2003.6「福島清の芭蕉への旅より」

 私の手元に福島清の「飯塚温泉駅前風景」と「伊達大木戸(だてのおおきど)風景」の2枚の絵がある。いずれも「芭蕉への旅」と題したシリーズの作品である。

 芭蕉は「奥の細道」の福島県飯塚(飯坂の誤記らしい)での辛い一夜について次のように書く。
「その夜飯塚にとまる。温泉(いでゆ)あれば湯に入りて宿をかるに、土坐に莚(むしろ)を敷きて、あやしき貧家也。灯もなければ、いろりの火かげに寝所をまうけて臥す。夜に入りて、雷鳴(かみなり)、雨しきりに降りて、臥せる上よりもり、蚤・蚊にせせられて、眠らず。持病さへおこりて、消え入るばかりになん」とほとんど悲鳴を上げている劇的な箇所である。
 福島清の「芭蕉への旅」は、もちろん単なる奥の細道を辿る風景描写ではない。 「月日は百代の過客にして、行き交う人も又旅人也」に始まる芭蕉の精神を自らの人生・思想に重ね合わせて表現したものである。  もとより福島清は絵描きとしての死に場所を求めている男であるが、それが「旅に死す」芭蕉と響き合って、玄妙なる調べで私を誘惑する。

「いまからこんな病気をしていては先が不安であるが、今度の旅は辺鄙な土地への行脚で、現世の無常を思い、わが身を捨てる覚悟で出てきたのだから、たとえ旅の半ばで道路に死ぬようになっても、それも天命だと気力をすこし取り直し、伊達の大木戸を越えた」と芭蕉は書いている。
 伊達の大木戸は宮城県と福島県の県境、現在の福島県伊達郡国見町大木戸付近で、越えて行く山は厚樫山である。上野・谷中を立ったのが3月27日。ここ大木戸を越えていくのが5月2日のことである。
「伊達大木戸風景」は正面に標高約300mの形のいい厚樫山、中央下から右上にむかって広い道路が突き抜けていく。国道4号線・東北自動車道である。当然のこと現在の姿である。芭蕉の時代は奥州街道を通っていったはずだ。
 薄明のシルエット、有耶無耶(うやむや)の空、中央に屹立するがごとき枯れ木。旅の半ばで倒れるのもまた本望、風雅の道の故人たちも、たくさん旅中で死んでいるではないかと、自らを励まし「路縦横に踏み」とは、町奴のする大げさな歩みそのままに伊達に伊達の大木戸を越えたと、半ばヤケクソに芭蕉が洒落ているのである。
 こうしたこと全てに共感した福島清の眼差しを私もまた強く共感している。芭蕉の覚悟は福島清の覚悟であり、枯れ木は画家の姿である。行く方の見えない道は地平で突然、切断され、有耶無耶の空へと消えている。名状しがたい行方。
 この絵は14cm×67cmの小振りで、変形カンバス2枚を合わせ、徹底した凝り性の画家による金無垢丸縁の額に入っている。中央に縦線が見えるのはそのためである。手に取 って矯(た)めつ眇(すが)めつ眺めている(注)。寂寥感(せきりょうかん)に満ちていて「寂しさに悲しみをくわえて、地勢、魂をなやますに似たり」との芭蕉の言葉が低く静かに鳴っている。
 絵はまことに愛(いとお)しいものである。ぼくもまた時空を超えて縦横に思いを踏ん でいく。福島清という男が岩盤を穿つように画業に挑む姿に、芭蕉が終生を旅にくらした姿にと。その思いは私自身へとまた帰ってくる。

 私と福島清との出会いは山岳風景画家、前衛アルピニストとしての認識から始まり、 偏屈アルピニストと偏屈蝙蝠の合性は最初は決して良くなかった。すべてにいい加減を良しとしアバウトな性格の私と、何でも厳密、徹底を尊ぶ福島。でもその福島流の歩みは、些事(さじ)のゆるがせが決定的な事態を招く厳寒岩壁登攀「単独行」の思想を日常においてすら実践していることに思い至る。
 福島清の前半生については未完・未刊の大作「男達の神話」に書き継がれていて、これが滅法面白いのだが、彼は16歳、高校2年にして厳冬の12月末、海抜3千メートルの南アルプス「仙丈ケ岳」の単独登頂に挑み、成功するのである。
 軟弱派の私には想像を絶する世界であるけど、私にはそこに到る精神のありようがまことに興味深い。今、彼は日々の営みにおいて、そして画作において最も険しい路を遥か高みを目指して単独行を試みているに違いない。私はいつしか、私のあの血管から血が滲みだすような憤怒の日々の歩みと重ねあわせて、彼の絵を眺めていることに気が付く。
 振り返ってみれば、怨むよりその日々があってこその今であることを懐かしく思いだしている。

 数年前の海文堂ギャラリーでの個展の時に、すでに現在の「日本人への旅」の探求が始まっていて、私は半ば氏から押し付けられるように「田儀海景」という作品を求めた。
 田儀は出雲の国最西端で、海岸の断崖絶壁を山越えすると石見の国。山陰線の中でも景色のきれいなところで、ここから日本海を一望した風景で近景に枯れ木が立つ。
 福島さんは「この絵をじっくりと眺めて下さい」と意味ありげに笑って渡したのだった。 こうした謎かけで人を試すのが彼の癖で、私には、それが疎ましいのだが、今、こうして新しい作品と引き比べながら考えていることを思えば、すっかり彼の術中に嵌っていることを認めないわけにゆかない。
 絵は文学ではない、ましてや人生訓ではない。私のように文学や、人物になぞらえて絵を解釈することは避けるべきかもしれないが、飽かず眺めるうちに巡る思念こそ、絵をみる醍醐味ではないか。
(注)念入りに見る様