止まり、気が付けば2時間以上見ていました。私は能舞台を配した「海景」のシリーズが様々な記憶やイリュージョンを喚起させ、深く感ずるところがありました。今年ギャラリー島田の研修旅行でいった直島(地中美術館)の護王神社―アプロプリエイト・プロポーションのプロジェクトも氏の仕事なのですね。私は見れなかったけど金沢21世紀美術館でやってたゲルハルト・リヒターも好きな作家で手元にある画集を頻繁に見るのだけど、杉本が絵画としての肖像画や模造された自然を精緻に写真に撮り「虚像を実像に」転換するのに対し、リヒターは写真を絵画に描き「実像を虚像」に転換させる、まったく逆のプロセスのようで喚起されるイリュージョンが近いのが面白いですね。
再度、横浜トリエンナーレへ
杉本展を見ているうちに、この静謐な感覚を乱したくない思いで東京国立の北斎展を見たいという意欲を失ってしまい、横浜へと向かいました。命を懸けていると広言する堀尾貞治さんの現場を、もう一度見ておきたいと強く思ったことと「アート・サーカス 日常からの飛躍」という参加型フェアーが、どう変わったのかを確認したかったのです。前回は、道を聞いたお巡りさんが知らなかったし、今回は横浜駅から乗ったタクシーの運転手が知らないという不思議さですが、今回は祭日ということもあって、会場は家族つれも多く、大変賑わっていました。まさにアートサーカスに相応しく、こうした参加型は、大勢の人があってこそです。最初は個々の器官であったものがあたかも毛細血管に血が流れるように人が繋がって躍動するのですね。プロジェクトとして見事に機能しているということです。