2003.10「奇縁」

奇縁

「お年を忘れているんじゃないですか?」。私の電話の声を聞いた方が言う。 風邪を引いてしまった。そういや、このところ目一杯やなあと思う。
「いつまでも若いと思っていたら駄目ですよ、充分、老齢なんですから」と追い打ちである。

でもこの仕事ほんまに好きで辞められません。

 つい先日もこんな奇縁がありました。松村光秀展の会場で上品なご夫婦が訪ねてこられました。渡辺洋さんご夫妻です。私の記憶は朧なのですが、1988年に渡辺さんが筑摩書房から「底鳴る潮」というご本を出された時に海文堂で販売協力させていただいたそうです。この本が夭折した天才画家・青木繁の評伝で、今年、小学館文庫で、小説仕立てに全面的に書き直し「悲劇の洋画家 青木繁伝」として出版されたのです。
私も青木繁の「海の幸」「いろこの宮」は何度も石橋美術館で見ているので、お話の中に梅野満雄の名前が出たときに瞬時に結びつきました。
この人のご子息こそが、この通信に時々登場する刑事コロンボの如き絵の熱血漢、長野県北御牧村立・梅野記念絵画館の館長、梅野隆さんその人なのです。 何が奇縁かといえば、この絵画館に松村作品が常設されていて、館長自身、展覧会の初日に遠路ご来廊いただき、作品を購入決定いただいた直後だったのです。
梅野満雄さんは青木繁と同級生の親友で、困窮にあった繁を終始、支援し作品をコレクションされました。今、その作品の一部が梅野さんの絵画館でも見られます。
渡辺洋さんはバイオテクノロジーの専門家で神戸大学名誉教授。畑違いに見えるが、歴史小説としての人物評伝を書きためておられる。私も一読して、溢れる才能と自負の中で、どうしようもなく不幸の坂を転げ落ちていく繁が歯がゆくも不憫で、何度も熱くなった。目頭ではなく、体全体が熱くなるのです。ゴッホとテオの書簡集を読んだ時もそうでした。すべての鍵を反対に廻してしまって、不幸へ不幸へ、貧困へ貧困へと落ち込んでしまう。梅野氏を始め、多くの善意に囲まれながら、それを逆撫でしてしまう。
読むのが正直辛かったりもしました。  

でも、私の周りでも大同小異の悲劇はあります。身につまされることです。

作家の人生は様々。生活に困窮するがゆえに才能を開花出来なかった人。困窮から脱したゆえに作品が安易に流れる人。青木繁の人生を辿りながら、芸術家の運命を考えるサロン講座を渡辺洋さんをお迎えして開催することが急遽決まりました。
小学館文庫の第1版は多くのの校正ミスがあったという。書き直しを含めた改訂新版が出るのを機会に11月4日の第76回のサロンです。最もうちにふさわしい主題であります。お楽しみに。(詳細はサロンのお知らせで)
*この日記を書いた直後。繁を巡る奇縁に更に驚くことになりました。それは次回のお楽しみに。

2003.9「セプテンバー・コンサート IN KITANO」

1,セプテンバー・コンサート IN KITANO

  「9・11 セプテンバー・コンサート」がギャラリー島田で開催された。平和への思いを音楽でつたえようと、NYではじまったムーブメントで、日本では神戸に本社を置くフェリシモが呼応し、その呼びかけにギャラリー島田が応じた。9月1日に話があり、その日の内に10人の出演者全員が決まった。オープニングは朴元(パク・ウォン)さんの韓国伝統打楽器チャンゴの演奏。中国、台湾、インドの民族音楽、アポリジニの民族楽器とヴォーカルの即興演奏など多彩なプログラムの最後はピアニストの伊藤ルミさんが、チェリストのカザルス(当時94才)が国連での最後の演奏会で紹介したカタルーニャの民謡「鳥の歌」を心を込めて弾いた。
 新聞では「9・11の犠牲者を追悼して」と紹介されたが、私の中ではその意味は小さい。「9・11」は憎悪の連鎖のひとこまに過ぎず、平和とは人類の見果てぬ夢に終わらせてはいけない永遠の課題である。
 「9,11」の犠牲者は3234名、その後のアフガンの空爆で3767名が、イラク戦争で3240名以上の人が亡くなった(いずれも推定)。さらに遡っていけば1991年の湾岸戦争では15万8千人。ベトナム戦争では200万人。第二次世界大戦ではじつに3千万人にものぼり、広島、長崎への原爆投下による死者は10万3千人である。
 平和とは戦争に対する反語だけではない。この飽食の日本にいると信じられないことだがアフリカ、アフガン、北朝鮮などで餓死の危機に直面している人は何千万人に上ると思われる。 日本でも毎年の自殺者が3万人を超える。平和を脅かしているのは砲弾、銃弾だけではない。「平和への思い」は「遠い戦争に反対する」「日本が戦争に巻き込まれることに反対する」というレベルに止まる限り「平和エゴイズム」に過ぎないだろう。
 戦争がお互いの大義を賭けての巨額の戦費と多数の犠牲者によって遂行される戦闘だとすれば、平和もまた、それを守るために自己を犠牲にして闘うという側面なしには獲得できるものではない。
 そんな大層なことは考えとうない、毎日が楽しかったらええねん。 そういう声が聞こえてきそうですが、私たちの日常一つ一つの行動にも「平和」へと繋がっていく意志の選択があるのでしょう。「何を食べるのか」「車を使うのか歩くのか」「電気を点けるか消すか」それぞれの選択が地球温暖化、砂漠化、資源枯渇、南北格差などにどこかで繋がっており、それが結果として戦争に加担しているという痛みの自覚なしに、「平和を祈る」では済まないことなのです。
全員、全くのボランティアなのに、来年も是非と、強い声が続いた。全くのところ準備大変なのだけど、やるぞ!!
*急に決まった企画のため、画廊通信で紹介できませんでした。御了承下さい。

2,知ったかぶりの勧め

 なんとか加藤先生を神戸に呼べへんやろうか?そんな思いが募って、とうとう実現することとなった。加藤先生とは、現代を代表する知の巨人と私が信奉する評論家・加藤周一先生のことである。といっても、若い人は勿論のこと多くの人は氏を知らない。 震災後、先生を囲む小さな勉強会に参加させていただいて、いかなる質問にも見事に論理的に、しかも誰にでも分かる言葉でしゃべられるのに敬服した。この至福の話をもっと多くの人と分かち合いたいと願ってのことだ。何度も実行委員会を重ね、氏の著書をテキストに勉強会をしている。交代で講師を務めるのだが、私は講師となるのを謙虚にも辞退している。
実は、これは内緒だが、私が呼びかけたとはいえ、私はそんなにたくさんの著書を読んでいないのだ。 知ったかぶりの化けの皮が剥がれるのを怖れて謙虚を装っている。 勿論、わが書斎には加藤周一著作集全24巻も揃っている。白状すればこれは息子の蔵書なのである。
若いスタッフが勉強したいというので、分かりやすい本を読み返してみて、加藤語録で都合のいい事を発見した。「読んだふりは、大切なこと」とあり「読まない本を、読んだふりをする、よくわかりもしない本をわかったふうに語る、これが知的”スノビズム”(俗物根性)という」と断定したうえで「スノビズムほど大切なものはない、読まない本を読んだふりをしているうちには、本当に読む機会もふえてくるのです」と氏の「読書術」を結んでいる。
自分が知らないことを自覚していれば、知ったふりでもいくらでも学ぶことは出来るし、次の学びの意欲につながってくるということだ。 加藤先生は、この9月19日で84才を迎えられる。 20世紀の歴史をつぶさに見てこられた証言者として、21世紀を生きる私たちへの指針を語っていただこうと思っている。