「拗(す)ね者の生き方」
先月の日記で、自分の生き方を拗ね者と書きました。そんな風には見えないねとおっしゃる方もいます。何処が変なのでしょう、一例を。仕事が、大企業、小企業から個人へ。どんどん肩書きが無くなって、ゼロへ。その全てが、自分で選択してのことで、いわば逆行しているのですね。世間に背を向けながら「社会を良くする」などと大口を叩いているのですからいい気なものです。(注)
海文堂書店が「林哲夫 装幀も仕事!」というオリジナルブックフェアをやっていました。そこで数冊求め、その縁で林さん夫妻と出会い、来年2006年の秋に、画家・林哲夫の個展をすることになりました。私が佐本進さんの遺稿集「天の劇場から」を風来舎から出版した時に、装幀をしてくれました。それが彼の最初の装幀の仕事だったそうで、ご縁があるのです。
そのフェアで買った本の1冊が「古本極楽ガイド」(岡崎武志)で、それに触発されて ぼくがほとんど買ったことがない漫画本「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」(高野文子)に出会いました。そしてその又つながりで「ユリイカ 詩と評論 2002年7月 高野友子特集」を読んだのです。漫画もアートだなあと新鮮な発見(今頃、こんなこと言って、遅れていますね)でした。
「ユリイカ」で高野さんが「AKIRA」の大友克洋さんと対談していて、これが面白いのです。大友さんが高野さんに「高野の正義を見せてくれよ」と挑発し、「おう、お見せしましょう」と、この72Pの「黄色い本」を書くのに3年もかけたのです。
高野さんは読書は楽しむのものではない、「馬鹿を治すために読む」などと言う。
まあ、つげ義春、白土三平など「ガロ」につながる思想としてのマンガですね。漫画界における拗ね者とも言えます。 煉瓦積み職人です。私にとっては、今の仕事が、私の思想であり、自己表現です。こんな拗ね者に、付き合って、支えてくださる皆様に、感謝いたします。
*拗ね者とは、自分では本道を歩み、本音を語っているつもりだが、他から見れば異端として扱われる者のことである。(注)このあたりのことを「半どん」144号に2000字で書きました。(未刊)