2005.10「イタリア紀行2005最終回」

イタリア紀行2005 最 終 回

6月に行った旅の紀行も今回が最終です。 旅の第一の目的はカラバッジョ。そして美術館巡り。そして料理、音楽、観光といったところ。知らない街を地図を片手にさ迷い、目的の一枚の絵を求め、その絵の前に立ち尽くす。そこに至るプロセス全体にワクワクする。期待感が高まって、まだ会った事のな い恋人との出会いのように気持ちが高揚しているので冷静に見られているかどうかは分かりません。
今回の旅ではローマ、ナポリの13箇所にあるカラバッジョ作品を探して歩くわけなので迷路遊びみたいでもありました。

帰れソレントへ  

 様々な思い出のナポリとお別れ。ナポリ中央駅からヴェスービオ周遊鉄道で1時間10分。ソレントへ。ここから南へと海岸沿いを、ポジターノ、アマルフィーと下って行くのですが、さしたる美術館もなく、完全なリゾート地で、景色はまさに絶景です。

ポジターノでの失敗   

 ソレントからポジターノへはバスで2時間ほど。でも山際の階段状の町 らしく、バス停からホテルまで重い荷物を持って上り下りが大変だろうと、 思い切ってタクシーをチャターした。素晴らしい景色を見ながら、ルンル ンの気分。ところが運転手がホテルを間違えた。
ここは細い道の一方通行。どんどん山の上に上がっていき、迂回したあ げくに元の道へ。「この下がホテルだ」。
ぼくの頭は????????????。
家人と荷物を残して、100段もの階段をどんどん下りると目指すホテルが あったので、また階段を上がり、重い荷物を抱えて降りると、ホテルのマ ダムは「まあまあ、こんな重い荷物を持って。言ってくださればポーター に取りに行かせますのに」と笑っています。  
 「予約票」を出すと、マダムが気の毒そうに「貴方たちの予約は入っていない」という。何故?何故?何故? 実はこのホテルは「VIAMARE」、私が予約したのは「MONTEMARE」。旅行社が最初にメールで添付してきた地図が間違っていて、最終的に送ってきた地図と取り違えてタクシーに指示したのが真相。
 馬鹿なことに、又、重い荷物を100段も持ち上げたのでした。そこから目的のホテルが近かったのは不幸中の幸いでした。これが山の上だったりしたら「離婚の危機」に見舞われたかもしれません。
 お金持ちはこんなリゾート地に大きな荷物など持ち込まないし、持ち込むとしてもポーターを手配するか、ホテルに連絡して迎えに来てもらうでしょう。当たり前や。こんな階段を大汗かいて自分で荷物を運ぶなんて、ほんまにアホや。

アマルフィーへ
 ここへもタクシーか、バスか船かの選択肢がありました。ポジターノで賢くなったので、船で行くことにしました。港からそんなに遠くないようなのでタクシーかホテルに迎えに来てもらうか、どうにでもなると考えました。ここのホテルは修道院を改装した一級のLUNA CONVENTです。
ポジターノではポーターを呼んで港まで荷物を運んでもらいました。そして快適な船旅40分。その後のいきさつについては8月号に書きました。ここではプールで泳いだり、夜はワーグナーが夏の別荘として愛し「パルジファル」を作曲した山の上の町、ラベッロの野外コンサートを聴きに行ったり、ホテルの中庭でゆっくりビールを飲んだり。偶然だけど、
この修道院の中庭で1927年に和辻哲郎氏がお茶を飲んだことが「イタリア古寺巡礼」(岩波文庫)に書いてありました。 
 それにしてもサルトルが座っていたカフェ・マゴに座り、和辻が座ったアマルフィーの修道院でお茶を飲んだけれど、私の知性が改善される気配は…?

そして、帰国

 鉄道駅のサレルノへ出て、ナポリへ。空路、ミラノへ。ミラノで一泊。関空へ。
 行きは良い良い帰りは怖い。関空は国際空港なのか?ローマ直行便がない。しかたなく変な無駄なルートで行き来しました。日航と共同運航のアリタリア航空。行きは日航中心でサービス満点、しかも3席を独り占めで寝ていきました。帰りは満席でイタリアのサービス。ワインサービスは食事の時、一回きり。これはないよ。
 私たちの旅は手づくりです。だから事前にいろいろ調べたり、想像したり。行ってみて確認したり、ハラハラしたり、がっかりしたり。旅が終わってからも牛の涎のようにこうして旅行記を書いたり。たった2週間足らずの旅を半年以上楽しんでいることになります。習うよりも慣れろ。旅は面白い。アッ、もう次の旅の準備をしなければ。今年の年末年始は厳寒、厳戒のニューヨークです。