奇縁
「お年を忘れているんじゃないですか?」。私の電話の声を聞いた方が言う。 風邪を引いてしまった。そういや、このところ目一杯やなあと思う。
「いつまでも若いと思っていたら駄目ですよ、充分、老齢なんですから」と追い打ちである。
でもこの仕事ほんまに好きで辞められません。
つい先日もこんな奇縁がありました。松村光秀展の会場で上品なご夫婦が訪ねてこられました。渡辺洋さんご夫妻です。私の記憶は朧なのですが、1988年に渡辺さんが筑摩書房から「底鳴る潮」というご本を出された時に海文堂で販売協力させていただいたそうです。この本が夭折した天才画家・青木繁の評伝で、今年、小学館文庫で、小説仕立てに全面的に書き直し「悲劇の洋画家 青木繁伝」として出版されたのです。
私も青木繁の「海の幸」「いろこの宮」は何度も石橋美術館で見ているので、お話の中に梅野満雄の名前が出たときに瞬時に結びつきました。
この人のご子息こそが、この通信に時々登場する刑事コロンボの如き絵の熱血漢、長野県北御牧村立・梅野記念絵画館の館長、梅野隆さんその人なのです。 何が奇縁かといえば、この絵画館に松村作品が常設されていて、館長自身、展覧会の初日に遠路ご来廊いただき、作品を購入決定いただいた直後だったのです。
梅野満雄さんは青木繁と同級生の親友で、困窮にあった繁を終始、支援し作品をコレクションされました。今、その作品の一部が梅野さんの絵画館でも見られます。
渡辺洋さんはバイオテクノロジーの専門家で神戸大学名誉教授。畑違いに見えるが、歴史小説としての人物評伝を書きためておられる。私も一読して、溢れる才能と自負の中で、どうしようもなく不幸の坂を転げ落ちていく繁が歯がゆくも不憫で、何度も熱くなった。目頭ではなく、体全体が熱くなるのです。ゴッホとテオの書簡集を読んだ時もそうでした。すべての鍵を反対に廻してしまって、不幸へ不幸へ、貧困へ貧困へと落ち込んでしまう。梅野氏を始め、多くの善意に囲まれながら、それを逆撫でしてしまう。
読むのが正直辛かったりもしました。
でも、私の周りでも大同小異の悲劇はあります。身につまされることです。
作家の人生は様々。生活に困窮するがゆえに才能を開花出来なかった人。困窮から脱したゆえに作品が安易に流れる人。青木繁の人生を辿りながら、芸術家の運命を考えるサロン講座を渡辺洋さんをお迎えして開催することが急遽決まりました。
小学館文庫の第1版は多くのの校正ミスがあったという。書き直しを含めた改訂新版が出るのを機会に11月4日の第76回のサロンです。最もうちにふさわしい主題であります。お楽しみに。(詳細はサロンのお知らせで)
*この日記を書いた直後。繁を巡る奇縁に更に驚くことになりました。それは次回のお楽しみに。